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アラサー、結婚したいのかわからなくなった。友達がほしい

久しぶりにnoteを書く。
家に一人なのですが、読書をする気力もなく、勉強するか〜と思うもなんかもやもやしてツイッターばかり見てしまうので。正しくはインスタもfbも noteも3周くらいした。

タイトルの通り、結婚したいのかわからなくなった。
大学生くらいまではずっと、早く結婚したいな〜と思っていた。自分で働いて生きていくなんて考えられなかったから。ていうか、働いてまで生きるなんてそんなアホな…と思っていたから。まあ今でも思わないこともないのだけれど、30にもなるとフェミニズムに片足突っ込んだりもするわけで、あとまあ根底には人の世話になってまで生きるなんてそんな恐れ多い〜という至極真っ当なエンデも存在するわけだ。そして何より、「じゃあ死んどく?」みたいな発想を簡単に実行に移せなくなるのが30歳である。つまんない大人になってしまった。行動力だけはあると思っていたのだが、子供3人成人させてから自らこの世に別れを告げる、みたいなタイプの人間ではなかった。凡人。
というわけで紆余曲折ありドイツに来て、紆余曲折あり気がついたら定職につき経済的な自立というものをやり遂げたわけなのだが、となると働けない=お金がないから結婚する、という式が成り立たなくなった。
とはいえ30歳、結婚というものを目にし考える機会の多いこと。
する必要はない気がするけどしたい気もする、そんなことをぼんやりといつも胸に抱えているエンデは先日、紙に全てを書き出した。頭が悪いので文字にしないと何も理解できない。そう自分の思考さえも。

以下はそのまとめである。

結婚したいのかどうか

細分化しなければ漠然としすぎて何もわからなすぎる、1番のテーマである。
率直に言うと、自分でもわからない。
ネガティヴな理由として、一人の人とずっと一緒にいることに耐えられなくなることを心配している、というのがある。
耐えられなくなるというのは、自分が相手に飽きるとか興味を失うとかも勿論あるけれど、それを努力によってなんとか改善するなり関係性を持続させようと奮闘できる気がせず、結婚しようとまで思ってくれた人を傷つけたりするのではないか、という心配である。
つまりここでも加害者になることが怖いわけだ。被害者になるのも勿論嫌だけど、だから恋人が結婚とか言い出すと「この人ハラスメントとかしだすと思う…逃げなきゃ…」といつも思うわけで、とはいえ被害者になれば心配してもらえるし保護もしてもらえるので、かわいそうな自分に酔うのが得意なエンデは加害者になる方が気に食わないのである。

ポジティヴな理由として、やっぱりずっと一人でいるのは嫌だなあ、というのがある。
私は一人っ子であり、昨年には父を亡くしている。母親は健在だが病気でまともな話ができず、従姉妹など親戚はそれなりにいるもののカルチャーが違いすぎるしクローズとは言えない関係性。そもそも私はドイツにおり、物理的な距離もある。
一人になるのが嫌だから結婚したい、というのはとてもエゴイスティックに聞こえる。まあ実際そうなのだが、いつかは身を固め、お互いの存在を気にかけ合う存在の人と生きていけたらなあ、と思う。
パートナーシップでもいい気もするが、それでは私がふらっとどこかに行ってしまう可能性があり、良くも悪くも少しは縛られていた方がいい気がしている。どうせなら覚悟を決めて結婚したいよねえ、という感じもある。
あと、もし子を持つのであれば、特に日本では戸籍などややこしいので結婚した方がいいだろうなあと思う。夫婦同姓問題などあるけど事実婚とかしんどすぎるでしょ…。ていうか結婚する覚悟も持てない相手の子とか生み育てられる?私は無理。。

子供が欲しいかどうか

普通に無理すぎるvsやっぱりいいなあ
がいつまでもせめぎ合う。

ネガティヴな理由として、いやいや自分の遺伝子を残すとか無理すぎる…私の血はここで終わらせる!という長年の強い想いがある。それに加え、まともな子育てなんて絶対にできないという強い確信もある。自分がされたように自分の機嫌で子に八つ当たりしたり殴ったり経済的な圧をかけたりすると思う。将来そんなことになっても全く驚かない。悲しいけれど。

ポジティヴな理由として、なんだかんだで子供って可愛いなあと思うし、なんだかんだで普通というものに憧れる。
そして老いた時に「やっぱり子供ほしかったな」と後悔する気がする。寂しいというか、虚無というか、まあこれもエゴ。

