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それからの人生のほうが長いと気がつくのに10年かかった(2)

古参読者さまたちからは、なんで急にまたnote書き出したんだろう、しかもまたなんであの頃のことなんて散々書いたようなテーマで、とか思われそうですが(古参読者なんているのか、、?)、最近全然まともな文章を書いていなくて、まあ仕事ではニュースっぽい日本語を定期的に書いているのですが、とはいえこうなんというか、文語と口語と感情の折り混ざった何かを書き出す能力が瀕死状態だなって感じで、自分の感性が死んでいくのを看過できなくて、書きたいことが出てきた時に書けなくなってたらどうしよう〜と不安になったので、まあトレーニングもかねてまた定期的になんか書くか〜ということ。なんでまた何度も書いたようなテーマを、というのはまあ、それしか書けそうなことがなかったから、つまり私の人生なんてそんな薄っぺらで凡庸だということなのでしょう。

前回の記事を書いたときは、続編で何を書くかしっかり頭の中にあったのに、今日はもうだめすっからかん。

それから何にも本当の興味が持てず大学に行っても人間が多すぎて毎日体調が悪くなっていた。というか自分はお金がいっぱい必要な人間だとかわからなかったから、いっぱいお金を稼ぐために何か準備や努力をするなんて考えもしなかった。あと労働ってただ苦しいだけだと思ってた(まあ日本で働くのは死に直結すると今でも思ってますが)し、そもそも働いてまで生きなきゃいけない??とスクランブル交差点の片隅で電光掲示板を眺めていた。

気がついたら大学を卒業しどこの誰でもなくなった。精神がドイツ鉄道のダイヤ並みに乱れて入院や警察沙汰を繰り返した。

世の中を少し見学して、クソみたいな人間と十分すぎるほど接点を持って、世を嘆くだけのこの章はそろそろ終わりかなと思った、気がしなくもない。
とにかく私は船とシベリア鉄道でドイツに来て、まあこっちでも思い出すだけで吐き気がするほどいろんな嫌なことや大変なことがあって、毎回そろそろ死ぬかー!!と思ったが、なんでかまだ生きている。

生きているし、今後もまあ生きる気がする。

それからの人生のほうが長いって、いつ思い出したんだっけ。忘れちゃったし、何を書きたかったかもやっぱり思い出せない。こういうのが嫌だから、毎回思ったことはその場で全て書き留めておきたいって、そういう気持ちで昔はnote書いてたんだよな。

これからも定期的になにかしら書こうと思う。

書きたかったこと思い出せるといいなあ、思い出せますように。
おやすみ地球

新しい読者さんがいいね 付けてくれた超過去記事、読み返したら面白くて笑っちゃった。いいな〜またこういうの書きたいすみ

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