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もうマリー・アントワネットのような人が生まれてはならないと考える理由

彼女は、メディアに殺された。

たしかに彼女の振る舞いや行いは、彼女の地位にはふさわしくなかったかもしれない。でもそれは、命をもって贖わなければならないほどの罪なのだろうか。

彼女は、美しいものや可愛らしいものが好きだっただけ、自分の友人や好きな人を精一杯愛しただけなのに。


無邪気なわたしのマリー・アントワネット

彼女の名前は、マリー・アントワネット。おそらく世界でもっとも有名なフランス王妃だろう。名門ハプスブルク家からフランスに嫁いだ、ルイ16世の妃。

わたしは、小さい頃からずっと彼女のことが好きだ。

彼女との出会いは、母が持っていた『ベルサイユのばら』だ。多分早ければ小学3年生くらいで、遅くとも5年生の頃には読んでいたと思う。第一印象は、可愛くて美しくて可哀想なプリンセスであり王妃だった。今もその印象は大きくは変わっていない。

彼女は良くも悪くも王妃らしくないし可愛い。可愛いものが好きで、センスが良くて、伝統を嫌って自分の欲するままに振る舞おうとするところがとても好き。一緒にドレス選んだりマリーの恋人だったフェルセンとの逢引きを手伝ったりしたい人生だった。本当に友達になりたかった。

<フェルセンとは>
ハンス・アクセル・フォン・フェルセン。
スウェーデンの名門貴族・軍人。アメリカ独立戦争にも従軍している。

マリーアントワネットやルイ16世から厚く信頼されており、革命勃発後は国王一家の亡命の計画を立てて実行する。その計画が失敗したのちも救出を試みようとするなど最後までフランス王家のために尽力した。

革命後はスウェーデンに帰国して、自国であるスウェーデンの王に仕えたが、1810年6月20日に民衆の暴動により殺される。

フェルセンといえば、よくマリーの愛人と言われることが多いけれど、わたしはフェルセンのことをマリーの愛人と呼ばれると心が大反発を起こす。愛人というと、不倫とか汚らわしいイメージがつきまとうように感じる。マリーとフェルセンは汚らわしさとは無縁だしそんなに俗っぽくなくて、ただただ美しい愛なので、愛人ではそぐわなすぎる。端的に言うと、「そんな汚らわしいラベルをつけないでくれるかな!?」ということだ。

だってフェルセンって自分の財産投げ打って、命すらも賭けて、王妃でもなんでもなくなったマリーを最後まで救おうとするんですよ……亡命の計画も立てて自分で先導までして。失敗するけど。ちなみにフェルセンはその失敗を晩年まで後悔し続けて偶然失敗した日に亡くなってて、もうなんていうか……言葉にできない。

さっきも恋人という言葉を使ったけど、なんというかそれでも二人をちゃんと言い表せてはない気がするくらいだ。絶対的な愛すぎてこの世の言葉では形容できない。運命もなんだか安っぽいし。ライターとしてのわたしのちっぽけな語彙力なんてあの二人の愛の前には見るも無惨に敗北してしまう。

230年経っても残るデマ

閑話休題。

そんな感じでマリーに並々ならぬ愛着を持ち、かつ勝手にお友達みたいなつもりでいるので、彼女がメディアの垂れ流したデマや誹謗中傷で殺されたことも、いまだにそれが蔓延っていることも、わたしは常々腹に据えかねている。

フェルセンと想い合ってたのは本当でしょうけど、王子がフェルセンの子だとか贅沢三昧だとかレズビアンの淫乱だとかなんなんですか??そうやって叩かれまくって民衆に恨まれて行き着く先はフランス革命で全部奪われてギロチンとか理不尽すぎて意味がわからなさすぎる。

<フランス革命とは>
1789年7月14日に起きたバスティーユ襲撃事件によりはじまった、フランスにおける市民革命。市民が自由や権利を求めて立ち上がったこの革命の結果、王政が倒れ、フランスは共和政に移行する。

現在のフランス国家の標語である「Liberté, Égalité, Fraternité(自由、平等、友愛)」や、フランス国歌「La Marseillaise(ラ・マルセイエーズ)」は革命期のスローガンや軍歌がもとになって生まれたものである。

