アメリカ空軍が世界最強だった(過去形)の歴史―F-16という奇跡―

■挨拶
今回の記事は筆者の趣味だから、他人の趣味に興味ない人はどうぞお引き取りを。


■覇者にも覇者たる下積み、失敗があった
今ではあり得ない話だが、WWII戦後~ベトナム戦争(~1970年代)において米軍(空軍)はあまりにもお粗末だった。

戦勝国の驕りだったといえるし、WWII戦における軍拡の後始末に失敗したともいえる。何よりソ連という強大なライバルを相手に手探り状態で、軍事的な隙間に軍産ビジネスが侵食してきた影響が大きかったという見方もある。

兎にも角にも、現在の米軍(米空軍)とは似ても寄らない組織であった。

詳細は歴史に譲るとして、筆者が主張したいのはどのようにして米軍(特に米空軍)が世界の覇者となったかである。

WWII戦が公式に終結したのは日本帝国の最高指導者が玉音放送を発した8月15日(それ以前に日本帝国は無条件降伏を伝えたが連合国がこれを拒否した)。

以後、戦後の後始末と共に問題となったのが軍備の整理だ。

大量に動員した兵隊、装備、車両、航空機、艦船等。これらは戦時であればいくらでも必要だが平時ともなれば軍事費という金食い虫に代わる。

軍事費というものは経済から見れば『一利もない』が実態だ。

「兵器生産、輸出の経済効果は大きい!」

それは兵器を製造、販売する企業にとってはそうだろう。しかし、資本主義経済においてトリクルダウンが幻想であることは多少の教養を持っている人間にとって周知の事実だ。

兵器製造、販売に関わる労働者達に富が分配されて国家経済は安定する・・・それをまだ信じるというのか?

とすれば、もう一度資本主義の歴史を近代に至るまで復習されるがよろしい。資本主義において国民への富の再分配が成功した事例などたかが知れている事実に至るだけだ。

軍事費というものはなんら生産性もないし、投資したところでリターンもない。仮にあるとすれば、それは平和安定のプレゼンス=軍事力によった抑止力、恫喝である。

結局のところ、軍事力は政治力の助けにはなるがそれ以上の効果がないのだ。軍隊の存在が国家に必要な3要件に含まれていない事が何よりの証拠である。

事実、軍隊を持たないくせにGDP世界2位にまで上り詰めた島国という具体例がある(他にも軍隊を持たない国連加盟国が存在している)。

その事実は置いておくとして、既に存在している膨れ上がった余剰軍備は戦後縮小されていくのが世の常だ。

米軍もその例に漏れない。



■すぐに朝鮮戦争
が、それから5年後の1950年には朝鮮半島で戦争が起きた(朝鮮戦争)。当時日本はまだGHQの占領支配下であり、米軍が多数駐留していた。

たった5年で、米国にとって今後の脅威たるソ連の意を受けた北朝鮮が38度線以南に進出。しかし大韓民国が早々に南へ敗戦敗走、米軍が事態の対処に当たる。

戦争当初、北朝鮮軍には碌な航空兵力はなく、米軍はWWII戦末期に活躍したF4Uコルセア、後のA-1スカイレイダー、そして日本人にとって忘れがたき戦略爆撃機B-29等が運用され戦果を挙げた。

が、その後北朝鮮空軍(実際には人民解放軍空軍)のMig-15によって足の遅い機体はいい的になってしまった。あのB-29がポンポン落とされるようになった。さすがにこれは米軍も頭を悩ませる。

当時、米軍には海軍が艦載運用するF-9パンサー、当時陸軍から独立した空軍は名機F-86セイバーを運用していた。こいつらを制空、護衛任務に就けた。

こうなると、かの有名な世界初となるジェット戦闘機同士による戦闘発生は必然だった。

この時のF-86はMig-15に対してキルレシオ10:1。兵器としての性能、パイロットの練度、双方で優っていたと思われる。

いずれ多くの功績を残すジョン・ボイドも当時F-86のパイロットだったという。ここでの経験がOODA理論を構想したり、F-16のバブルキャノピーを提案することになったのだと思う。

