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遊びによって,なれる人間の余地が広がる。


「人間は意識よりも、無意識に動かされている部分が、想像以上に大きい。」

これは心理学の進歩によりわかってきた真実。

さあ月曜日、今日は朝、布団から出れない教え子と電話しながら1校時が始まりました。kakuさんです。今週もよろしくお願いします。


冒頭の文章は、職員室の机の上に置かれていた情報誌の中にあった(何だったか思い出せない),歴史学者,磯田道史さんのお話の中にありました。

タイトルは「無為・無意識を大切にする教育へ」

この話のポイントと自分の考えを整理したいと思います。



結論「3つの柱を目指せ」


①「好奇心をもつ」

②「自分で調べ考えを試す」

③「感動・熱中できるものを探す」

21世紀半ばの教育には,この3つが大切な要素となる。

そしてこの3つの柱を支えるために,教育は「無意識」という子ども自身が持つ自然の流れを大切にする必要がある。

子どもには無意識行動が多い。大人たちはそれを「遊び」と呼ぶが,子どもは無意識行動によって,将来の人間性を材料を貯金している。


建材が多いと,作れるレパートリーが増える


磯田先生は,無意識と人間形成の関係を”建材”に例えて説明しています。

子どもは「やりたいからやる」「自分でもわからない」無意味・無為な行動が多い。

そんな子どもが無意識行動(遊び)が多いのには,ちゃんと理由がある。子どもは,無意識で得られる雑多な情報体験を脳内に貯金している。

この雑多な体験=建材 とする。

知らない間に,本人を作っている無意識行動。子どもの時の無意識行動や体験が多ければ,将来の人間性を作る材料の貯金が多いことにつながる。

建材が多ければどんな建物でも建つように,なれる人間の余地も広がる。


管理上、”無意識行動”は注意の対象となる。


「下校中寄り道しないでね。」

管理上,一理あるこの指導は,子どもたちの無意識の貯金の機会を奪っている。帰り道に出会ったカタツムリ。じっと見つめる時間の体験が,その後の人間形成に大きく関わる貯金になったかもしれない。

管理上,先生たち大人は,子どもたちの無意識行動に対し,叱って指導することが多々ある。

「ちゃんとしろ!」

「こちらに集中してください。」

「遊ぶな!(=無意識行動するなって言ってるってことか)」

そこには「学校=集団」という管理上,仕方ない指導も含まれる。


意識的行動を求める大人


大人たちは,意味や目的がある行動をする。

(確かに無意味な行動をしている大人をほとんど目撃しない。一見,無意味と思ってみても,本人的にはしっかりとした目的や意味が設定されていることがありますね。何の意味があるんだろ…)


そんな大人が子どもに対して

『目標を持て!』

『やる気を出せ!』

などの『意識的行動』を命じても,なかなかうまくいかないのは,冒頭の言葉の通り,心理学の研究が証明している。そもそも,人間は意識的に行動できるようにはなっていない。

無意識・無為より,意識的行動を推し進める背景には,「人間ははっきり意思を持ち,意識的に行動する」という前提に立ち,はっきりとした目標に向かい続ける,「強い意思」「強い目的意識」をもった子どもを育てれば”うまくいく”,そういう社会観・人間観が存在する。

この考え方は,どこの小中学校でも見られる「しっかり目標を持つ」「計画的に」「頑張る」「我慢してやり続ける」という言葉の根底にも広がっている。

「いい学校・いい会社・いい人生」ではなくなったのに…


先ほどの社会観・人間観は,軍隊強化,工業化,西洋に負けない近代化など,明確な「到達目標」モデルがあるときは,「意識的に」それを目指していれば,よかった。

学校では,子どもたちに,「いい学校,いい会社,がいい人生」につながるという認識を持たせ,そこに向かわせるためにも効果的な考え方と言える。(学校だけでなく,社会全体が「いい学校・いい社会・いい人生」という共通前提を持ち合わせていた,ということ)


ところが現在,このモデルは壊れている。西洋に追い付け追い越せの時代ではないし,どの国も次の目標を手さぐりになって探している状態に。

(日本社会も,共通前提が崩れた結果,先行き不透明な社会となり,安心できるところがなくなった。その不安定さは人間関係や人間形成にも広がり,「引きこもり」等の問題も顕在化する。)


かつてのモデルが崩れているのに,変わっていない教育がある。修正した方がいいよね。


ここまで整理して

磯田先生は,今までやってきた教育の在り方を分析し,

「ちょっとばかり,修正した方がよい箇所」として,今回の話を展開わかりやすく,説明しています。

ちょっとばかりではないようにも感じますが。

でもすごい勉強になるお話でした。

結論で書いた3つの柱は,どこか遠い世界のように感じながらも,子どもが解放される素敵な学校になるのは間違いなさそうです。

そのために私だったら,

様々なアンテナを高く張っておきながら,

機会を与え,手立てを用意し,

子どもと一緒になって夢中になれたら,

そして,その一歩先のイメージも共有できたら,

いいなと思いました。(ざっくりですが。)



最後まで読んでくださり,ありがとうございました。


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