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それでも

プラハにさようなら。
行こうと思ってたところぜんぜん行けなかったけど、そんな旅もありだよね。
いつものくだらない旅行記はFBとかパーソナルな場所に書いたから、noteではちょっと真面目なことを記録するよ。


テレジンのゲットーに行ってきた。

強制収容所はほんとうに最悪の環境で、信じたくないほどに過酷。
だけど、ギリギリ生きていけそうで、ギリギリ生命活動が維持できただろうな、と暮らしを想像できるから苦しい。

テレジンはものすごく寒かったけど、芝が生えていて、小さな川が流れていた。
ビーバーみたいなのもうろちょろしていて、生き物がいることに悲しくなった。
去年行ったダッハウでは、空が青くて広くて、やめてくれと思った。
もっともっと荒涼としていて、人間のいる場所じゃないと思えたらよかった。
寝床なんてなくて、食べ物もまったく与えられていなければよかった。

キリングフィールドへ続く、暗いトンネルを歩いた。
500mも靴音を響かせた。
こわくてたまらなかったけれど、脳内でクリスマスソングをリピートさせてなんとか進んだ。
抜けた先の景色があおくて苦しかった。

人間の可能性に思いを馳せた。
よくも悪くも、人間はなんだってできる。
だからどうにかそのエネルギーを負に向けないように不断の努力をしなくてはいけない。
信じられないほどの最悪をやすやすと実現するのが人間なら、考えられないほどの最高を実現するのも人間だ。

夜と霧にあったとおりの寝台やチフス治療室があった。
ひとつの大部屋に600人が詰め込まれていたという。
信じたくなかったけれど、まあ収まったんだろうなとギリギリ思える大きさの部屋。
フランクルの記述どおりの計算をしたらおおよそ600人、しっかり収まった。

戦争などについてドイツは反省して偉いねと思うけれど、わざわざ思い起こさせなくてもよいのではとも思う。
ドイツ人、3歳でも挙手は一本指で「Ich! Ich!」と言っている。
彼らはその意味や背景を知らないはずで、寝た子を起こすなと思ってしまう。
もちろん、傷ついた人の目の前では避けるべきかもしれないし、いつかは学ぶべきことだと思う。
ただ、はやすぎる。

風化させてはいけないけれど、どこかに保管されなくてはいけないけれど、全面に押し出していいものだとはやはり思えない。
過去のものだし、現代の誰もあの過去に責任はない。

去年の投稿をみたら、ダッハウでもやっぱり同じことを感じていた。
ただ、今回はあまりひどい気持ちにならずにすんだ。

狭い個室の、木の板でできた長椅子のようなベッドに腰掛けた。
おそるおそる、絶望的な気持ちになることを覚悟して。
座った瞬間、生きなくてはと思った。
ああ、わたしは、人間は、生きなくてはいけないのだ、と。
Trotzdem Ja zum Leben sagenが染み入った。
それでも、生きるしか、道は残されていないのだ。

最近、やっと、生きるしかないということを受け入れられた気がする。
なんとなく、これだけ死ねないのだし生きるしかないのだなとは感じていたけれど、お喋りしたり本を読んだりする日々の中で考えたことと、テレジンでの感覚が奇しくも一致した。
両方とも自分の中で起こったことだし、偶然なんかじゃないか。

高校生のころ、知っている人がふたり自殺した。
強烈にいいなと思った。ひどく羨ましかった。
ずるいとさえ感じた。
人って、がんばったら死ねるんだって知って、死ぬことを諦められなくなった。

もう誰も死なないでくれ。
人間は、それでも、それでも人生にYesと言うしかないのだから。



Yesと言うために必要なのはPRADAでもCELINEでもLONGCHANでもMONCLERでもGUERLANでも世田谷区の一軒家でも夜景ディナーでもなく、人生の意味。フランクルによるとね。

それを見つけるための苦しみなら人間は厭わなくて、だからそれを逆手に取って搾取してゆく人たちも資本主義下には一定数存在するのだけれど。

高いバッグも美味しいだけの食事も、与えられてるだけじゃもう飽き飽きしてるし、どんなプレゼントもお手紙とかお花とかには敵わないよね。

あなたの生きる意味はなんですか?
みなさんよいクリスマスを!

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