24年間ジャニーズと闘った『週刊文春』元編集長の話を読みながら

『「タレントに罪はない」は本当か…24年ジャニーズと闘った『週刊文春』元編集長がファンの女性に言いたいこと』

そのうち、とんでもないことをジャニーズ事務所は行いました。(略)話し合いをしている最中に、ある圧力団体の人間を入室させてきて、とても芸術を仕事とする事務所とは思えないような下劣な脅迫を始めました。

ジャニーズ事務所会見で総会屋を入れていた疑いで、
どういったルートで総会屋を連れてきたのだろうか? と思っていたのだが、
なんだ 昔から圧力団体の人間とつながりがあったのか。

昔から「とても芸術を仕事とする事務所とは思えないような下劣な脅迫」をするところであれば、
あの総会屋疑惑も疑わしいところだ。

こういった疑いを晴らすためにも、あのときあの場所にいた人達のリストをジャニーズ事務所は公表すべきである。


一方、ジャニーズ批判をした(編集長)松井と(担当デスク)木俣は、社内的には孤立していきました。ジャニーズ事務所から、次のような嫌がらせがあったためです。

(1)ジャニーズ事務所は、「雑誌広告で、ジャニーズタレントが写っている広告は文春には入れないでくれ」と、各企業に圧力をかけました。気概があって、ジャニーズタレントが出ていない広告を別に作って入れてくれる企業もありましたが、わざわざ別に作るなどという面倒なことを企業が嫌がるのは当然で、そうなると広告収入は落ちていきます。

(2)また新商品の発表会でCMタレントがジャニーズだった場合、文春の広告部は出席不可になるか、発表会とは別の機会に説明を受けるということもありました。

(3)小説が原作になって映像化されるとき、本の帯に、映画の主人公の写真を入れることは多いのですが、それもジャニーズタレントだった場合、なかなか許可が出ません。最後まで許可が出ずに脇役の写真で済ませた例もあったようです。

つまり、広告部門と出版部門からは「松井と木俣はなんということをしてくれたのだ」というのが、文春社内での本音の反応でした。広告の説明会にも入れてもらえなかったと悔しがる広告部員の話をあとで聞いて、本当に同僚たちに苦労をさせたと、責任を感じました。しかし、それでも文春社内の誰もが、『週刊文春』がジャニーズと闘うことを許してくれたのは、文春には報道の自由を守るという社風があったからです。

これに、
《1人当たり100万円超》検証番組が報じられないジャニーズ超豪華ハワイ接待の全貌「メディア関係者がタダでコンサートに招待され…」 | 文春オンライン』

の話を合わせると、ジャニーズ事務所が『飴と鞭』を使い分けていたことが分かる。
さらに邪推までしてしまえば、「超豪華ハワイ接待」がメディアだけだったのか? という疑問も出てくる。タレントを広告に起用している企業に対しても接待していてもおかしくはないし、関係する者全てに、それなりの接待をしていてもおかしくはない。

『ジャニーズ性被害問題、一部で指摘されつつも放置されてきたのは誰のせいか』

では

メリー氏は現場制作者への目配りも抜かりなかった。ジャニーズ勢の出演番組の担当者には高額の中元・歳暮を贈った。20万円以上のオーダースーツのお仕立て券が贈られたこともある。

と書かれている。
そうやって周りをコントロールしていくのだろう。

そしてそれはジャニーズを離れて他もどうやらやっているようだ。

『のん、民放キー局4番組で「やっぱりテレビに1秒も映らず」の現状…(略)』

という話があった。

11月1日、東京・六本木ヒルズでおこなわれた高級ファッションブランド「Max Mara」のイベント。
(略)
オープニングイベントのトップバッターで登場したのは、女優「のん」だった。

イベント終了後から翌朝にかけて、各スポーツ紙が、のんの登場を報じている。翌日2日には、テレビ局も朝の情報番組も、このイベントの様子を伝えたが……。
(略)
各番組の放送で取り上げられたのは、桐谷美玲、山田優、ローラ、松岡茉優、滝沢眞規子、森星、前田敦子、大政絢、生見愛瑠、谷まりあ、貴島明日香、内田理央、「水曜日のカンパネラ」の詩羽(うたは)、恒松祐里、5人組ボーイズグループ「M!LK」、そして、プロフィギュアスケーターの荒川静香といった面々。

 16組も取り上げられたにもかかわらず、(放送において)のんは1秒も映らなかったのだ。

再び元の記事から

現在の報道を見ると、手のひらを返したように、「メディアとして反省した」という報道各社のコメントが続出しています。私からすると、真剣、真摯(しんし)なものとは到底思えません。もっと以前に、独力で自らを検証し、報道するチャンスはいくらでもあったはずだからです。

それは、本当に今月、11月にあった、のん をテレビに映さない態度を見ても、真剣、真摯に反省していないことが分かる。

ここで先ほどの
『ジャニーズ性被害問題、一部で指摘されつつも放置されてきたのは誰のせいか』

の中にある話を入れたい。

象徴的なのは、当時はジャニーズ事務所に所属していた稲垣吾郎が2001年、道路交通法違反(駐車違反)ならびに公務執行妨害罪(のちに不起訴)の容疑で逮捕された時のこと。TBSなど民放は「稲垣メンバー」と呼んだ。平等であるべき報道を不平等にしてしまった。これではジャニー氏の性加害問題が報じられるはずがなかった。

 その流れは新聞界にも波及した。2018年、TOKIOのメンバーだった山口達也(51)が女子高生への強制わいせつを行った容疑で書類送検(のちに不起訴)されると、読売新聞を除いた大半の新聞が「山口メンバー」と書いた。