それはさておき、逃げ出した韓国軍に代わって米軍が釜山から中国境界付近まで北朝鮮軍を押し戻した結果、知っての通り21世紀に入っても朝鮮戦争は終結しておらず、北緯38度線を境に両軍にらみ合いの「休戦」状態を続けている。

休戦合意以降、韓国は西側のショーウィンドウとしての役割が強かったこともあって朝鮮半島は休戦したままだ(近年はそれも無意味となってきた感が強い)。

とにかくこれは軍事的、政治的にも米軍の勝利と言えた。この頃の米軍はまだよかったのだ。


■お笑いアメリカ空軍の始まり
朝鮮戦争後、米空軍はその在り方そのものが大きく変わっていた。

「これからは核戦争!大きくて足の速い大型爆撃機が戦争の中心だ!」
「さっさと敵国中心部へ核攻撃してしまえば戦争は終わる!戦闘機なんてもう必要ない!」

まだ人類が大陸間弾道ミサイルという悪魔の技術を手にする前、大国アメリカは次の戦争の形を「戦略爆撃」一辺倒に極論づけてしまった。

正しくもあったが同時に自身の首を絞めたと言える。

『自分達が大量の戦略爆撃機による核攻撃こそ正しい戦略と判断した、ということは仮想敵国も当然同じ考えに至るはずだ!』

・・・確かにソ連はツァーリボンバーなる超巨大な水爆を開発したし、それを爆撃機に乗せようとしたが、それでも敵国が自分達に合わせて全く同じ戦略をとる、という謎理論に米軍は至った。

核兵器の威力を知っていればそれを前提にするのはまだわかるが、それだけを中心にかんがえるのはやりすぎだろう。

だが事実として米空軍は戦略航空軍団(SAC)を中心戦力に据え、それに引きずられるようにして戦術航空軍団(TAC)も戦闘機より戦闘爆撃機を中心に開発、配備するようになった。

米空軍は『爆撃』こそが戦争勝利への最短ルートと結論した。

そして最大の愚策となったのが『敵は大量の爆撃機を仕向けてくる。なら本国への爆撃阻止のために足の速い迎撃、要撃戦闘機が必須だ』という戦略思想だ。

その結果生まれたのがセンチュリーシリーズと呼ばれるF-100~F-106だ。航空自衛隊にもあの鉛筆のように細長いF-104スターファイターが配備されたし、西側各国へも同様に配備された。

しかしこのF-104は映像作品でも語られる通り「失敗機」だった。

要撃性能に特化させるため翼が小さく、まだフライ・バイ・ワイヤもなかったためにとにかく運動性が悪く、失速すれば立て直しも困難で西ドイツでは未亡人製造機と呼ばれた。

センチュリーシリーズは総じてこのような機動力と要撃に特化した機体であったため、『戦闘機と戦える機体』とは到底呼べなかったが、米空軍のトップが決めた判断でなされたことだから『意図されたもの』だった。

尚、米海軍は超音速性能より『空母艦載機』という視点を外せなかったため比較的まともな戦闘機開発をしていた。その結果が今後世界で大活躍するF-110スペクター(後のF-4ファントムII)に繋がるし、映画トップガンの主役機であるF-14トムキャット(こいつの前身がまた問題児だったが)が生まれる。


■ベトナム戦争での大敗
次に米国が参戦したベトナム戦争。

当時フランス植民地だった南ベトナムに対して独立を訴える北ベトナムという構図で紛争は発生し米国も支援していたが、本格的な参入は1964年に起きた有名なトンキン湾事件。

詳細を省くが、この戦争で米軍(米空軍)は事実上の敗北(和平後撤退)をしている。結果、1975年に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴンを陥落させた。

