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ルールに対する考え方を整理するために。【14歳からの社会学】

前回,私たちがいる学校のルールについて,子どもたちと考えた話をしました。

今回はもう少し,違った角度から,子どもたちと話し合った"学校"と"ルールに"ついて考えてみました。


学校という”社会”から絶えず影響を受け続けている子どもたち。私たちも何かしらの”社会”に属し,常に影響を受けて生活しています。

そんな”社会”の影響,”社会”との関係について,宮台真司さんの『14歳からの社会学』のからの知識を参考にします。

(読書メモ+自分の見方でまとめてみました。)

「共通前提」が怪しくなっている。


”貧しい”から”豊か”に向かう時代は,
「いい学校,いい会社,いい人生」という「幸せ」についての考え方が共通していました。親も先生も子どもも,疑う余地もなく,みんなが頑張れた時代。みんなの中で共通している考え方や空気があるから(共通前提があるから),こどもたちも「試行錯誤」に乗り出せた。そんな時代がありました。

時代が進むとこの前提が揺らぎます。

複雑になった今の社会。「いい学校,いい会社」が”いい人生”とは言えない時代となりました。

みんなが見ず知らずの他者を信頼することで成り立っている電車通学や外食。「なんとなく」大丈夫!とみんなが思う共通前提も,大きく崩れるような事件(通り魔,食品偽造事件)が起きています。


共通感覚 = ホンネの共有


2008年,威力業務妨害の疑いで逮捕された73歳の男性がいました。

逮捕の理由は「線路上に自分で踏切を作った」ため。

手押し車で野菜を運ぶ男性は,60m先の踏切を使うのがしんどかった。10年近くJRに踏切設置を求めたが,受け入れてくれず…。そんな男性は自分で踏切を作ることに。

作られた踏切は,男性だけでなく,近所の人たちも喜んで利用していたようです。

この男性,「共通前提」がみんなにあった昔だったら,どうだったか?

「ルールは大事」と言いながら,「そんな事情があったらしょうがない」という見方が広がる。「確かにルールはルールだけど,みんなの感覚からすると,ルールの方がずれてる」という考えも出てくる。結果,「まあ今回は仕方ない,大目に見よう」というストーリーもあったかも。要するに「なあなあ」で済む結末。

共通前提があると,「共通感覚(ホンネの共有)」が生まれます。

喜んで手作り踏み切りを利用していた近所の人たちと男性を含む"社会"には,共通前提があったのは間違いなさそうです。


共通の前提から,共通のルール作りへ。でも…

私たちの当たり前となった,インターネット。この男性の事件も,共通前提を共有しない人にまで情報が伝わるようになりました。そこにはもちろん,共通感覚が生まれません。

「勝手に踏切を作った。」という切り取られた事実を知った人が,さまざまな異論を出し,不安を生み出すようになりました。

共通前提が怪しくなっている今の時代。そうなると,共通感覚も消えます。そんな時代に求められるのが,「ちゃんとしたルールにあてがうべき」「事情はどうあれ,ルールを厳しく当てはめよう」という考え方。

ホンネの共有が崩れたので,「隙間はルールで補おう」とする考えってことです。

でも,それでいいのか?

これ以上「共通感覚」を崩さない方法や再構築する方法を考えなくていいの?

「ルールだけでやっていくべき」という価値観もあれば,「『共通感覚』を維持する努力をすべき」という価値観もある。いろんな立場から,

みんなが幸せに生きられる社会は,どんな社会か?
という議論を重ねるべき!でも・・・

議論は進まない。

どうやら日本社会は,そういった議論を尽くす方向には向いていないようです。

「共通感覚」が崩れて不安になった人々が,単に厳しくルールを当てはめることや,ルール違反に厳しい罰を与えることだけに関心を向けがち…。


学校でも,「そういうものだから」で議論すら・・・(ここまでの感想です。)

ここからは自分の感想です。

学校内でこの内容を当てはめる場合,
学校という"社会"と子どもたちの"社会"のそれぞれで考える必要があると思いました。

どちらの社会にも,共通前提があり共通感覚が生まれる。そして子どもたちの社会は,学校という"社会"の影響を受けて生まれる,共通の前提と感覚がある。子どもにはしっかりと子どもの社会が生まれる。

学校は,宮台先生の言う通り,学校が置かれる"社会"の影響を大きく受ける場所と言える。地域や保護者,教育政策など,受ける影響も多種多様。


そして思ったのが,学校は影響を受けるものに対して,ルールの柔軟性が大きく異なるということ。

学校は,社会のニーズに合わせて変化していく側面があると思います。(ただ,ものすごい大きな部分はずーっと変わってないんですけど・・。)

地域のさまざまな変化に合わせて,学校が寄り添っていく。保護者のさまざまなニーズに寄り添っていく。トップダウン型の教育政策に寄り添っていく。


じゃあ子どもたちの
(共通前提や共通感覚を含む)社会には,

「学校のルールは,そういうものだから。」

で十分に寄り添っていないような・・・。

さっきはしっかりしていると言った子どもたちの社会も,絶えず変化しています。子どもたちの変化は凄まじいです。でもそんな変化に,十分に対応しない学校や先生がいるのが事実。
(私もその一員だと思います。)

「今の私たちには必要ない」と子どもたちが思っていても,「そういうものだから」感覚で,ルールに厳しく当てはめる。そこに子どもたちのすごい成長があったかもしれないのに。

子どもたちの大切な変化を見落としてしまっていることに,子どもを取り巻く大人たちは気づいていく必要があると思いました。そしてそのための議論も必要だと思いました。



今回読んだ「14歳からの社会学」は,社会をとらえる素晴らしい本だと思いました。情報量も申し分ない。だから今回のnoteで捉えきれない内容が,まだまだいっぱいあります。

興味のある方は,ぜひ。

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