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いつかの旅 広島編


瀬戸内海が好きになったのはいつの頃からだろう。
JR西日本のCMが流れていたのをみた。
山口百恵の「いい日旅立ち」をバックに青い空とポコポコ浮かぶ島々。
夏の空気をいっぱいつめこんだそのCMをみてから、瀬戸内海はわたしの夏になった。

夏の広島へと旅にでた。
じりじりと照りつける日差しと入道雲が夏を盛んに演出している。
まずは、原爆ドームへと向かった。
世界中から観光客がやってくる場所だ。
こんな夏の暑い時に、あの戦争は終焉を迎えようとしていたんだな。
原爆ドームは想像していたよりもこじんまりとしていた。
屋根もなにもかもを吹っ飛ばして、骨組みだけになってしまった。
白黒でしかなかったあの日のおおきな炎の球が、鮮やかな色を帯びるようにまぶたの裏を焼き尽くす気がした。
原爆が落ちて、太陽が爆発したみたいになって、たくさんの人たちが風のようにとばされて、光のようにいなくなった。
今は平和ぼけしてるみたいに緩やかに流れるドームの隣の川にもどれだけの人が苦しさから逃れようとして飛び込んだのだろう。
そんなことを想像しながらあたりを見回す。

翌日の朝、歩いて原爆ドームへと向かった。
どうしてももう一度行ってみたくなったのだ。
足早に仕事へと向かう人たちの中をドームへ向かう。
原爆ドームは昨日と変わらず、あわただしい朝の空気の中にぽつりと立っていた。
行き交う人たちはドームには見向きもしないで、前だけを見据えて過ぎ去っていく。
ふと、スーツ姿の初老の男性が立ち止まった。
20秒ほどだったろうか。
じっとドームを見据えて動かない。

夏の朝、彼は75年前にタイムスリップしていたのだろうか。
朝の喧騒の中であの場所だけが切り取られたノートの切れ端みたいだった。
人々の日常の中に非日常が重々しい形相ではなく、幾重にもとりまいている。
男性は静かにたたずんだあと、人々の中に紛れて「日常」になった。
あの夏はまだ深々と息づいている。
そう思った。

  

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