現在でこそ日本において米国は『世界最強の軍事力』と言われている(近年は陰りが見えている)が、ベトナム敗戦はあまりにも見事な負けっぷりであった。

米空軍に視点を移すと、ベトナム戦争当時、北ベトナム軍はソ連の軍事支援を受けていた。
・近代的な地対空ミサイル網の構築
・最新鋭の戦闘機
これらが米空軍を大いに苦しめた。

地対空ミサイルといえば1960年のU-2事件。

ソ連のS-75ミサイル(西側のコードはSA-2)によって高高度を偵察飛行するU-2を撃墜された。ソ連領空を侵犯していた米国偵察機の撃墜は世界的に注目された。

地上から発射されたミサイルによって撃墜される。戦闘機パイロットにとっては全くの新たなる敵の出現である。

恐ろしいことに、地対空ミサイル『網』と呼称される通りこれらミサイルは網の目のように張り巡らされたレーダーと、ベトナムのジャングルに隠された複数のミサイル発射機サイトによって構成されていた。

米空軍は当初、どこから飛んでくるのかわからない地対空ミサイルに怯えるしかなかった。しかしこの脅威に対して新たな戦術、必要な装備を急ぎ構築した米空軍はさすがとしか言いようがない(戦後、地対空ミサイル網に対する飛行隊及び戦術、装備が制式なものとなる)。

しかし脅威はミサイルだけにあらず、こちらも現在尚有名なMig-21戦闘機である。

当時、米空軍が開発した主力はセンチュリーシリーズと呼ばれるF-100~F-106(超音速ジェット戦闘機)。海軍はF-110(のちにF-4と改称される大型万能戦闘機)だった。

トンキン湾事件以降に米軍が本格的に参戦となるが、かの有名な失策と言われる「逐次投入」によって兵力は少しずつ送られていった。これによって陸軍は苦しめられることになったが空軍にとってはさほどの問題ではなかった。

米空軍の問題は『せっかく開発した最新鋭機(センチュリーシリーズ)は機動性が悪く、北ベトナム軍のミグ戦闘機相手にどうしようもなかった』事だ。せいぜい空中哨戒任務(こちらは本来の仕様通り)か戦闘爆撃(核爆弾ではなく通常爆弾)しか堪えられなかった。

1962年、軍用機の命名規則変更によってF-110は晴れてF-4と改称し、またF-4は海軍のみならず空軍及び海兵隊にも配備されていた。

米空軍と米海軍はそれぞれ独自の装備を調達、運用してたがロバート・マクナマラ国防長官が戦闘機の共用化によるコスト削減を打ち出したからだ。

要は『この機体があれば十分戦えるだろ?』という政治側の要求だった。

F-4は総合的な能力では当時の米軍最高の機体であり、何より最新鋭の空対空ミサイル運用を前提に開発されていた。空軍のセンチュリーシリーズは要撃任務の都合上、レーダーや電子装備ではF-4を上回っていたが全体として見ればF-4が優れていた(というより真っ当な戦闘機だった)。

ところがベトナム戦争で空軍が大敗した最大の理由は大統領勅令の『視界外でのミサイル攻撃禁止』だった。

まだ敵味方識別装置(IFF)がなく、レーダーで捉えた機体が友軍機なのか敵機なのか判断できず、また実際に友軍機の誤撃墜が発生した。
※現在ならIFFでレーダー上に明示されるしAWACSを介して敵性か否か識別してくれる

結局、米空軍は最新装備の空対空ミサイルで長距離攻撃ができず、有視界(目視)でミグと戦うしかなかった。

F-4は大型の双発機だがMig-21は小型の単発機。

空戦は機体の相対位置と速度、パイロットによるアウェアネスの速さと精度、気象条件等複合的な要因で決まる。

しかし有視界という『目視できる距離まで接近しなくてはならない』という条件はあまりにもF-4にとって不利だったに違いない。

何せ当時運用していたF-4Cには機関砲が付いていないかったし、装備していたサイドワインダーは太陽の熱源に向かって誘導されるほどに精度が低かった。

それでも戦争後半期では戦術でミグに対処することでキルレシオを上げたそうだが、それでも全体から見れば空軍機の被害は大きかった。

当時ご自慢の戦略爆撃機、今なお現役の超ご長寿機B-52はアメリカ空軍の誇る傑作機だ。何せ改良と延命を重ねて60年以上も現役である。

しかしこの傑作機を用いたところでベトナムの密林の中から攻撃目標を的確に破壊して戦争を終結させることはできなかった。何せベトコン達は地下トンネルを移動していたから位置がわからなかったし、都市を無差別に破壊したところでやはり彼らはどこからともなくあらわれては消えていく。

