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ブッダの瞑想の境地 色界の四禅、無色界の四禅、さらに上の想滅受

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ブッダが求める瞑想の境地

ブッダが求める瞑想の境地は、

「色界」・「無色界」より上の「想受滅」になります。

ブッダが実在した当時のバラモンは祈りの祭司をして、
バラモンは身分制度の「ヴァルナ」をつくりあげ、一番高い階級の支配者「バラモン」となり祭事独裁主義で国を支配していきます。

宇宙を司る神様のブラフマンに祭祀(さいし)をするのがバラモン教です。

バラモン以外の出家者の沙門(しゃもん)は梵我一如(ぼんがいちにょ)で解脱を目指します。
独自に真理を追究して、宇宙を司る神様の梵天のブラフマンと、自分の心にいてる「我」のアートマンとを一体化させて解脱する梵我一如(ぼんがいちにょ)のウパニシャッド(奥義書)で解脱を目指したのが沙門の修行僧です。

しかし、ブッダはこの自己を司る「我」のアートマンも徹底的に否定しています。

ブッダが出家して得た瞑想の境地

ブッダは出家して当時有名なアーラーラ・カーラーマ仙人のもとで修行します。

そして、アーラーラ仙人が教える最高の瞑想境地である無色界の「無所有処」(むしょうしょ)をすぐに体得してしまいます。

次に、ウッダカ・ラーマプッタ仙人のもとに行って修業を始めます。しかしウッダカ仙人が教える最高の境地の「非想非非想所」(ひそうひひそうじょ)も簡単に体得してしまいます。

ブッダは苦行を始める

仙人の境地を体得した後、さらなる境地を目指すため、仙人のもとを出て一人で苦行を始めます。29才で出家して35才の成道するまで、苦行を徹底的に実践する修行者でした。しかし苦行では覚ることができないと実感して、苦行を辞めて成道するまで瞑想すると決意します。そしてみごと瞑想で成道を果して「真理」を体現したのがブッタです。

ブッダが成道した瞑想の境地

瞑想で開けてくる、心の三界の世界の頂点の「非想非非想処」でもまだ、想う気持ちの「想」(そう)と感受する気持ちの「受」(じゅ)が存在します。

ブッダが伝える仏教では、想う気持ちの「想」と感受する気持ちの「受」までもが、消えてしまう境地を教えています。その境地を体得する修行者は修業完成者の阿羅漢(あらかん)になります。阿羅漢になると、「輪廻(りんね)はつきて、もうこの世に再生して生まれてこなくなる」解脱者となります。

ブッダの体現した真理のひとつが『諸法無我(しょほうむが)』
ブッダは瞑想で「成道」をして、ありのままの真理を如実知見をしました。そのありのままの真理の一つが、自分には我がない、「諸法無我」(しょほうむが)の、自分は色・受・行・想・識の五つの要素、五蘊(ごうん)の縁起で成り立つ真理です。

成道は煩悩を尽くした涅槃の境地

涅槃(ねはん)の境地とブッダの死のイメージの違い
ブッダはさらにその上の、完全な涅槃(ニルバーナ)の境地にはいったと第16経大般涅槃経(だいはつねはんきょう)に表現されています。

長部経典第14経「大本経」には、涅槃(ニルバーナ)は現世で煩悩を消滅した境地で表現されています。しかし、長部経典第16経の「大般涅槃経」のエピソードでは涅槃は死後のイメージが表現されています。

涅槃のもともとの意味は「煩悩の火が消された状態」で、もともと現世で煩悩を消滅した境地の意味だったのが、煩悩を消滅した「解脱者の死」を意味する見解が強くなる。と春秋社「原始仏典」長部経典Ⅱ注訳で浪速宣明先生が解説してくれいます。

詳しくはこちらでも解説しております。


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