格安SIMとデジタルデバイド―差別ではなく区別です―

最近時間が余っているのでこれまでに書きたかったことを書ける・・・ということで本日2本目。

「デジタルデバイド」
マスコミのニュースなんかでたまに出てくるキーワードだが、
・デジタル=(本来は離散数のことだが日本ではなぜか)IT
・デバイド(divide)=分ける、割る、分割
※DivはDivideの略

なのだが、日本国内での訳は「デジタル機器などを使えない高齢者(つまりデジタル弱者や情報弱者)」・・・という事になっている。ところが経産省のIPAで出題される問題の回答としては【デジタル機器などを使えない事による経済的格差】となっている。

つまりまた例によってマスコミ、メディアによるいつものミスリードなのである。
※筆者は日本含めて大手ビジネスマスコミュニケータ=オールドメディアが大嫌いである。

スマホが使えない、パソコンが使えない、これは差別だ!国はなんとかしろ!・・・という高齢者を贔屓する手札の一枚になっているのが現状である。

もしかしたらこの文脈だけで理解できない読者もいると思うので簡単にまとめると、

(マスコミ、メディア)
デジタルデバイドによって高齢者が社会から差別を受けているのはけしからん!なんとかしろ!高齢者に金をよこせ!もっと高齢者を支援しろ!

(現実)
手、指、視力等の身体的障害、又は知的障害、精神障害あるいは日常生活上支援を要する人達がデジタル機器を取り扱う事ができないために起きる経済的格差。そして、それに伴う情報弱者に対して適切な支援が必要である。

明らかに要点や問題点が違うのであるがお判りいただけるだろうか?

筆者はこの10年ほど前から自発的にテレビを見ない生活を送っているが、それは日本の大手メディア(報道局、テレビ局、新聞社等)が一様に政府の広報機関になっているからである。

日本でジャーナルを語るマスコミやメディアも所詮は金銭で生業をしている民間企業であり、総務省による許認可を受けている既得権益組織である。金と人の流れを見れば情報の内容にも意図的な流れがあることは明らかである。従って、これら組織が高齢者を贔屓する報道を繰り返すのは政治的な理由だけだ。

本来のデジタルデバイドは障碍者、情報弱者を対象にするべき問題である。
※高齢化に伴うデジタル機器、サービスへの適応性の低さと順応性は区別して考えるべき問題である。

本日はいきなり攻撃的な内容であるが、まずこの「デジタルデバイド」の真意を語らずして格安SIMを論じることはできないのだ。
※デジタルデバイドのダシにされている大半の高齢者がメディア神話、メディア信仰から抜け出せないので結局は誰も問題の本質を問えないのであるが・・・。



格安SIMとは大手キャリアSIMと区別するために使われている回線契約のことである。SIMカードをスマートフォンに差し込む事で回線に接続できるようになる。
※最近はスマートフォン本体にSIMカードと同様の機能を内蔵させたeSIMもあるが、基本的にSIMカードとは物理的なものである

格安SIMと同様に出てくるキーワードに「MVNO」がある。正式名称は
【Mobile Virtual Network Operator(仮想移動体通信事業者)】であり、要約すると自分達で通信回線の設備を持たない事業者のことである。

一方で大手キャリアは「MNO」と呼ばれ、【Mobile Network Operator(移動体通信事業者)】つまり自分達で物理的な通信回線の設備を持っているのでVirtual=仮想が省略されている。

ちなみに通信回線の設備とは基地局の事であり、大手キャリア(最近は楽天モバイル含)は自社で通信用の基地局を日本全国に建てているのである。

普段パソコンを使う人であればモデム → ルーター → LANケーブルを見かけるので物理的なケーブルをイメージしやすいと思うが基地局から基地局へと電波を飛ばしあって繋いでいるのだ。
※通信回線を土管に見立て大手キャリアを土管屋と呼ぶ人もいる

で、MVNOとMNO(大手キャリア)は両者共にSIMカードを利用者に送付して、あるいは店舗でスマートフォンに装着することで通信している。

では、『自社で通信回線設備を持たないMVNOはどうやって通信回線を使えるのか?』

早期にこの疑問へ辿り着くことができた人達が年々増えたことが「格安SIM」の需要を生み、そして現状況を生んだのである。

答えを言ってしまえば、MVNOはMNOから回線を借りている、それだけである。そして、格安SIM利用者は結局大手キャリアの回線を使っている・・・というだけの話。

「え、同じ回線を使っているのなんで格安なのよ?どうせ何かあるんでしょ」

まあ、あるにはある、商売だから当然だ。

そもそも、なぜ大手キャリアがそんなに高いのか?という話になってしまう事が原因なのだが・・・。

大手キャリアといえば、日本全国に店舗を構えお客さん相手に端末をうったり、契約を案内したり締結したり・・・携帯ショップなのだから当たり前と言えば当たり前だが、当然その分人件費やら経営費やら掛かる。

