見出し画像

浮遊する日々を抱きしめて、

また動けなくなって引きこもり生活を始めたわけだけど
今はこんな自分でもまあいいかなと思える。少しだけ。

何度繰り返してもやはりはじめは、
罪悪感と自己嫌悪で頭も心もぐちゃぐちゃだった。

私の見た目は普通ではないだとか派手だとか強そうだとか言われるけど実際はそんなことないから必死なのだとは、なんとなく言えないので飲み込んでいる。不味い。

外に1人で出かけることはかなり根気のいることになってしまったので、毎日着替えもせずベッドと一体化しているのだけれど、衝動的に動き出すこともある。

その日は本を読みたいと思い近くの喫茶店に行った。
マスターとはよく深い話をするのでその日も悩み相談(と言ってもケラケラ笑って聞いてくれるだけ)や言葉がなかったらどうやって感情を伝える?とかそんな話を閉店時間までしていた。私がどんなに重い話をしてもマスターは笑っているし、大丈夫なんとかなる、流れが来ると言ってくれるので下手に真剣に向き合われるよりも心地が良かった。
マスターには派手なのに哲学好きな子と認識されているらしい。
そんな見た目なのに本を読むの!哲学が好きなの!と言われるが、私からしたらこんな見た目だから本を読むし哲学が好き。若しくは本を読むし哲学が好きだからこんな見た目なのかもしれない。

毎日毎日部屋着のまま、ほとんど部屋から出られていないのだが、それでいい、今はそれで十分だと思える。
有難いことに私には居場所がある、味方がいる。
働けないというのが甘えだと言われても、それでもういいよと思える。
出来ないときには出来ないし、頑張れるキャパは人それぞれ違っていて自分を壊してまで働くのは本末転倒なのだから。
この苦しみは私だけのもので、誰かに分かって貰えるものではない。

だから私は今日も、浮遊する思考をぎゅっと抱きしめている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?