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雨に負けないくらい泣いたことはありますか



10代のわたしは正しかったなと、最近よく思う


出来ることや出来そうなことだけやっていれば天才に見えるんだな、と気がついたのは16歳のときで、それから基本的に向いてなさそうなこととか出来ないこととかやりたくないこととかからはガンガンに逃げる方向で人生をやり過ごしてきたんだけど、なんだかんだだいたいいつも優しい誰かが助けてくれて、だいたいいつもなんとかなっていて、いろんなことが出来ないなりにうまいこと生きてこれたな、と思っている


小学生のころ、同性のお友達がよく
「男はバカだから」
と言っていた

ちびまる子ちゃんも
「ハマジはバカだねぇ〜」
みたいなことを言っていた気がするし、小学生女子からすると男はバカでバカで仕方がないのかもしれない

まあ、男女二元論で考えるのもバカなので男がバカかどうかは置いておいて、
「男に言っても無駄だから」
みたいな気持ちはわからなくもなくて、というか男に限らず言っても無駄な人や無駄なことっていうのはこの世に確かにたくさんあって、だから男にも女にも、なににも負けない強い女になりたい


そんなようなことを17、8歳のころmixiに書いていた





そう、わたしは強い女になりたかったのだ


果たしてあれは本当に私だったのだろうかと疑ってしまうほどに、その後の7年間くらいは男に依存しては頼りにならないと失望して、だからといって強くなれずにいる自分にも幻滅して、世界にも絶望して、ただ酸素を二酸化炭素に変えただけだった。

強く賢くならなくてはと声高に叫んだ記憶は確かにあるけれど、あのわたしとその後のわたしが同じ自分だなんて信じられないほどに、言動が乖離している。
この自分の人生をあの自分が歩んできたなんて、事実ではないのではないだろうか。
なんて、懐疑的になってしまう

ふわふわとしたこれはほんとうに現実なのだろうか
あるいはあれが現実ではないのだろうか
もしくはどちらも虚構なのだろうか、なんて


「泣きながら食事をしたことのある人は大丈夫だ、ちゃんと生きていける人なんだ」



というのがなんの小説のどんな場面で出会ったフレーズだったかは忘れたけど、千と千尋で千尋がハクのおにぎりを食べるシーンとともにときどき思い出す

そして
「わたしは大丈夫だ」
と泣きながら思う








もう師走も半ばで、今年が終わってしまう焦りも確かにあるけれどそれより「ああ今年もなんとか生ききったな」という気持ちが大きい


まだまだ魔法は使えるようにならないし空も飛べないけど、キキのようにすこしずつ修行の旅で自分を取り戻して確立させて、強くなれたらいいな



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