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【育児備忘録】私たちはBluetoothみたいなのでつながってる


 

 出産という大きな節目を境に、決定的な違いと呼べるものはいくつかあるけれど、そのうちのひとつに「とうとう私たちは別の人間になってしまったんだな」というある種の切なさが私にはあった。

 夜中の破水からはじまったはじめての出産は翌日の夕方までかかった。大きなお腹に別れを惜しむ余裕はなく、気づけばこのお腹は空になってしまっていた。

  
 赤ん坊を無事この世界に生み出したことは真におめでたいことだけ。それでもかれこれ11ヶ月、自分の臓器のひとつみたいな感覚の生命体がある日を境に今度は自分の外側で、平然と他人に抱っこされているのを眺めているのはなんだかとても不思議な感覚。

父親よりも11ヶ月多く一心同体で過ごしていたアドバンテージは、息子が2歳になった今でも残っていて(そのアドバンテージだけじゃないと願いたいが)、夜中すやすや眠っていたのでトイレに行こうとするとすぐにバレる。

なぜだ。
パパでは決してそうならないのに。

 この一定の距離から離れるとバレる謎の現象。これは赤ん坊のときからそうだった。

 それはまるでへその緒を分断した後もBluetoothのような見えない何かでつながっているようなイメージ。

 

 ばっちり寝かしつけたはずなのに、別の部屋に行くと気づかれる。逆を言えば、そのBluetoothがつながる範囲の中にいればご機嫌でいてくれる。
 
そう思えば後追いも説明がつく。母とのBluetoothが切断されてしまうのは生物学的にも安全圏から外れてしまうようなものなのか。

 
 真夜中目が覚めて、暗がりで「ママぁ……」とか細い声でマットレスをハイハイしてやってくる息子。私のおっぱいがまだそこにあることを確認し、腕の中で再び安心したようにちからが抜けていく小さな身体。

子育てって時々とてつもなく清らかな一瞬がある。ツライんだけど、ねむいんだけど、こういうわずかな一瞬に母の魂はとてつもなく癒やされてしまう。

もうしばらくの間は、私は息子とこんなふうにまるでひとつの身体のようにぴったりくっついていたい。

 

 


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