『何を攻撃すればいい?』
『どこを攻撃すればいい?』

戦略爆撃に必要な事は、敵対国が戦争継続を困難にさせうる最適な攻撃目標を速やかに特定することだ。ベトナム戦争ではこれができなかった。
※後の湾岸戦争では戦争初日からイラク側の航空基地を先制攻撃によって徹底的に叩く事で戦局を有利にした。

ただ、このベトナム戦争において米空軍は敵防空ミサイル網の制圧及び撃破を主任務とするワイルドウィーゼル部隊を創設し、現代戦に重要な教訓を残した。

得られるものは多かっただろうが、結局米軍は1975年にベトナムからの完全撤退。歴史に残るアメリカの敗北だった。


■まともな戦闘機を作ろう
ベトナム戦争での敗北から米空軍は制空戦闘機の軽視を認め、ようやく「まともな戦闘機」の開発に着手した。

実は、ベトナム戦争中に完成したF-111という世界初の可変翼をもった戦闘爆撃機が存在する。

しかしこいつ、なんと今現在のF-35と同じ『1機種で空軍と海軍の要望を満たせる万能戦闘機』というコンセプトによって開発されたのだ。
※言い出しっぺはロバート・マクナマラ国防長官

・・・多分F-111を知ってるのはそれなりの事情通程度、というほどに知名度が低い事からお察しの通りで、失敗作だった。

そもそも空軍機と海軍機の仕様とは何だろう?
【空軍】
・各地にある航空基地から離着陸

【海軍】
・海軍航空基地および航空母艦から離着陸

これだけでも大変な違いである。地上の航空基地なら長い滑走路をゆっくり滑走してから離陸できるし、着陸の時もゆったり着陸できる。ところが航空母艦となれば全く違う。

海軍機は基本的に船の上から離陸して船の上に着艦する以上、当然距離が短い。

2001年公開の映画『パール・ハーバー』劇中において、日本空襲のために出撃するドゥーリトル飛行隊の出撃シーンが演出されている。

元々陸軍機であるB-25を空母ホーネットから離艦させるのだが、通常450mの離陸距離を140mという短距離で済ませた。ただこの例はB-25を徹底的に軽量化した上に片道(着陸は中国本土の浙江省麗水(リーショイ))しか想定していないからできた。

現代の戦闘機は基本的にジェットエンジン搭載機で更に多くの兵装や燃料を搭載しているため重い。
※B-25(通常時):空虚重量8,859kg+爆装1,814kg=10,673kg+燃料
一方現在の海軍主力機F/A-18E/F:空虚重量:14,552kg+兵装(最大):8,029kg=22,581kg+燃料。およそ2倍以上。

そのため、空母艦載機はカタパルトを使用して100mという短距離を時速300kmにまで加速させて打ち出される。また着艦時はアレスティングワイヤーに機体をひっかけて急制動により実施される。
※つまり空軍機より機体の強度が要求される

この条件だけでも、天と地の差がある。なにせ空軍機は海軍機より条件が易しい分軽量化が可能なのに対して海軍機はどうしても重量化を避けられない。
※海軍機及び海兵隊所属機の場合、燃料を少なめにして離艦後空中給油をしてから作戦開始という事から燃料分は離陸時重量を軽くできる。

