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身震い

優しそうにみせて、その実は冷徹。
そんなこと言わないでほしい。
冷徹なんて、優しいばかりではないけれど、冷徹とは違う。
人は人に対して徹底出来そうで出来ない。どこかで、ふいと手を抜いてしまう。
それが優しさというのだろうか。
逃げ道を残してあげなければ。
相手を思うのならば逃げ道を閉ざしてはいけない。
そうだろうか、逃げ道は塞ぐ。塞ぐけれど、泳がして溺れそうになったら、
救いの手を差し出そう。
やるだけやらなきゃ、自分をとことん追い込んでみなければ、本当に何を求め何をしたいのか、いや、どうありたいのかさえ掴めやしない。

と私は考えていたのですが、最近は少し変わってきました。

待ってあげて下さい。今しばらくは待ってあげて下さいと、他人事で各方面に頭を下げて歩き。
そんな経験をして、時期が来るまで待つことの大切さに気付いたようです。

元来が短気ですから、一番の苦手は待つこと。遠回しにぐちゃぐちゃ前おきするのを、聞いているだけでお臍の、周りがチクチクモジモジしてくる。

愛情がなければ、待てない。優しさがなければ待てない。信じていなければ待てない。

社員を信じる。信じて任せてみる。自分がやったほうが早いとしても、任せてみる、じっと待ってみる、それが出来ない内は、半人前以下だと。
父の言葉は容赦なく。
どこまでも何があっても付いてきてくれる、こちらが相手を信じなければ、信じてはもらえないだろう。

1人走る、私の悪い癖かもしれない。
1人で歩き、考え、結論も1人で出してしまう。人間1人の力など微力。
互いに信じ合える仲間がいたら。
その力は無限になるだろう。

無欲であっても責任から目をそらしてはならない。無欲の場所が違うと言われて、私は無欲に逃げていたのだろうかと反省もして。

親子とは面白いものだと思う。相談するどころか何も話してもいないのに、
核心を突いてくる。
父も苦しんだ経験があるから、親子だから、、解る、、、。

少しずつ、父の歩いた道を歩き出しているのかと思うと、ブルッと身震いしてくる。