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このままでいいのだろうか

この年にもなってそんなことを考えるなんて。

しかもこれといった不安要素があるわけではなく、漠然と。

まあ要因がないわけではない。

ずっとドイツに住むのかとか、じゃあ日本の家はどうするの?とか。誰も住んでないのにもったいない。けど売るなんて考えられない、だって家があるってすごく大きな安心感。まあそれは置いておくとして、母親はどうするの?折り合いが悪いとかの次元ではなく本当に体調が悪くなるのでできるだけ関わりたくないのだが、例えば母親がボケたり、一人で暮らしていて体を悪くしたり、そんな障害となることが突然起こったらどうしよう。この国にいたら、そんなに簡単に一時帰国なんてできないし。

そもそもドイツにずっと住めるかもわからない。住みたいかもわからないけど、住みたくても住めなくなるかもしれない。働けなくなったら就労ビザ終わりで滞在許可終わりで日本に帰ってくださいねーじゃん。日本に帰りたくないわけではないけど、帰ってもやることないし。いやまあまだ帰りたくないな。老後は日本がいいけど、ああじゃあその時に住めるように家は売らずに持ってた方がいいか。いや待て耐震性とかどうなの?30年後とかもあそこは住んで平気なの?え、てか定年まで30年そこそこしかないの?信じられない…。

まあ上記は割と具体的な「このままでいいのだろうか」だけれど、そうじゃなくて、本当はもっともっと不明瞭でぐちゃぐちゃしていて、それでも確かに存在する「このままでいいのだろうか」について書きたいんだ。

仕事があって、収入があって、自分名義で家を借りて、Wi-Fiの契約もして、料理がめんどくさかったらWoltで注文できる。チーズが必要になったらオンラインでイタリアから注文するか、チーズショップで試食しながらこれ、って切ってもらう。あーなんか疲れたな違う景色がみたい、と思ったらハイデルベルクまでデイトリップできるし、先週は思い立ってベルリンに行った。2日前に決めてハイアットに泊まるなど、まあ端的に言えばそれなりの余裕がないとできない生活を送っている。アイスは毎月クール便でオーダーだし、来月はまたEU内の旅行をする。

毎日しっかり眠れて、美味しいものを食べられて、楽しいねハッピーだねって笑えている。これが幸せじゃなかったら何か幸せなの、というくらいに毎日幸せだ。平凡だけれども、ありふれているようで全然当たり前ではない、それでも確かに存在してくれている、私の今の幸せ。

こんなに幸せでいいのだろうか、と思う。何不自由なくて、これ以上何かを望むなんて、と思う。

それでも私の脳内には、もっと何かをしなくては、頑張って何かを達成して、努力は報われるんだから、もっともっともっともっと、と囁き続ける昭和のおじさんおばさんが住んでいる。何かを成し遂げて何かを手に入れなければならない、そんな焦燥感がいつもついて回る。

ドイツ語をまともに話せ、英語もできて当たり前だ、仕事に関わる勉強もしろ、なんなら資格とか取れ、食いっぱぐれないように大学とか行ってもいいのでは、そのために貯金をしろ。やれやれやれやれやれ。やれば自分に返ってくるぞ。やらなくても返ってくるぞ。

全部やりたいことな気もするし、別にそうでもない気もする。出来た方がいいだろうな、と思うことばかりだけれど、本当にやりたいことって他にある気もする。わかんないけど。

なんだろう、やっぱり小説とか書きたいなと思う。書きたいと言っておきながら書かないのは書きたくないんだろう、という声がわんさか降ってきそうだが、まあ、書きたいんだよなあ、とずうっとぼんやり思う。

今はまだ書けそうにないけれど、そろそろまた何か、定期的に書いたりしたいなと思う。日記から始めてもいいけど、最終的には長い長い物語を、しっかり心から書きたいな。

おわり

***

昨日、別の街に住む日本人の友人と電話をしたら、人が死ぬことを「不幸がある」と表現していてたまげた。

彼女はもうこちらに住んで10年ほどで、大学にも行った。それでも「不幸がある」なんて表現がサラッと出てきて感心してしまった。

私なんてどう足掻いても「亡くなる」くらいまでが限界である。普通に話してたら「死んだ」とか平気で言う。めちゃくちゃ頑張ったら「お隠れになる」とか出てきちゃうかもしれない。「不幸がある」なんて出てこない。すごい。彼女はすごい。

物書きを目指すのであれば、日本語の本もちゃんと読み続けようね。

お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。