見出し画像

伊藤野枝が100年前に燃やした炎を、心に抱えて生きようと思った話

今年、関東大震災が起きてから100年が経った。ということは、わたしが日本史上一番好きなひとが死んでから100年だ。彼女の名は伊藤野枝(いとうのえ)。明治・大正を生きたアナキストだ。

平塚らいてうらが発起人となって起こした青鞜社で執筆活動を行ったり、同じくアナキストでありパートナーの大杉栄とも雑誌を創刊したり、労働運動に参加したりしている。

私生活では親の決めた相手と結婚するも気に食わずに逃げ出し、通っていた女学校の教師である辻潤と結婚して2人の子どもを出産したり、すでに内妻や愛人がいた大杉栄と同棲して5人の子どもを生んだりした。

そして28歳でなぜか権力に殺された。

もともとの型がわからなくなりそうなほど型破りで、自分に正直にわがままに生きた野枝を知ることは、きっと誰かの光となるはず。特に、社会の空気や道徳に捉われ苦しんでいる人に、ぜひ彼女のことを知ってほしいと思ってこのnoteを書く。


ノリと勢いで、伊藤野枝の評伝を読む

わたしが野枝を知ったのは、いつだったのか明確な記憶がない。ただ、いつの間にか自由奔放に生きた人間であることを知っていて、強そうでおそらくわたしが好きなタイプの人間として、ずっと気になる存在だった。

政治学者の栗原康さんが著した『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(岩波書店/2016年刊行)のことも知っていた。気になりながらも、なぜか手を出してこなかった。手を出したら絶対に好きになるから、どハマりするのが怖かったのかもしれない。

そんなわたしが満を持して(?)本書を手に取ることになったきっかけは、2022年1月3日に放送された「100分deパンデミック論」。そこに著者の栗原康さんが出演されていたのだ。

正月ボケした頭でぼーっとみていたので、何をお話しされていたのかは今となっては覚えていないのだけれど「めちゃくちゃ面白いなこの人の思想!」と思ったことは覚えている。それで調べてみたら、「伊藤野枝の本の人じゃん!!」となり、勢いで購入して読むことになった。

野枝の強さにやられて惚れる

で、いざ本を読んでみるとめちゃくちゃ面白かった。やばかった。絶対好きになることは評伝を読む前からわかっていたけど、想像していた以上に野枝のことを好きになった。一生ついていきたいから結婚したいくらいだ。野枝は結婚制度を否定してるのに怒られそうだけど。

多分好きな人はめちゃくちゃ好きだけど嫌いな人には、それこそ殺されるくらい嫌われる人間だと思う。ちなみに、その好き嫌いが分かれるさまを、文庫版解説でブレイディみかこさんが「マーマイト(ビール作りにおいて発生する酵母を使った黒い食品。英国では誰もが知る食品だけど、好き嫌いはくっきり別れるらしい)」と表現していた。なんかかっこいい。

わたしは本当にめちゃくちゃ好き。さっきから好きしか言えていなくて、語彙力をどこかに落としてきた気がする。村についた火で焼き尽くされたのかもしれない。

野枝はとにかくわがままだ。でもそのわがままさが気持ちよくてかっこいい。そしてわがままなだけじゃなくて、社会システムの矛盾やおかしさをつく視点が鋭くて最高だ。

とあるシステムが当たり前とされている社会で自ら生きながら、その社会システムの変なところに気づくことは難しいはずだ。でも、野枝は社会システムに飲み込まれない。しっかりとそのシステムに異義を唱える。

それだけでなくて、そのシステムを壊そうと、その枠外で生きようと行動する。結婚制度がおかしいと思ったら結婚しないし、社会のバッシングに負けずに自由恋愛を謳歌する。この、思想を唱えるだけでなくて世間に何を言われようと実際に行動できるところがかっこいい。強い。そしてその野枝の強さやかっこよさを、栗原さんの独特の文体が増幅させている。

読んでいると、バイクに乗ってるみたいな感じと炎で煽られているような感じがする。自分で書いていてもよくわからないけど、とにかく激しくて、アナキズムを象徴する黒というよりも燃え盛る赤!!!って感じだ。

