自分を知る(K氏)
一番解らないのは自分自身。その人がこの世からオサラバする寸前、わずか1分か2分の間に、自分を知る。
自分の望むところを知る、自分の願いを知る、知っていそうで、本当の自分の願いを知るのは、晩年どころか、亡くなる寸前だとしたら、考えようによっては幸せなことではないかと思うのですが。
若い時に、とてつもなく大きな失敗をした人は、案外人生の半ばあたりで、自分自身の望みに気づかされるかもしれませんから、失敗は良い経験であり、その人にとっては自分を知るチャンスでしょう。
必死に生きる、忙しくて、忙しくて、他者に動かされながら、自分自身を深くみつめる時間などないままに、人生の道程の終わり近くまで進んでしまうのが一般的なのでしょうか。
はっと気付いた時、自分の望みとは違う研究を続けていたと悔やんでも、残りの自分の時間は限られていてという話をされた時、悔しくて残念というより、自分のしたかった研究ではないけれど、その世界では功績を残せたのだから、それが自分の使命だったのだろうと、諦めより、幸せ感を感じたのですが。
人は晩年、自分なりに一生懸命に生きた人は、後悔などはなく、我が人生に悔い無しと諦観できるのでしょう。
「我が人生に悔い無し」と胸をはって言いきれるお祖母ちゃんになりたいものです。
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