そのスローガンの通りに自由や平等を希求したが、革命に反対する外国との戦争や民衆の暴動などで社会不安が高まり、ロベスピエールにより独裁制が敷かれ大量の処刑が行われるようになる。そうした混乱を経て最終的にはナポレオンの帝政に帰結する。

というかフランス革命が成し遂げられてフランスが近代化するためには、王妃であった彼女も王であったルイも生きることは難しかったのかもしれないなとは個人的にも思うけれども、だからといって謂れのない誹謗中傷まで許されるわけではないんですよ。

その上に死後230年も経った今でも「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」なんて言ってもいないことを言ったことにされちゃって。なんて嘆かわしい。

この発言は1765年に出版されたルソーの『告白』が初出らしいんですが、1765年なんてマリーは9歳で、実家のシェーンブルン宮殿で楽しい幼少期を送ってたし、もちろんフランス王妃ですらなかったんですけど。言ってるわけがないし、10000歩譲って言ってたとしても彼女のそんな言葉をルソーが知ってるはずがないじゃん。

最初にそんなデマを流した人を呪いたいのはそうだけど、いまだにこれを言う人も全然好きになれない。そんなこと言ってないんだけど????うるさい黙れって気持ちにしかならない。

こんな感じなのでわたしは普通に王党派なんですけど、フランス革命は理念からめちゃくちゃ好きで、ロベスピエールとかサン・ジュストとか革命家側も大好きなの心がバグりそう。でも彼ら革命家もほとんどみんなギロチンで死ぬんだけど。

そうしてわたしの好きな人たちが文字通り血を流し命を散らしながらフランスができていったと思うと『君をのせて』の歌詞を思い出したりします。「あの地平線輝くのはどこかに君をかくしているから」……はあ、しんど。

彼女の運命から学ぶこと

でもこんな理不尽な目に遭うのに、理不尽な目に遭えば遭うほど人間的に成長しているというか、凛としてかっこよくなるんですよ。ハプスブルクの女の本領発揮すぎる。

<ハプスブルク家とは>
ヨーロッパ随一の名家。オーストリアを中心に、13世紀から600年以上もの長きにわたってヨーロッパのさまざまな国を支配する。

家訓は「戦いは他のものに任せよ、汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」。その家訓の通り婚姻を通じて発展する。

マリーアントワネットのほか、マリア=テレジア、エリザベート(シシィ)などが有名。

1918年にオーストリア皇位は失うものの、その後も断絶はしておらず今も存在する。

それまで政治になんてまったく興味なかったのに、フェルセンとめちゃくちゃ政治的な手紙やり取りして、なんとか自分たち家族がよくなる道を模索してて。

それが彼女にとって良い方向に作用したかというとそうではなかったように思うけれど、でもそれでも徹底的にできる限り自分たちの敵と戦っていて、その姿はなんだか胸を打つものがあります。彼女の母は、あの女帝マリア・テレジアですが、「マリア・テレジアの子だわやっぱり」と思ってしまう。かっこいい。

そうして戦うものの、夫のルイは処刑され、息子のルイ・シャルルとは引き離され、最後はギロチンにかけられてしまうわけです。

でもその最期の時まで彼女はエレガントで。死刑執行人の足を踏んでしまって、「ごめんなさい、わざとじゃないんですよ。でもあなたの靴が汚れなくてよかった」と言ったという逸話が残っています。これから自分の命を断つ人間に心を配れるの、人間力が高すぎてもうすごい。

いまだにマリーを軽薄だ贅沢なんだって言ったり「パンがなければ〜」とか言ったりしてる人間には、「お前は危機に陥った時にこんなに立派でいれるの??」と言いたいですね。

でもこれは自分にも言えることで、一面的な情報とか伝聞とかで、人を判断しないようにしたい。とはいえ耳にするすべての事柄に対して本当に正しいことか検証したり一次ソースにあたるのはなかなか難しいけれど、お仕事以外でもせめて何か発言するとき、特に批判的なことを言う時は、ちゃんとした一次ソースに当たって、事実無根のことで人を貶めないようにしたいなあと思うわけです。

そしてこう思う人が増えていって、彼女のような人を生まない社会になればいいなと思う。

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