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短編小説 碑

 十月二十八日木曜日、気温二七度、湿度八三%、北西からやや強い風が吹いている。
 昨晩から今朝にかけて強い雨が降っていたが、八時三十分現在時点では、大部分の雨雲は東南へと流れている。
 僕はベッドから身を起こし、身支度を整える。今日は賢人に合う日だ、ここしばらく雨が続いていたため、賢人の元へ行くことができなかった。
 僕は鼻歌を歌いながら、コーヒーを一杯準備する。未だにコーヒーの美味しさは分からないが、今日はどことなく甘く感じる。
 家の外から登校中の小学生の声が聞こえる。変声前の高く不安定な声を響かせ、子ども達が笑いあっている。
 僕は何かに誘われるままに、窓辺へと近づき湿気で重くなった窓を押し開ける。窓枠に腕をつき、前のめりになりながら子ども達の声に耳を傾ける。
 ランドセルの留め金をしていないのか、所有者の動きによってパカパカと開閉を繰り返すランドセルを背負い、子ども達は、かかとを踏んだ靴を「明日、天気になーあれ」の掛け声とともに高く飛ばす。
 秋晴れの高く、青い空に多様な色の靴が舞っているのを、僕は吸い込まれるように眺める。

 いつだったか賢人が言っていた言葉を思い出す。
あの日も、今日と同じような日だった。数日間振り続いた雨がやみ、どこか青臭く湿った匂いが鼻に着く日。
僕と賢人は、散歩がてら訪れた近所の公園のベンチに座りながら話をしていた。
「トウヤは神様とかって信じてる」賢人がおもむろにそう尋ねる。
「それを僕に聞きますか。そうですね…、僕は神様なんて信じてません」僕は、賢人の問に断言して答える。
 「やっぱり、トウヤはリアリストなんだ」賢人は目じりを下げ、意地悪そうに笑う。
 「天文学的な確率でも、そこに起こる確率があるんですから、どんな奇跡的な事でも【偶然】のひと言で片づけられます」僕はそう言うと、口をとがらせて隣に座る賢人を睨む。
 「まあ、そう怒るなよ」そう言うと賢人は立ち上がり、ベンチから少し距離を取る。
 「日本はさ、トウヤと同じ無信仰者が多い。でも、日本ほど神様が身近な国は他にない」賢人は前かがみになり左足の靴を脱ぎ、かかとを踏んでから再度履き直す。
 「トウヤ、こんな遊び知ってるか。日本に住む子どもたちなら大抵が知ってる遊び」賢人はそういうと、『明日、天気になーあれ』の掛け声とともに、右足を勢いよく振り上げる。
 靴は、まだ雲が残る灰色の空に勢いよく舞い上がる。しばらく靴は上昇した後に、重力に従って地面に落ちる。地面に落ちた靴は数度跳ね、靴底を上にして静止する。
 「どうやら明日は雨のようだ。トウヤ、僕たちはこの時何に祈っているかわかるか」賢人は靴を拾い上げ、泥を払い靴を履きながら僕にそう尋ねる。
 「えっ、何って…。天気の神様とかですか」僕はその質問の意図を理解できずあやふやな返答を返す。
 「そうだな。それも間違えではないだろう。でも、多分子ども達はそんなことを考えてないんだよ。天気の神様なんていう明確なものではなくて、『明日の天気を知りたい』だとか、『明日は晴れがいい』とか形のない漠然としたものにお願いしてるんだ」
 「はぁ、そんなもんですか」
 「ああ。宗教的な神様ではなく、もっと原始的な神様。これって面白いと思いわないか」賢人は口角を上げ、大げさな身振り手振りで僕に熱演する。
 「僕にはよくわかりません」神様なんてあやふやなものを信じて、祈る気持ちがよくわからない。世の中は必ず必然性が存在する。どんなものにも要因があって、起こるべくして起こる。
 だから、神様なんてあやふやなものに願いを託すくらいなら、要因を追求して必然性を得るべきだ。
 「そうか、でもきっとトウヤにもわかる日が来るよ」賢人はそう言って目を細めて笑いかけた。