そして、競合他社を相手にあの手この手でシェア率を奪い合うためにしのぎを削っている。そのためには割引キャンペーンとか値引きキャンペーンとかポイントキャンペーンとか・・・etc。それこそ説明されても意味不明なプランないようにしたりと企業努力してきたのが大手キャリア。

でも、この不景気の中いつまでも同じ価格とサービスで続けられないでしょ、このビジネス・・・。

ご立派なお上のおかげで人口減少は止まらないし、消費者の可処分所得は下がり続ける一方だし・・・。

企業側にしたってコスト削減のために正社員を減らして非正規社員に転換しまくって、一人当たりの労務とか責任ばかり増えて給料は増えないし・・・。

もう今の日本において、売る側も買う側も限界を迎えつつある中で「じゃあウチでオタクの余っている回線使わせてよ」と誰かが言う。

大手キャリアからすれば「余ってて維持費だけ掛かる位なら賃借料貰ったほうが良くね?」となるのも必然。

こうして大手キャリアの通信回線を手に入れたMVNOはどうにかしてこの回線を売らねばならない・・・じゃあもっと安く売ろう。安く売るためにコストを徹底的に削ろう。

・電気水道テナント料その他諸々金の掛かる店舗設備なんか要らん!
・店舗に配置する販売員も要らん!
・契約は全部オンラインでやればいいじゃん!
・契約内容の説明はプラン内容を全部WEBサイトにおいて客が勝手に読んで納得すればいいじゃん!
・最低限コールセンターは用意して、端末とか付属品をセット販売してSIMカードと共に配送できるようにすればいいじゃん!

・・・と実際に言っていたかどうかは不明だが、とにかくサービスコストを徹底的に省いた事で安く回線契約できる形態をとっているのがMVNOである。
※日本国内で最初のMVNOは2001年、日本通信がスタートしており当時の通信端末はPHS。

要点を簡潔にすると「安いものには安いなりの理由がある」。

以上!




ここでようやく記事の本題。

MVNOが格安SIMと言われる所以はとにかく徹底したサービスコストの削除。つまり大手キャリアは手広くし過ぎたがゆえにコストがかかりすぎたからあんなに月々の契約料が高くならざるを得ない、という事だ。

逆に言えば、大手キャリアの過剰ともいえるサービスは利用者にとって喜ばしいものだったのではないか?

「とりあえずお店で聞いてみよう」
「何か困ったら店に行って聞けばいい」

実際、大手キャリアが格安プランを出した頃からクレーマーが増えたみたいだし・・・今までおんぶにだっこでサービスを利用していた人からすれば
「なんで店で対応してくれないのっ?ふざけてるのかっ!?」
「今までずっとここでやってくれたのになぜダメなんだっ!?」

・・・もう容易に想像できてしまうから笑ってしまう(キャリアの店員は大変だね)。

つまり、格安プランのことをテレビや新聞で大々的に広報した結果、まるで理解しない、理解できない人達(特に高齢者)が「安くなるよ~」とだけ聞いて駆け込んだものの、いざ契約して困ったので店に行って・・・という事になるわけ。
※大手キャリアの通信料について総務省がいつもの役人根性と政治的理由で圧をかけたのが発端とも取れるので、客もダメだが政府もダメだな。

今回の記事は高齢者にダメ出しばかりだが、格安SIMの仕組みについて知っている利用者からすれば「普通」な事であり、ちゃんと教養があれば難しい事ではないし、先ほど簡易にまとめたMVNOの仕組みについても小学生なら理解できる程度の話だ。
※むしろ最新の知識については小学生のほうが大人以上に詳しいこともあり得る



最後に、デジタルデバイドに絡めて一言申したい。

いくら日本のメディアで高齢者贔屓をしようとも、
・知ろうとしない
・学習しようとしない
・適応しようとしない

これはダーウィンの進化論で有名な「生き残れるのは常に環境に適応できる生物」に当てはめれば、自分で現代のデジタル事情に適応しようとしない、適応できない人は自業自得であり高齢者・若年者は関係ない。しかし障碍者については福祉国家である以上支援しなければならない。

これがデジタルデバイドにおける筆者の回答であるが、メディアが問題の本質を無視して高齢者を贔屓し、高齢者のための世論形成にばかり政府広報しているから先に進めないのである。

世の中には大手キャリアや個人でもスマホ教室を開いており、学習するための門戸は開いている。大手キャリア側でも情報弱者やデジタル機器に弱い人が多いことはビジネス上問題視している筈であり、金の芽になる高齢者を気にしている態度は見て取れる。

間違ってもデジタルデバイドは高齢者差別ではなく、デジタル事情に適応できる人とできない人は区別すべきなのである。

もっと言えば、日本はサービス=無償提供という世界に類を見ない非常識な考え方をしている節がある。これを民族性と捉えるのであれば、今の日本はやはり年齢、世代別に分断されている、と言える。

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