幸福な死 2
久しぶりに、母さんにぶたれた。夜、遅く帰ってきた母さんは、疲れた顔をしながら、ソファに横になっていた。風邪を引くよ、僕が忠告すると、母さんはいきなり顔を上げて、僕をぶった。何べんも、何べんも。最後には、馬乗りになって、僕の首を絞めた。意識が薄れていく。何故か、彼女の顔が浮かんだ。
会いたい。
今日、彼が休んだ。私は、仮病を使って、早退した。でも、彼の家を、私は知らない。あてもなく、歩いた。ただ歩くことしか、できなかった。
会いたい。
気づいたら、昼過ぎだった。学校、休んじゃったな。母さんは、学校に電話をしてくれたかな。
彼女が転校してきて、初めて休んだ。彼女はどう思うだろう。心配してくれてたら、嬉しい。考え事をすると、彼女が真っ先に出てくる。それぐらい、僕の中には今、彼女がいるんだ。
家を出る。学校は今からでも、間に合うかな。
かげろう。全部、かげろう。むこうから来る、人影は、かげろう。ゆらめいて、私の歩行の邪魔をする。やめて。どいて。昔からそうだった。どうして、私を助けてはくれないの。邪魔だ。邪魔。じゃま。
そのうちのひとつに、ぶつかる。思わず、しりもちをつく。大丈夫ですか。ききなれた声。手を差し伸べたむこうに、彼がいた。
何故、今、彼女がここにいるのだろう。それを聞く前に、彼女は泣いた。初めて見る、彼女の泣き顔。どうして。慌てると、あっちも慌てた。
来て。腕を引っ張られる。着いた先は、河川敷の橋の下。日陰で、涼しい。埃っぽい地面に、彼女は何の躊躇も無く、座る。僕も座る。
やなことがあると、ここに隠れるの。彼女はそうつぶやいて、僕を見つめた。僕も、見つめ返す。色白なのに、今は灰色。
ずっとこのままが、続けばいいのに。
彼の首筋に、何かの模様がついていた。どうしたの? 問うと、母さんにしめられた、と恥ずかしそうに言った。
「いいな」
彼の首筋を、触る。あたたかい。
「わたしも、楽になりたい」
じゃあ。彼は言った。してあげる。
私の首筋に、彼の手がかかる。
「いいよ」
楽に、しめて。
力が入る。嬉しそうな彼の顔。少しずつぼやけて、見えなくなる。
ああ。ずっとこのままが、続けばいいのに。歪みの無い、彼女の顔。隣に腰を下ろす。家からとってきたものが、きらめく。
きみにあいたい。
彼女に馬乗りになって、覗き込む。
いまあいにいくからね。
そっと、自分の首に当てる。
僕に、今、幸福な死を。
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