また、空軍機と海軍機では空中給油に使用する機材と方法も違う。
※空軍機はスタビライザー式、海軍機はドローブ・ドローグ式

基本的に両者を1機種にまとめ上げるのは相当困難な話であったが、実際にこれを可変翼という新たな構造を採用して短距離離陸能力を与え、またコクピットを横並びの複座にして機体の全長を妥協した感じであった。

しかしその結果、可変翼はその構造上通常の機体より重量が増し、機体の機動性は低く、やはり敵戦闘機との制空戦には向かない機体となった。
※高速性と飛行安定性は良かったため低高度侵入をはかる戦闘爆撃機としては優秀だった。


■F-15という再出発
政治側の要望によってF-111という駄作を生んだ空軍は今度こそ「まともな戦闘機を」ということで、「まじめに」必要な仕様や性能条件を研究させた。

ところでベトナム戦争の勝者であったソ連。
1967年7月に行われたモスクワ・ドモジェドヴォ空港での航空ショーでMiG-25が航空ショーでいきなり上空を飛んで行ったというイベントで、米空軍トップが危機感を抱いたという。

まだベトナムで負けが確定する前だが、戦略爆撃至上主義だった連中とは別にMig-25に恐怖を覚えた事で「まともな戦闘機」が必要だ!と思う勢力(いわゆるファイターマフィア)が本格的に動き出すきっかけになった。
※この演出自体、ソ連が米国側を驚かせるために見栄を張っていたのもあったろうが、同時に米側もソ連に恐怖を抱いていたという事で「まともな戦闘機開発」を後押しする形になった。

同時にこの時期、ジョン・ボイドが戦闘機に必要な性能、評価基準を『EーM理論(エネルギー機動性理論)』として構築していた。

現在でも「サイキョーの戦闘機!」と幼稚な日本語を使う人が多いのだが、一体全体何をもって『サイキョー』なのかわからない。

あらゆるものにおいて性能を評価、比較するには必ず基準が必要になる。

E-M理論はまさに『その戦闘機の機動性』、ひいては制空戦闘機の強さを機体諸元をもとにグラフ化する理論だ。

本来は多くのパラメータを使って計算しなければいけないが、単純な理屈で考えれば「位置エネルギー」と「運動エネルギー」から算出される速度=エネルギー総量の変化具合で判断する。

そして、
『高い速度を保ちながら』、
『小さく狭い空間を短い時間で』、
『低い重力加速度で』
旋回できるか、を機動性の基準として性能を評価する。

その結論から言えば、
『推力重力比が優秀(高出力で軽量)なエンジン』、
『軽量で小型』
な戦闘機が望まれる。そう、ベトナムで猛威を振るったMig-21のような機体だ。

ジョン・ボイドが提唱したE-M理論は、つまるところ『ミグ・キラー』を作るための理論だったと言える。

実際、『制空戦闘機』としてF-104やF-105では歯が立たず、F-4でさえ政治的制約があったとはいえ戦争当初は押されていた。

ミグに勝つためにはミグを超える機動性を持った戦闘機が不可欠である、そう考えるのが道理だ。

というわけで、このE-M理論を満たせるような機体として各メーカーに開発させて採用されたのが当時のマクドネル・ダグラス社(現ボーイング社)のF-15であった。

当時最新鋭の兵装、レーダー、システム、それらを一人で操作可能、双発エンジン、軽量なチタン素材を多用。

至れり尽くせりの超ハイエンドパソコンみたいな出来栄えだったが実際その性能は確かだった。

F-15の完成初飛行は1972年だったが、その前に海軍がF-111(B型)を元に開発していたF-14と比較してやはりどちらか1機種を空軍と海軍双方に使わせようと考えていた。
※言い出しっぺはもちろん同じ人

しかし空軍だけがF-111(A型)を採用し、海軍はB型の性能に満足できず不採用にした上でF-14を開発させたのは、結局のところ共通化は土台無理な話だったということであり、この時の空軍の反論も先に上げた空軍機と海軍機の仕様の違いを挙げた。
※この例から筆者はF-35の開発は奇跡としか思えない・・・ところが、近年になってF-35の欠陥が指摘されてきたのでキナ臭く感じる