読んだのは1年半くらい前だったので、今回野枝について、というかこの本について書きたいな〜と思って久しぶりに読んでみたのだけれど、やっぱり何度読んでも伊藤野枝はかっこいい。

大杉栄にもちょっと影響を受けて会社を辞める

あと今回改めて読んでみて、意識していなかったけれど自分が本書から大きな影響を受けていたらしいことを知った。これは野枝の思想ではなくて、パートナーである大杉栄の思想なのだけれど、以下のような記述があった。

大杉は、これじゃ奴隷制とおなじじゃないかといっている。資本家と労働者の関係は、主人と奴隷みたいなものなんだと。おまえら殺されたくなかったら、オレのいうことをきけ、はたらけといっているのだから。人間が生殺与奪の権をにぎられて、交換可能なモノになる。それが奴隷制というものであり、こんにちの労働力商品という発想の根幹にあるものだ。人間が家畜のように、モノのようにあつかわれる。つらい。しかもおそろしいのは、長年、そうやっていうことをきいていると、奴隷たちのほうから主人を崇拝するようになってしまうということだ。身をけずってはたらいたら、ご主人さまがよろこんでくれた、もっとご奉仕しよう。ああご主人さま、ありがとうございますと。大杉は、これを奴隷根性とよんでいる。

『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』(岩波書店/2016年刊行/p130-131)

突然の自分語りとなってしまうが、わたしは5月からフリーランスになった。

その道を選んだのは、社長と価値観がほぼ真逆で、「この会社にいる自分は、わたしの理想の自分じゃないな!!」と思ったことや、かつフリーランスとしてやっていけそうだったこともある。でもそれと同じくらい意思決定の決め手となったのが、会社員ってわたし的には奴隷みたいだから嫌だなみたいな気持ちだった。

別に労働環境が悪かったわけでもなく、むしろゴリゴリに副業できるくらい時間に余裕もあったし休みも取れたし給料も別に悪くなかった。でもそういうことではなくて、会社にわたしの住む場所とか働く時間とかやりたいこととか自由を制限されていることが嫌でたまらなかった。かといって嫌だと言えば大多数の会社では働けないみたいな。

その赤の他人に生活を握られているみたいな感覚になんかめちゃくちゃムカついてきて、「じゃあもう価値観も合わないしやめちゃえ」ってやめてしまった。今は、もっと自由に自分以外の何にも縛られずに生きたいと試行錯誤しているところだ。

鎖を壊しながら野枝のように生きたい

本題に戻ると、正直この本に「労働者は奴隷」的なことが書いてあるのはすっかり忘れていた。でも今回の再読でこの本の思想が自分の中にガッツリと根を下ろしていることに気づいて、なんというかすごく面白かった。

ある本が自分の血肉になっていて思想を形作っていること、そして自分の人生まで左右していたことに気づくのは楽しい。ちなみに野枝はこの大杉の意見を応用して、「結婚制度も奴隷契約ではないか」というラディカルな結婚制度論を展開しているので、ぜひ読んでほしい。

万人に読んでほしいけど、冒頭にも書いた通り、特にもっと自由に生きたいけどなかなかできない人とか道徳とか慣習に縛られてしんどくなりがちな人とかに読んでほしい。彼女は残念ながら若くして殺されてしまったけど、不幸ではなかったどころか本人は充実感を持って人生を謳歌していたと思うし、そんな野枝のいい意味で激ヤバな人生を読んだらきっと元気もらえるのでぜひ。騙されたと思って買って読んでみてください。

こんなに野枝を激推ししておきながら、他の本はまだ読めてないのでわたしも野枝に関する本をまた読みたいです。野枝の死後100年経ってもいまだに燃え盛る炎を感じて、習俗ぶっ壊しながら生きていきたい。自由バンザイ。

▼コメントいただいたみなさん。ありがとうございます!


12月からフランスに行きます!せっかくフランスに行くのでできればPCの前にはあまり座らずフランスを楽しみたいので、0.1円でもサポートいただけるとうれしいです!少しでも文章を面白いと思っていただけたらぜひ🙏🏻