草木の如く 6

「何食べたい」

「なんにも食べたくない」

 私は吐き捨てるように言った。横の彼女が困ったような表情をする。そんな顔をされても食べたくないものは食べたくない。私は自分のつま先を見つめる。パンプスから覗く足の甲が恐ろしいほど白い。固形物は丸四日食べていなかった。

 自分の腕を切ったあの日、朦朧とする意識の中で私はスマホに手を伸ばした。指が勝手に操作する。電話帳を開いて一番上、その名前に電話を掛ける。繋がった先で彼女が不機嫌そうに言った。もしもし? その声を聞いて私はまた意識を失った。

 それから起きたのは半日後だった。白い部屋で窓越しの日差しを浴び、その熱さに堪え兼ねてまぶたを開けた。ぞっとするくらい天気のいい日で、突き抜けた青空が私を見下ろしている。その青さから逃れるように寝返りを打つ。瞬間やってきた痛み。頭蓋骨が内側から割れそうな頭痛が起き、突き刺すような鈍痛が左腕を襲った。そこでようやく前の晩のことを思い出した。ナースコールを押し、駆けつけたナースに弱々しく訴える。帰りたい。私は病院が嫌いなのだ、昔から。

 そして数日後、私はまた病院に来ていた。今度は身体じゃなくて精神の方。行きたくないと思い切りダダをこねた私を、彼女が半ば強引に連れてきたのだ。精神の医者はほとんど何も言わずに薬だけ出した。多分、彼女が前もって症状を伝えておいたのだろう。彼女は優しいと思う。別れた恋人に対して、未だにそんなことをしてくれる。でも、と私は彼女を見つめた。

「なに」

「なんでもないよ」

「ご飯食べたくなったの」

「違う」

「すごい目してる」

「ほとんど寝てないからね」

 そう、と彼女は呟いた。

「腕痛いの」

「まあまあね」

「鎮痛剤、飲んでないんでしょう」

「何も食べてないってことはそうなんだろうね」

 あからさまにため息をつかれる。実際、私はもらった薬を飲んでいなかった。

「せめて今日もらった薬は飲んでね。飲んだら寝れる筈だから」

 私は視線を落とした。

「飲みたくない」

「やめてよ。また病院付き添わないといけなくなるじゃない」

「来なくていいよ。私も行かないから」

「ねえ、やめてよ。そういうの一番困る」

「なんで困るの。困ることなんてないじゃん」

 赤の他人なんだし、私はそう続けた。

「アンタには家族がいるんだから。こんな半端モンの相手なんてしなくていいんだよ」

 彼女が立ち止まる。

「家族じゃないと心配すらさせてくれないの」

「そういうんじゃないんだけど。でも、それに近い」

「なんなの。全然分かんない」

「分かんなくていいよ」

 笑いかけようと振り向く。するとそこに平手打ちが飛んできた。頬を張られ、その勢いのまま首を横に向けた。コンクリートの地面が先ほど降った雨で濡れている。

「これ以上感情を乱さないで。お願い」

 頬をぶった白い手。飛んできた指にはいつものリングがなかった。私は黙っていた。それはこっちの台詞だ、そんな言葉を飲み込んで。

 彼女は優しい。それ故に死んでしまいそうになるくらい、私はさもしい気持ちになる。

 抱きしめられた感触を一身に受け止めながら、私は目を閉じた。彼女の髪からは知らないシャンプーの匂いがしている。

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