つまり
1.このエゴをエゴとして認められ、
2.「もう大丈夫、虐待なんてしないし、危ないと思ったら助けを求められる」と思え、その準備も整い、
3.もう片方の親となる人に精神的にも経済的にも迷惑をかけずにいられるだろうという自信が持て、
4.かつ多少の迷惑は受け入れ合え協力しあってやっていけるだろうという信頼感に包まれたとき、
初めて子を持つことについて検討できるのではないだろうか。
そしてこれらを一緒に考えられる人とであれば、結婚してもいいのではないだろうか。
道のりは長い。

1.このエゴをエゴとして認める
まあこれはどう考えてもエゴである。子を持ちたいとか誰かと一緒にいたいとか、全てエゴである。これを認めるのは容易い。
というわけでクリア

2.虐待なんてしないし、危ないと思ったら助けを求められると思え、その準備も整うとは
そんなん思える日が来るのか?わからん。どう足掻いても無理な気もするし、この考えを払拭しようと努力したことがないので未知数とも言える。
しかしこれは基本的に自分自身の問題なので、自分でdran arbeitenするしかない。

3.精神的にも経済的にも迷惑をかけずにいられるだろうという自信とは
経済力について、まあ日本に家はあるし今はとりあえず働いてるし、最悪の場合でも野垂れ死はしなさそう。しかしこの先どれだけのお金を稼げてどれだけの暮らしができるかは誰も何もわからない。ずっといい仕事に就けるという確信なんてないし、不安ではある。
この不安というものはまあゼロになることはないと思うが、ある程度払拭するためにできることとして、キャリア形成がある。
当面の間は、働けるという証明?実績?のためにあと2年くらいは働き続け、なにかしらの資格取得でも目指そうと思う。できれば国際資格で。

精神力について、1箇所に依存しすぎることを防ぎたい=依存先を増やすべきである。恥ずかしがらずオープンになんでも話す練習が必要である。友達が必要とも言える…。
また、相手が怒るのではないか、などの心配をし話し合いを避け、結果として甚大な問題を引き起こす厄介な癖があるので、やっぱり恐れず感情的にならず問題提起と解決をできるようになりたいと思う。大事なことは放っておいてはいけません。これも練習あるのみか?

上記2つに加えて語学力も必要である。
今後もある程度は日本の外に住み続ける可能性が高く、他人の世話になりすぎて自分のこともできないのかよ…と思われたり自分で思ったりするのは精神的にも良くないからである。
手始めにドイツ語C2、英語TOEFL100でも目指すかあ、と思う。ドイツ語は先日テキストを買ったので、今年中にでも…と考えている。

4.多少の迷惑は受け入れ合い協力しあってやっていけるだろうという信頼感とは
これは3.が解決すればだいたいクリアな気がする。というのも、ここでも対話と経済力がカギになる気がするからである。
対話とは、日頃から些細なことでもすぐに話し、自分や相手の気持ちや考え方をシェアすることだと思うのだが、私は「あれがしたいこれがしたい」を恋人に伝えるのがどうも苦手で、というのも拒否されたらどうしよう、怖い、嫌だ、言うのやめとこ…と逃げてしまうのだ。
それらを恐れることなく伝えられるようになり、拒否された場合でも不安にならず、つまり自分の価値などを疑わずに済み、自傷も他害もせずにいられるようにならなくてはならない。

経済力について、やっぱり経済的に依存していると相手の意見に合わせざるを得ないことが多々ある気がしている。逆の意見を提示したり対話をしたり、の基礎が崩れてしまう。というか経済的に頼っているのにボス顔できる昭和の九州女性みたいな(偏見)逞しさは持ち合わせていないので、ならば金くらい自分で稼ごうじゃないか、ということ。
この一連の不安がなくなったら、その相手とは結婚や子育てなどができるかもしれない。
まあお金がないからって自分の意見を出せない相手と結婚や子育てをするなんてどうなの、という思いもある。誰だっていつだって全てを失い得るのだから…。

色々考えて書いてみたが、やっぱり結婚したかどうかはわからない。子供が欲しいかもわからない。多分、欲しくない。わからないけど、どうしても子供が欲しくなった時のために、せめて自分サイドの問題は解決して結婚できる状態にしておきたいなあと思う。
だから上記を少しずつ計画的に潰していこうと思う。

というようなことを、昨日はだらだらと考えていた。
生理前でシュンとしていて、一人だったので悲しくて泣いてしまった。友達いないよーうって。
友達ほしいね。依存先を増やすためにも友達を増やしましょう。
おやすみなさい。

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