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優しいこと

 昨日、夕方小雨がぱらつき、慌ててバッグから折りたたみ傘を出し開こうとすると、雨はやんでしまった。

「ハハ、、天気雨だね、」

天気雨? 空は青い。青い空のまま一瞬だけバラパラと降る雨を天気雨。狐の嫁入り。
そんなことを考えていた私ですが、

「優しい人というのは、疲れているかもね、」

「優しいフリをする、意識的に優しくするのでなければ、性格が生まれつき、優しい場合は特に疲れたりはしないと思いますけど。」

「う〰ん、そこだね、君と僕の考え方が基本的に違うのは。」

「人の性格は作られるという、そこですか?」

「生まれつきの性格というけれど、実際あるかな?」

またまた、この人はややこしいことを言い出す。
公園を歩いていると、小さな女の子を2人連れた女性が私達の先を歩いていた。
落ち葉に歓声をあげている。

のどかだなと思う。幸せそうだなと思う。

優しい人は疲れる、ありえることかもしれないと思う。生まれつき優しい人であろうと、意識的に優しくしている人であろうと、疲れるかもしれないと、ちょっと納得してしまった。

ややこしい人だと思い、少し苦手ではあっても、それを相手に言わない私は、疲れているから。疲労感をひしひしと感じるから。

「教授がね、君のこと心配してた、、世の中の荒波にまみれて、君らしさを失っていやしないかと、、」

「まみれて? 荒波ですか? 私らしさ?」

「君らしさ、、だね、」

あくまでも、優しい人。中立。右か左はなくて真ん中。白か黒もなくてグレー。

「お腹空きませんか? 私、、お腹空きました、、お肉? あ、、北海道ですから、お鮨のほうが?」

「ハハ、、、鮨か、、いいなあ、、」

優しい人は、肉とも主張しないし、何がなんでも鮨とも主張しない。ハハとかすかに笑ったフリをして、教授からの伝言の答えをもらって帰ろうとしている。

私と話していると疲れるのだろう。はぐらかして、糠喜びさせたかと思うと奈落の底に突き落とす癖があるらしいから。
緊張感が伝わる。

きっと、私も疲れるけれど、伝言を持って私の様子を伺いに来た彼は、私以上に疲れているのだろう。

優しいとは、疲労感を伴うのかもしれない。