結果、空軍はF-15、海軍はF-14をそれぞれ採用したのは周知の事実。F-15はイスラエルや日本、韓国、サウジアラビア等で運用されているし、F-14はなんと当時の友好国イランが運用している
※映画トップガンマーヴェリックで最後に登場したのは、つまりそういう事

■そしてF-16によって復活
とても優れた性能を持ったF-15であったが、どうしても覆しようのない欠点があった。

価格である。

いうまでもなく高性能を追求した分だけ高価格になったF-15を米空軍の主力機とするには数が揃えられなかった。

言うまでもなく冷戦期におけるアメリカの仮想敵国は巨大なソ連であり、当然配備されている戦闘機の数はアメリカと同等かそれ以上と分析された。

いくらF-15が高性能でも多数のミグを相手にすれば不利なのは当たり前の話。軍隊の目的は軍事力をもって戦争に勝利する事であり、米空軍の目的はソ連空軍を相手に戦う事であった。

そしてもうひとつ、ジョン・ボイドがF-15に不満を持っていた点である。それはF-15に多くの仕様要件を課したことから高価になっただけでなく重い機体になってしまった事だ。

E-M理論の理屈でいけばとにかく『軽量』な機体でなければならない。F-15は双発エンジンな上に武装面から大型の機体になってしまった。

ジョン・ボイドが天才と言われる所以は、同様に開発された海軍のF-14がいずれ同様の課題にぶつかり、後継機としてやはり安価で軽量な機体を望むだろうと予見したことだ(実際、YF-16の対抗馬であったYF-17の改修機F-18を採用した)。

ここでようやくF-16の開発が始まるのだが、このF-16開発と採用に当たっては米空軍及び米国政府の政治的な話(つまり金)が多すぎて筆者はあまり面白くない。

だから敢えて結論だけ言うと、YF-16とYF-17の2機種がメーカーで試作され、空軍はF-16、海軍はYF-17をF-18として改修してから採用した。

そして高価なF-15と安価なF-16の組み合わせとして『ハイ・ロ―ミックス』という用語をファイターマフィアのスプレイが政治向けに使い、以降はたびたび使われることになった。
※現在はあまり使わなくなったが、F-22とF-35をこれに当てはめていたっぽい

とにもかくにも、こうしてジョン・ボイドが最強の制空戦闘機=ミグキラーとして構想したF-16が米空軍の主力機として採用された。

以後の冷戦期、冷戦終了後も各飛行隊へ配備されて運用され『米空軍最強時代』を築いた。

■今後
最終的に、米空軍のF-16配備数は1000機程度、これにF-15C/F-15D及びF-15Eが500機程度となったが、今後はいずれも全て州軍へ回るか廃棄、無人化されて兵器の標的機にされる事だろう。

今後の米空軍の主役機はF-35、そして新型のF-15EXと改修予定のF-22。あとは無人機が普及すればいずれ有人戦闘機さえ不要となるかもしれない。

米軍にとってもはやミグという驚異が薄れた現代(あえて今の脅威を挙げるならスホーイだろう)において、視界外戦闘およびC4Iによるネットワーク戦下で『人間による機動性を重視した制空戦』=F-16の時代は終わっている。

今後は無人機同士で人間の領域を超えた戦闘をする時代になるかもしれないし、戦闘そのものが始まる前に無効化されるようになるかもしれない。

結局、ソ連が崩壊したためにミグとF-16が戦闘する機会は発生していない(?)。

しかし現在の情勢はウクライナ(にF-16はないが今後配備される可能性はある)とロシア、あるいはイスラエル(F-16だけで300機程度保有)とその周辺国で戦闘する可能性は大いにあり得る。

特に中東はF-16の配備数が多いためF-16同士による戦闘がありえる。できれば戦わないでほしいが興味はある。
※戦闘機が好きなくせに戦争は嫌いという矛盾はよくある話


