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【第一部】≪台湾インターンシップ支援を行うに至った経緯について≫

タイトルにあるように、
なぜ『台湾インターンシップ支援』をやろうと考えたか、
なぜ、やりたかったのか、
事業開始までの準備や事業開始後の課題や反省。

今回はそれを振り返りながら ブログ を書きたいと思います。かなりの長文になるので、今回は第一部として配信です。

皆さん こんにちは!
株式会社 ENONでございます。
前回投稿から約5ヶ月が過ぎており、すでに5月に入っております。『毎月投稿!』などと目標は立てたものの、サボり気味で反省しております。
すみません。。。

もう5月半ば、早いものですね。
外は暖かく初夏に入る過ごしやすい天気です。外から入る風を感じながら仕事をするのも気持ちが良いものです。


初めての台湾

初めての台湾は、台北駅にて大学主催の企業説明会への参加でした。大規模なイベントで圧倒されたのを今でも覚えております。
参加企業は200社を超え、駅構内の広場全体を使ったイベントは、なかなか日本でも見る事の出来ないものでした。日本企業としては当社1社のみだったし、目立つ場所にブースを構えさせて頂いたので多くの台湾人財が話を聞きに来て頂きました。一人一人とのコミュニケーションを取る中で、ほとんどの方が「日本語能力試験N1」もしくは「日本語能力試験N2」を取得しており、日本語の会話が出来るという事に驚きました。

この経験がもとで、
①台湾人財が日本での就労を希望するための就業場所の提供をしたい
②台湾人財と何かしらの関わりを持ち、その支援を行っていきたい
という希望を持つに至りました。

このイベントは海外人財専門の派遣会社を立ち上げたばかりの自分にとって、今後の道筋に光が差したように進むべき道を示してくれたきっかけになったように思います。海外人財活用をメインで行う企業としても、人材派遣だけではまだ難しい時期でもあり、拠点を構えた茨城県ではそこまで海外人財の活用が広まっていなかったため、人材派遣や人材紹介以外の何かしら新しいビジネスモデルが必要と感じていた時期でもありました。
新しいビジネスモデルを立ち上げようとしても、そう簡単には行かないし、何かを始めるには経験や知識も必要であり、まだ不安がある時期ではありましたが、一歩踏み出せたような気がしたのを覚えています。

ただ、「台湾人財の活用支援」としても多くの課題がありました。そもそも台湾の方は留学で日本へ来るとしても東京や大阪がメインであり、地方までは観光も含めて今よりも断然少なかったからです。『どうすれば台湾の方が地方に目を向けてくれるのか』、『どのような企業なら地方でも興味を持ってくれるのか』、イベントで関わる方との話をすればするほど、課題が残るイベントだったのも思い出します。
振り返ると、たった2日の中でも多くを学ぶ事が出来た貴重な経験だったと思います。

実際に体験した会社説明会

台湾へ訪問する中で、2度目の訪問だったかとは思いますが、ある私立大学の授業の一コマで、日本企業の会社説明会をさせて頂く事が出来ました。
人材派遣や人材紹介、就職支援や転職支援の説明を行う事で登壇をしましたが、参加頂いた学生の多さにビックリしました!
約120名は参加してくれていたと思います。
日本企業が登壇する事はほとんど無いとの事で、皆さんが熱心に耳を傾け、真剣に日本語での説明を聞いてくれていました。途中、通訳に入って頂き難しい言葉は繰り返し説明をしましたが、ある程度の日本語はすべて理解されているようでした。
質問も多く、積極的な意見交換が出来た場だったと思います。

インターンシップ報告会を視聴して

企業説明会後に開かれたインターンシップ報告会にも参加をさせて頂く事となり、実際に日本でのインターンシップを経験した学生が登壇して説明を行うという報告会でした。
中国語での発表のため、言葉は分からずとも皆さんが経験した事を資料として纏め、プロジェクターで映し出された資料を基に堂々と発表をしている姿を見た時、『これだ!!』と思いました。
大学生が、活き活きと発表をしている姿は素晴らしいものであり、こんなにも貴重な経験が出来るのはそう何度もあるわけでもなく、とても有意義な研修だったのだろうと感じる事が出来たのです。

今、思い起こせばインターンシップとして正式なものではなく、夏休み期間中を利用した研修として、おそらくではありますが※個人が費用負担をして日本での研修を行うというものだったかと思います。渡航費用も個人で負担し、滞在中の生活費も個人が負担するようなものだと思います。
※詳細はわかり兼ねますので、整合性に欠ける部分があるかもしれません。

この報告会を参加した事で、本当の意味での一歩を踏み出す事ができ、新たな事業プランに至るきっかけになったと思います。この報告会への参加が無ければ、現在においてインターンシップ支援事業を行っていなかったかもしれませんし、台湾の大学生を支援するという考えも無かったかもしれません。
そもそも、当時は大学生が日本でインターンシップが出来るというのも知りませんでしたし、【特定活動9号(インターンシップ)】がある事も知りませんでしたので、??? が幾つも出ましたね。

『これがやりたい!!』と思ってからは早かったですね。すぐに現状の仕組みについて調査し、同行して頂いた方に学科の先生を紹介して頂き、ヒアリングをさせて頂きました。その日の夜はほとんど徹夜で在留資格について確認をしていた記憶があります。概ね理解は出来ましたが、やはり実際に受入れをしていないので、どのような不具合や課題があるのが分かりません。
そこがポイントだと考えたところでした。

一人の学生との出会い

前段に述べたように、インターンシップ報告会へ参加をさせて頂いた際に一人の大学3年生の女性と出会う事ができました。
※ここでは≪ Sさん ≫とします。
聞けば、このSさんは以前に一度夏休みを利用した研修に参加しており、北海道のホテルで研修をした事があるとの事。気さくで元気ある学生であり、日本語での会話も問題なく、人当たりの良さが際立つ方でした。
同行した方の知り合いでもあるという事で、夕食を共にし、色々な話をする中ですぐに打ち解け、研修についても経験している事から、メリットやデメリットまで詳細に教えてくれました。
もう少しこのSさんの事を知りたいと考えたため、2日後に予定していたイベントへアルバイトとして参加しないかと打診しました。快く承諾してくれて当日のイベントを一緒に盛り上げてくれるというのです。
思い返せば、「スピードを持った決断力や判断力」がとても優れていた方だったと思い返します。まだ学生にも関わらずしっかりとした意思を持っており、更には好奇心旺盛な部分も強かった学生でした。

無事にイベントが終了し、少しばかりのアルバイト代として謝礼を渡すとき、『えっ?!こんなに貰って良いのですか?』と言われた事は今でも覚えております。
その時です!『私、御社へインターンシップとして参加しても良いですか?』と言ってきたのです。正直、驚きましたよね。まさか会ってそれほど月日が経っていないにも関わらず、インターンシップとして来てくれるとは思ってもいませんでしたから。
即答で、『いいよ!』と返答し、日本で会う約束をしました。

第一部はここまで

今回のブログはここまでとなります。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
台湾へ渡航し、直に台湾人財と接した中での始まりを書かせて頂きました。

次回の第二部は【実際にインターンシップ学生を受け入れる】から続きを書かせて頂きます。
いよいよ、インターンシップ学生を受け入れて感じた事や本格的に事業化に向けた取り組みなどを書く予定です。

また次回お会いしましょう。


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