 「すみません」窓の外から子どもたちが誰かを呼ぶ声が聞こえる。どうやら少し意識がずれていたみたいだ。僕は子ども達の方へ顔を向ける。子どもたちはこちらに向かって大きく手を振っている。
 僕は首を傾げ、子ども達の行動の要因を考える。自宅の庭に何かが見える。目を凝らしその物に目を凝らす、どうやら子どもの靴のようだ。
 どうやら靴が一足庭に入ってしまったようだ。僕は庭へと向かい、靴を拾い上げ、子どもたちに手渡す。
 「道路も近いから気を付けてね」笑顔で優しく注意を促す。
 「ごめんなさい」
 「お前気を付けろよな」「あんなところに飛ぶとは思わなかったから」子どもたちは僕から靴を受け取り、一礼するとランドセルをパカパカと揺らしながら駆けていく。
僕は去っていく子どもたちを見送る。何となく腕時計を見ると十時を過ぎている。
僕は、荷物を手に取り靴を履く。すぐに賢人の元へ向かいたいが、その前に花屋へと向かう。
きっと、賢人は花束なんていらないと言って、渋い顔をするだろう。僕はそんな賢人の顔を想像して吹き出しそうになる。
 しばらく歩いていると、行きつけの花屋が見えてくる。いつもの店員さんが大きな鉢植えを外に出していた。
 「おはようございます」鉢植えを地面に置き、土をいじっていた店員さんに声を掛ける。
 「ああ、トウヤさんか。おはようございます」顔を上げた店員さんは、僕に気が付き挨拶を返してくれる。
 「お久しぶりですね。今日も賢人さんにですね。何時ものでいいですか」
 「はい、しばらく雨が続きましたからね。何時ものでお願いします」
 店員さんは僕の答えを聞いてから、いつもの花を用意する。ユリを二本、サザンカを六本、サンデリアナを二本ずつ。その花々を店員が、手際よく一束にまとめあげる。
僕は店員さんが包装をするのをぼんやりと見届ける。
「トウヤさん、出来ましたよ」そう言って店員は僕に花束を渡す。混ざり合っていたユリとサザンカとサンデリアナは、互いが互いを強調し合うように美しく調和していた。
「ありがとうございます。何時もながら良い出来ですね。」僕は店員さんにそう伝え、料金を渡しその場を後にする。
「トウヤさん、こんにちは」誰かが僕を呼ぶ声がする。僕は周囲を見渡すと、道路を挟んだ向かいの公園でゲートボールをしていた老人たちが、僕の方に手を振っていた。
「こんにちは、ゲートボールですか」僕は老人たちに聞こえるように手を振りながらそう問いかける。
 「はい、トウヤさんもどうですか」
 「すみません、僕はこれから賢人の元に行く処でして」
 「そうですか、ではまたご一緒にやりましょう。賢人さんにもよろしくお伝えください」
 「はい、ではまた」僕は老人に会釈をし、その場を後にする。

賢人に会えるためか、いやに色々な所に目が付く。公園で遊ぶ子供が、左右を選ぶために「どちらにしようかな」の掛け声で左右を交互に指す。その隣では、じゃんけんを始める前に、両手を組んで手の穴をのぞき込んでいる人。
僕は未だにわからない。形も存在もあやふやな神様に祈る彼らの気持ちが。僕はやっぱり、形のある者が好きだ。この花束のように、店員さんの積み重ねといった理由があるものが。
 「久しぶり、賢人来たよ」
 小高い丘に作られた小さな集合墓地の一角に賢人はいる。彼が亡くなってから途方もなく長い月日が流れた。
「ねえ、賢人はあの日の事覚えてる…」

 賢人が死んだ日。確かあの日は晴れていた。陰うつな気分なのに、僕の上には青空が広がっていた。
 賢人の死因は老衰だった。僕と出会ってから少しずつ少しずつ衰え、時には病に苦しむ君を見ていたからか。陰うつな気分のはずが少し安堵を覚えた。
 「トウヤ、こっちにおいで」賢人は細く枯れ木のような腕を僕の方に伸ばし手招きをする。
 「はい、なんでしょうか」
 「トウヤ、僕が死んだあと君はどうするんだ」賢人は皺だらけの顔をひそめていた。
 「どうって、スクラップになるんじゃないんでしょうか。所有者の居ないアンドロイドは危険なだけですし、あとがあるわけないですし」僕はそう賢人の疑問に答える。
僕は賢人が何を言いたいのかわからなかった。僕は確かに精巧なアンドロイドだと自負している。しかし、どこまで行っても所詮アンドロイドは、鉄くずでできた人間もどきだ。賢人がいない世界に後もないし続きもない。
「もし、あとがあるとしたら」賢人は枕元から一枚の封筒を取り出し僕に渡す。その封筒の中には新聞の一面が入っていた。
「『アンドロイドに人権が認可』ですか」。新聞の一面にはそう記載がされていた。どうやら、アンドロイド用の人格診断を受験し、一定以上の人格が認められた場合、そのアンドロイドには人権が認可されるのだと。
「その試験受けてみないか」賢人は僕にそう尋ねた。
「トウヤなら行けると思うんだ。俺と共に生活をしてきた中で、お前の中には確かに人格と呼べるものが芽吹いているはずだ」
僕は迷っていた。僕の中に人格があったとして賢人の死後何をすればいいのか。
「賢人、僕はいいです。僕は君と共にこの生涯に幕をおろします」
 僕はやはり賢人の居ない世界なんて想像できない。ここは賢人と共に生涯を終えるのが良いだろう。賢人は僕の顔をじっと見つめたのちに何かを決心した表情を浮かべる。
 「アンドロイドA・108試験を受けなさい」賢人は僕を購入してから初めて僕を製品番号で呼んだ。僕を購入した日に自分を呼び捨てで呼ぶように指示をした賢人が。
 「友達からの最後の頼みだ」そう言って賢人は静かに目を瞑った。

 「あの日のおかげで僕は今こうして生きている。でも今でもやっぱり、人間もどきの僕には人の気持ちなんてわからない。あやふやなものに祈る君たちの気持ちなんて」僕は買ってきた花束の包装を丁寧にはがす。
 「だから、僕は形のある明確なものにすがることにした。僕が生きている限り君が生きていた痕跡を残そうと思うんだ」
 花を墓石の花立に入れ、水を注ぐ。
 僕にもいつか終わりが来る。その日まで、僕は君をこの世に残す碑になろう。

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