■各国に散らばるF-16と愉快でもない家族
F-16は5000機以上が生産され米空軍及び各国に配備された。かれこれ初飛行から50年以上も運用されているご長寿機である(旧式機の方が圧倒的に多い)。

面白い事に米空軍での最新バリエーションはBlock50/52だが、これはギリシャ、サウジアラビア、台湾等より古い型になる。
※つまり海外に販売、展開している機体の方が最新版

まあ、米軍は空軍、海軍、海兵隊の複数の機種を全てF-35へ配備転換すると決定して現在も進行させている以上、F-16を最新機に置き換える必要性を考えていないのは自然の道理である。

このF-16がここまで生産、購入されたのは間違いなく性能に対して安価だったことであり、既にF-15を採用している国にも同じ理屈から販促できた上に西側(米国のお友達)の中で軍事費が少ない国にとっても買いやすかったことだろう。
※これを見越してジョン・ボイドの計画は米政府に推されたのかもしれない

欧州
・ベルギー
・ドイツ
・オランダ
・ポルトガル
・ルーマニア
・話題のポーランド(ウクライナにあげると言ってた話は消えた)

中東
・イスラエル
・サウジアラビア
・エジプト
・オマーン
・トルコ
・ギリシャ
・ヨルダン
・イラク
・パーレーン
金持ちのサウジアラビアやイスラエルはともかく、以外にも中東は多くの国が配備している。

アフリカ
・モロッコだけ

アジア
・インドネシア
・パキスタン
・台湾(中華民国軍)
・シンガポール
・タイ
・韓国
アジアも多い。

我が日本では三菱重工と開発元のジェネラル・ダイナミクス社(現ロッキード・マーティン社)が共同開発(という名の実際よくわからない形)したF-2A、Bがある。
※初飛行は1995年、2025年をもって30周年である

F-2も一応F-16ファミリーに含まれているそうだが厳密には全く違う機体である。

機体の「形」が似ていても自衛隊の要求仕様(対艦ミサイル4発搭載)を叶えるために翼はおよそ25パーセントも大きくなっており、エンジンはF-16と同型をIHIがライセンス生産している以上同じ推力なため機体の重量が増した分機動性が低下している。レーダーや搭載する兵装も日本製だが、近年になってターゲッティングポッドを輸入している。

空自は制空戦闘機であるF-16の特性を無視して『攻撃機(日本国内では支援戦闘機)』として再設計した以上、筆者は同機とF-16は到底比較に堪えうるものではないと考えるし、「日本のF-2はF-16より優れている!」と騙る痴れ者は阿呆としか思えない。
※当時、対日圧力があった以上F-16を輸入することができなかった上での日米安保上のつきあいだったのであろう

余談だが、実は台湾も当初はF-16の輸入を希望していたが1980年代当時の対中関係を意識した米国からキャンセルされている。その代わりに、ジェネラル・ダイナミクス社協力のもと台湾が自国開発した戦闘機「経国」がある。筆者的にはこちらの方がF-2よりF-16の血を受け継いでいるように感じる(性能は不明)。
※尚、その後F-16が輸入されており、現在はF-16の最新版であるF-16Vが配備されている

またまた余談だが、中華人民解放軍空軍の訓練機(TRG)にJL-10(教練10型)がある。筆者の感想だとF-16、というより台湾の経国に似ている。

「経国」と同様双発エンジンでエアインテークは両翼付け根下部、長く前に伸びたLERX(Leading Edge Root eXtension)・・・と思ったがそもそも初飛行は2005年と比較的新しいため今時の機体としては当たり前のデザインなのかもしれない(ヤコブレフ協力だからどちらかと言えばソ連の流形か)。

