周庭(アグネス・チョウ)の無事を喜ぶ資格など私たちにあるのだろうか?記事を読んで

『周庭(アグネス・チョウ)の無事を喜ぶ資格など私たちにあるのだろうか?』

日本人には、と言いたいところだが、敢えて「私」を主語にしてもいい。私には、彼女の無事を喜ぶ資格などあるのだろうか? こう自問自答せざるを得ないのだ。

日本はエニアグラムのタイプ6の国。
タイプ6は、安心・安全・安定を求めます。
それで、いつもは安心・安全・安定になることに腐心しますが、簡単に安心・安全・安定にならない場合は、それを見ないようにします。
礼節にうるさい日本において、暴力団が存在できる理由がここにあります。

それで今回は、周庭(アグネス・チョウ)さん。
私は、周庭さんのことを忘れていることに気付いて文章にしようと思いながら、また忘れてしまっていたうしろめたさがあります。
書こうと思って忘れていたら、周庭さんが話題になり、今回の記事も出ました。

ただこういった話題に興味を持ち続けることは重要だと思っていて、ヤフーなんて、ひっそりと、ジャーナリズムしてますよの言い訳的に(アリバイ的に)目立たせない記事にしていたみたいだけど、ヤフー民がよく記事を見たことでランキング上位に入りました。こういう行動は重要だと思います。

それで この記事の はてな でのコメントを見ると、

あそこまで行ったら他国の応援があればあるほど彼女の身の危険が高まっちゃうでしょ。独立運動に他国の人間が手出しするのは本国からしたら外患誘致になりかねないから応援するにも限界ある。

資格はあるに決まってる。香港の問題は人道や人権の問題を含んでいるので義憤は感じるけど、結局の所、大局的には中国の国内問題の意味合いが大きいし、国際社会が内政干渉できる類いの話にはならないでしょ。

とあって、
こういう混沌を突き付けられると、タイプ6な日本人は、自分の安心・安全・安定を守る方向でコメントをし始めます。
それがどのような理屈であれ、目的は、今の自分の安心・安全・安定の確保なのです。

一方で、

周庭氏の日本語圏向け発信は受け取った人々が香港の状況に当事者性を持つことを期待していたと思うけど、自分は数度の寄付以外はSNSで書き込みやRTをする傍観者のままだったし、そのことにやましさはある

わかる。はてなでも香港独立の旗色が悪くなると周庭(ちゃん)の話題がどんどん少なくなっていって、逮捕時釈放時には「個人」への心配だけでこの人が命をかけて何と闘ってたとか話題にされなくなった

ひとつめの人はあきらかに自分事としていて
具体的にできることはなくても、こうして自分事としている人が増えることが必要だと思っています。


蛇足
はてな のコメントには、

何もコミットしない傍観者がリスク背負って戦う人を勝手に応援して、飽きたら忘れて、何かで思い出したらまた興奮して……、みたいな態度は『エンタメとして消費』『搾取』と差が無いよね、という指摘はあると思う。

というものがありました。

これを読んで唐突に、『ドローンの迷惑少年、投げ銭騒ぎ』を思い出しています。
ドローンで、危険行為をする少年を、大人が面白がって投げ銭感覚で支援援助していた話が以前ありました。
彼の行動を大人たちは面白がり消費していました。

我々は、周庭(アグネス・チョウ)さんの危険を冒すような行動を消費感覚で、投げ銭感覚で援助していたのではないか? とすら思ってしまいます。
『ドローンの迷惑少年、投げ銭騒ぎ』で彼を援助していた大人と何が違うのだろう? とも思いました。

例えば、ウイグル問題で、ユニクロを非難して、あのころ不買運動を言っていた人は今でも不買を貫いているのだろうか? とも思ってしまいます。

私は、不買運動はしていません。と同時に、たまたまであるけど、あれからユニクロに手を出してもいません。でもこれはたまたまであって、私も機会があれば買ってしまうと思います。

ハンガーストライキのようなものでしょうか。
ハンガーストライキを行い食を断つ人が、生命維持と食欲の前に負けるように、
元々消費として、事件を楽しんでいる人ならば、これはもう消費欲には簡単に負けるのではないか? とも思っています。

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