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リョナラーの苦悩

 私はリョナラーだ。
 リョナとは、対象の痛がる姿や悲鳴などに性的興奮を覚える癖のことで、「猟奇的なシチュエーションでオナニーする」という行為に起因する。この単語は2003年頃にネット上で誕生し、リョナを好む者をリョナラーと呼んだ。しかし、一口にリョナラーといってもその種類は様々で、対象が泣いたり悲鳴を上げたりする様子だけで充分なリョナラーもいれば、四肢切断や内臓露出などのグロテスクな状態にならないと興奮できないリョナラーもいる。リョナというのは大きな幹のようなもので、そこから人の数だけ枝分かれし細分化していくのだ。
 私はグロテスクなものを好むリョナラーだ。いわゆるハードリョナと呼ばれるものが大好きで、四肢切断や内臓露出のような派手なものを好んで見る。小学生の頃、導入されてまだ新しいパソコンでうっかりR18-Gのイラストを見てしまって以来、その魅力に取り憑かれた。飛び散る鮮血、切断された手足の断面図、飛び出した小腸や大腸。見ているだけでとてもワクワクする。しかし、それでオナニーはしない。猟奇的なイラストを見たり、自分でイラストを描くだけで満足してしまう。また、リョナは二次元の中だけで、実際の事故の写真や映像はあまり見れなかったりする。そういうものを見ると、興奮よりも恐怖や悲しさが勝ってしまうからだ。だから、一般人からすれば「ヤバいやつ」、リョナラーからすれば「浅いやつ」に分類される。
 そんな私でも、現実世界ではただの一般人だ。何食わぬ顔で学校へ通い、社会に出て仕事をしている。しかしひとたび家に帰れば、パソコンでリョナ画像を集め、シャーペンで好きなキャラクターを陵辱する。二面性を兼ね備えている、といえば聞こえはいいが、やっていることはあまり褒められたものではない。友達にこの癖のことを話すと、殆ど引きつった笑いを返される。そして時々犯罪者予備軍と揶揄される。当たり前だ。やり方は違えど、暴行や殺人で快楽を得ているのだから。
 しかし、私はそう思われるのがすごく嫌だった。別に現実で人殺しをしたい訳ではない。むしろそういった行為は二次元の中だけで行われるべきであり、現実で行った場合は絶対に法で裁かれなければならない、と思う。だから余計に心苦しいのだ。自分は倫理観から外れたものを好んでいる、その事実が私を苛む。「好きなものを好きでいたい」と思う自分と、「自分の好きなものは普通ではない」と思う自分。その2人はいつも対立していて、ひとたび喧嘩を起こすと大きな爪痕を残していく。どちらにも素直でありたい、と思っている分、とても質が悪い。
 こうして己の嗜好で悩んでいる人間は、世界にどれくらいいるのだろう。倫理観や世間の目のせいで自分の大好きなものを誇れない人間。リョナラーに限らず、少数派の性的嗜好者はこの問題に直面しているのではないだろうか。「そんなの変だよ」「頭おかしい」「気持ち悪い」、そう言われる性癖は世界にごまんとある。ではどうすればいいのだろう? 気持ちを無理やり押し込めるしかないのか?
 私には分からない。自分に嘘をついてまで普通を貫くことが正義なのか、好きなものを好きでいるのは悪なのか。どれが間違いで、どれが正解なのか、分からない。特に社会に出てからというもの、何度もこの問題に悩まされてきた。倫理観が問われる仕事だ。職場の人にこの趣味を知られてしまったら、社会的な死が待っている。恐ろしくてたまらない。今まで普通の顔をしてきたのに、それが暴かれてしまう。家族に知られるのも恐ろしい。自分の子供は犯罪者予備軍ではないのか、と疑われるのがとても怖い。
 そうやって悶々としているうちに、いつの間にかリョナ絵を見てしまっている。手が勝手にリョナ絵を描いてしまう。どうすればいいのだろう。分からない。こうやって分からないまま死んでいくのだろうか。だったら、早く死んでしまいたい。

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