F-5、F-16のようなデザインの機体が皆同じように見えてしまうのは素人の浅知恵なのだろう。


■後記
というわけで、今回の記事はNoteで書いた記事の中で一番多い文量、通常の倍であった。

偶には好きな事でも記事に書いてみようと思ったのだが、実はまだ書きたいことの半分も書けていないと思う。

というのは、そもそも筆者は戦闘機の中でも深くしったのはF-16であり、実際に航空祭にまで見に行ったほどである。

きっかけは多分ニコニコ動画で見たフライトシミュレーター(F-16でFSと言ったら2つしかないが歴史の長いFSの方)の解説動画だったと思う。
※2024年6月、なんと角川グループがサイバー攻撃でニコニコ動画が視聴不可という事態

ちょうど、精神的にボロボロで、仕事を退職した直後だったと思う。

あの頃はかなり重症の鬱状態で、1週間は強めの抗うつ剤を飲んで寝たきりのほぼ死人だった。その後、精神的に少し余裕が出たところで何かの拍子に視聴した・・・気がする。

「あー、こんな世界もあるのかぁ・・・」

と思った(気がする)のを、これまた何かの拍子でソフトを用意して、たまたま有志が日本語翻訳していたマニュアルを見ながら一通り遊んでいた。

シミュレータ自体が全て英語で、
再生されるビデオや音声も英語で、
遊んでいる(飛行中)も全て英語、
まさかの英語オンリー・・・なのだが、実際のところフライトシミュレータ内で英会話をするのではなく、コマンドとその反応が英語であった、というのが正しい。

プログラミング言語に触っていればコードは全て英語だし、出てくる英単語は調べれば一応意味がわかる。

コマンド(僚機への指示や空港とのやりとり)の意味についてもマニュアルを読めば『今何をしているのか』がわかるため、つまり繰り返しによる理解で解決したのだった。

といっても、
・シミュレーター内でなぜそのコマンドが必要や会話が必要なのか?
・編隊飛行や作戦指示、手順がなぜそうなっているのか?
・そもそもそれは何のためにやっているのだ?

・・・流れはわかっても意味がわからない、というのは一人では到底理解できないのだ。そうなると最初は日本語でWebを検索してみるがなかなか出てこない。

やっと何か検索で引っかかっても『実際の米空軍の資料では~』

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ここまでくれば、十分オタク、マニアの世界であった。

それから大分年数が経過し、一時期は自分もニコニコ動画に編集した動画をアップロード(既に全削除済み)したし、公式のフォーラムで英語圏(多分他の言語圏)の人達と自動翻訳を駆使して交流したり技術提供してもらったり・・・。

思えばあの頃が人生で最も『クリエイティブ』な人間をしていたと思う。

抗うつ剤を飲みながらシミュレーターで1日中遊び、録画して、動画編集して、アップロードして、反応を見て一喜一憂したり・・・。

今では懐かしい思い出だが、もうあの頃に戻ることはないと思う。

シミュレーターの方はもう何年も遊んでいないから内容をすっかり忘れてしまったし、交流していた人達も草の根の内は親しみを持つことができたが集団化すると疎遠になった。
※オタクの世界は人が集まると色々崩壊する教訓を得たし、自分という人間があまり他人と関わりたがらない、あるいは関係性を持続させる事が難しいと理解した

それに、知るという事は『世界の姿が変わる』事である。

無知故に、関わろうとしたり、近づこうとしたり・・・その結果、良いこともあれば悪いこともある。筆者はその事実を知りすぎてしまった。

そして、人間の、人類の悪い点を段々許容できなくなってきたという自覚がある。

人は歴史の繰り返しの中で生きている。それを『知っている』人であれば、これが繰り返しであると気づくがそれ以外は気づかずに繰り返す。

これを現在の日本社会のあらゆる領域で体験すると、筆者のように厭世観が強化されるに違いない。

無知には可能性という明るい面もあるが、同時に世の中が嫌いになるという暗い面がある。筆者は暗い面に触れ過ぎたのだと思う。

クリエイティブな活動は終了した(今こうしてNoteにモノ書きをするのは含まれるのだろうか?)が、それでも知識というものは残り続ける。

思い出の名残であるが、偶にはそれを思い出して、明るかった時代を想起しながら書き留めておいても罰は当たらないだろう。

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