天使の卵―エンジェルス・エッグ―/村山由佳


子どもの髪のようにさらさらで、節のない竹のように強くてしなやかで、淀みもない。すーっと染み込んできて、まるで端から私の一部だったかのように溶けてなくなる。

そんな小説を読んだ。

文庫↑Kindle↓


19歳の予備校生が8つ年上の女医と恋に落ちる話だった。
プロットとしてはありきたりで、使い古されて、面白味に欠けると評されても納得のいくものだった。
特に驚くようなどんでん返しがあるわけでも、ひどく血の流れる事件が起こるわけでもなかった。

ただ、表現が。表現が驚くほどに美しくて、正確だった。

正直に言えばこの本を買ったのは主人公と同じ19歳の時分だった。当時は買ったはいいが最初の数ページで飽きてしまった。爽やかすぎる感情の描き方を、回りくどいように感じていたのた。

本棚に窮屈に並べられっぱなしのこの本の背表紙が目に入り、読んでみようかなと手に取ったのは今朝のこと。
この歳(年齢非公開だけど!)になって、感情や感性を美しく描くことの重要性にようやく気がつけたらしい。読み始めてすぐに私は歩太にも夏姫にも渋沢さんにも父親にも母親にも春妃にも、そしてフクスケにさえなった。なった気がした。

私の好きな作家さんのうち、心の機微を描くことが得意なタイプなのは重松清さんだ。重松さんの作品の登場人物で私が好むのは大抵が小中学生だった。
なぜかと問われても自分でも正解はわからないが、おそらく小中学生の頃の自分を慰めたいという思いで、救いを求めて読んできたのだと思う。

今もそれらの作品はやっぱり大好きだが、今回この作品のこの主人公の語り方や視点、切り口などが素敵だと思ったのには、今の私が慰め救いたいと思う対象が上がってきたからなのかな、と少し感じた。
それなら初めてこの作品を読んだ時に違和感を覚えたのも、納得がいく。

まあ単に子どもすぎてこの綺麗すぎる高度な表現についてこれず、要するにそれらを感じとる器官が発達していなかっただけかもしれないけど。笑

解説にもあるように、「失われた言葉を再生させる試みが文学」なのだと私も思う。
翻訳なのである。

のことはさっぱりわからないが、模写でさえ一瞬ではあれど対象物から目を離し、記憶の中の対象物を、描く。その対象物から発せられるメッセージも組み込んで、描く。
小説も同じかもしれない。いや、小説に留まらず、すべての「書き物」も。それだけでなく、芸術や、そんなに大層なものではなくとも、目に触れるものはすべて「表現」であり、「表現」とは目に見えない何かをなんとかして他者に正確に伝えようと足掻く手段なのかな、と思う。

その「翻訳」とか「表現」とか、言葉は様々だが、見えないものを正確にダイレクトにそして何より美しく穏やかに伝えることが村山由佳さんはとても上手なんだな、と感じた。

小説の中にでてくる小説を読もうと思ったのも久しぶりだ。
この作者が好きな作品なんて、どれだけ綺麗で不完全で完全なのだろう、とワクワクしている。







持病のぎっくり腰がとんでもなくひどいレベルでぎっくりしてるので今日は更新を諦めかけましたがどうしてもこの本について少しでも書きたくなったので書きました。
レンコンのはさみ揚げが上手にできたのでよしとします。

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