詩「踊り場」
踊り場に住んでいた時期がある
期間は1年ちょっと
理由は安かったから
踊り場に住む前は実家にいて
実家住まいの鳩子と姉が
アネモネつべこべ沸き立って
あんなことになったので
家族会議の結果ゆえに
何故か私が家をおん出されることになった
その頃、定職にもつかず
高等遊民になりたいと願っていたが
よくよく考えれば
高等教育を受けていないので
僕はただの平凡遊民にしかなれないのだ
とまあ、仕方がないので
安いアパートでも探して
バイトをしようかと
まずは部屋探し
いくつか見学する中で
出会った物件の一つ
古びたマンションは階の中ほどに
大きな踊り場を持っていた
タイルはところどころひび割れ
床は黒ずんでめくれていた
三階から四階へとあがる階段の踊り場には
スリムタイプの二段ベッドが設えてあり
僕は同行した仲介業者に「これはなんですか?」と尋ねた
「ああ、これも物件ですよ」と気のない仲介業者がいった
値段を聞くと相場の半額程度だ
「このベッド全体を使えるのですか?」
「ええ、このベッド全体を使えるのです」
「なら借ります」
仲介業者は驚きも喜びもせず、
ただ「はい貸します」と応えた
それからというもの、僕は踊り場に住み着いた
2段ベッドの下段には食料や生活用品を
上段は寝床と趣味のスペースだ
水場は1階の集合玄関脇にあり、
週3日に1度は銭湯に行った
頭を掻きむしりながら物を考える姿こそ
僕の求める哲学の姿であるから
多少の不潔こそ私の姿であった
住人は僕を珍しい存在とは見なかった
前にもここに住んでいた人がいたのだ
前例とはこんなにも
習慣を開拓するものかと感動した
住民の全容を知ることはできなかったが
2階に住む小学生のアラン君は一階から四階までの
昇り降りを繰り返した
いじめっ子をやっつけるためのトレーニングだと
僕に話してくれたことがある
しかし、その姿は孤独に見えた 僕も返事を返さなかった
四階の端っこに住む女学生の桃子さんは
毎日食パンを持って出かけた
街角で運命の相手と出会うためのおまじないだと
三階のご老人である船橋翁が話してくれた
ここでパンを咥えないということは
僕との出会いはお断りということだろう
三階の主婦と四階の主婦は1階の主婦と2階の主婦と仲が悪く
いつも井戸端会議がこの踊り場で行なわれる
多い時には20名を越すものだから
その会議の様子は圧巻であった
下階を束ねる主婦将軍の葉山さんをいかに失脚させるか
様々な意見が出る中で、
四階の主婦である佐藤さんがぼそっと呟いた
「あの人は万引き癖があるから、そこを突けばいい」
という提案であった
僕は支持したが
佐藤さんは虚言壁を持っていたので
誰も相手にしなかった
サラリーな男どもはつまらないもので
上か下かを見るだけで、
過程である私のことなど気にも留めなかった
踊り場では誰も踊りはしなかった
会議もネズミもゴキブリも害虫駆除業者も踊らなかった
強いて言えば太陽だけが躍った
なんて詩的な言葉も言えるが
実際を言えば同じ方角から現れ
定時退社のように夕暮れて
夜に仕事を手渡しした
その間を義務的に照らすだけで
太陽も人間も同じことだ
強いて言えば妖精が躍った
なんて小説的な展開も語れるが
妖精たちも不定期に現れて
わちゃわちゃ何かを貪って
酒をかっくらうだけ
それは水道トラブル五千円みたいな
突発的な何かに過ぎないと感じた
妖精も人間も同じことだ
強いて言えば
女が僕と踊った
なんてポルノ趣味小説のような妄想も吐けるが
女も僕も気分などいざ知らず
一方通行の感情を僅かに堰き止め合う
嫌々ながらのシーソーゲームのようなものであり
つまりそれだって色づきながらも無為な営み
村上春樹言うところの文化的雪かきのようなものに過ぎない
学がないのに見栄をはる
僕を頼るものが一体どこにいるだろう
強いて言えば
鳩子が躍った
そんなことがあれば
僕の人生はもっと社会のために
なっただろうけど
日々を湿った布団で過ごしつづけて
誰からももう愛されることもないのだ
そう思えば自然に涙が溢れた
それがまた布団を湿らすのだ
踊り場では誰も踊らなかった
一年ほどした夏の入りの頃
鰻のタレで布団を湿らせることを考えていた僕をよそに
大家と仲介業者が足腰つねづねじゃれあって
そのベッドが大家の部屋に必要だから出て行けと言う
それで仕方なく
荷物を小さくまとめて出ていった
ここまでが僕の話であるが
語り手を神様に業務委託して引き継げば
ベッドの隙間にねじこまれた
小さなメモ紙が一枚
前の前の借主が残した一枚
僕を含めて発見したものはまだいない
関係ない話でしめたいものだが
夕暮の墓石に水をかけるものもまたいない
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