 ただし、山口が同年にジャニーズ事務所を辞め、2020年にオートバイの酒気帯び事故を起こすと、今度は全ての新聞が「山口容疑者」と表記。特別扱いはなくなった。

 朝日は5月27日付朝刊で「<多事奏論>ジャニーズ性加害問題 新聞に欠けていたものは」という署名入り記事を載せている。朝日が性加害問題を追及できなかった理由を自己分析している、その中にこんな下りがあった。

「ジャニーズがタブーだから報じなかったのではないか。そんな声も聞くが、少なくとも私が知る限り、朝日新聞の取材現場がジャニーズに忖度しなければならない理由はないように思う」(同)

 そうだろうか。朝日に限らず、新聞はジャニーズ勢のインタビューを載せ、連載を掲載している。ともに部数増に役立つ。また、朝日の場合、直系子会社が発行する『週刊朝日』の表紙が毎週のようにジャニーズ勢だった時期がある。これも売上増に効果大である。表紙のみを目的に買うファンがいるからだ。

 新聞にも忖度する理由はあったのではないか。だから性加害問題の追及どころか、ジャニーズ事務所への批判眼すら欠いていたように思う。ちなみに朝日も2018年の山口達也の逮捕時には「山口メンバー」だった。

元の
『「タレントに罪はない」は本当か…24年ジャニーズと闘った『週刊文春』元編集長がファンの女性に言いたいこと』

に戻る。

この問題は報道だけではありません。ジャニーズの圧力に迎合して、文春に広告を入れないことにしたクライアントの性的虐待への不見識も問われなければならないでしょう。
(略)
スポーツ界も、あらゆる中継にジャニーズタレントを関わらせて視聴率を稼ごうとしてきたのであり、つまり、犯罪集団に加担した行動を取ってきた業界はたくさんありました。ですから、いま急に反省と言われても、私は信じることができないのです。「反省する。私たちは報道すべきだった」と語るMCたち。しかし、これまで私が書いてきたように、今後、ジャニーズ事務所のような力のある組織が犯罪的行為を恒常的に行っていることが判明したときに、広告やタレントの出演を通じて圧力をかけてきても抵抗するという覚悟があって言っているのでしょうか。

覚悟が無いから、その場しのぎの反省をしているのだ。
そうやって、なんとか自分達の安全を守ろうとしている。
新聞やテレビ局は、今までなら、ジャニーズに合わせたほうが混沌も起こらず簡単であった。
ただし今回は、海外からの批判がある。それに対して、立場を守ろうとすると、反省の態度を示す必要が出てくる。
それでジャニーズその他を気にしながら反省のふりをしている。

いま私たちが、ジャニーズ問題をひとごとではなく切実に捉えるにはどうすべきなのでしょうか?

あえて言えば皆「ひとごとではなく」ではなく「ひとごと」にしたいのだ。

かつて「一億総懺悔」という言葉が戦争直後に叫ばれました。ジャニーズ問題のいまを見るにつけ、私はあれを思い出すのです。

戦時下の教科書をいきなり黒塗りにして、軍国主義と真逆な平和や人権を教え出す「民主主義」教師。隣人を万歳三唱で戦場に送り出していたのに、終戦後は、東京大空襲の被害者としてのみ自らを語り、急に平和国家を目指すと言い始める、かつての愛国婦人会の人々。

そこに本当の反省がなかったことは、明らかです。

だから問題の当事者になりたくないのだ。
皆「ひとごと」にしたいのだ。
それは新聞も同じで、「山口メンバー」だった朝日新聞も真摯に反省しているように見せておいて
「ジャニーズがタブーだから報じなかったのではないか。そんな声も聞くが、少なくとも私が知る限り、朝日新聞の取材現場がジャニーズに忖度しなければならない理由はないように思う」
となるべく自分が(自分達が)問題の当事者になることから逃げる。
「山口メンバー」だったことは記憶から消して「ひとごと」にもっていく。

これは朝日新聞だけでなく、あらゆる関係者が問題の当事者になることを避けている。

10月26日、テレビ東京が〈旧ジャニーズ事務所関連の報道や取引関係についての検証報告〉を文書で発表し、
その中で、「2014年、ハワイのコンサートに招待され、大勢のメディア関係者と同席で食事をした」と出した。
これで、民放各局が放映した検証番組で触れていなかったハワイ接待がバレてしまった。

ちなみにこの問題に関して、テレビ朝日は、「5人が参加、交通費や滞在費については旧ジャニーズ事務所にご負担頂きました」と答えているが、他の局はこの部分に答えていない。

逃げ切れるのならなんとか逃げ切りたい思惑が見え見えではないか。

今回引用した文章の最後のほうでは、かなり厳しいことが書いてある。

メディアによる、真実味にまったく欠ける「反省」よりも、現役アイドルの告発と、それへのファンたちの支援が、日本を変えていくと私は思っています。

これは、かなり厳しい。というか無理な話だと言える。

日本の国では、各々が自身の安心・安全・安定を求めている。
「真実味にまったく欠ける『反省』」も、安全のための保身の一形態である。
「現役アイドルの告発」というのは安心・安全・安定 全てを崩す行為である。それをやる日本人はいない。
また、一般の日本人自身が混沌を見たがらない。それはストレスを受けるほど、その傾向が強く出る。
だから、ファンはもとより一般人も、そういった告発までは求めていない。
たとえ勇気ある告発が現役アイドルが出てきても、その人が発する混沌を嫌い、皆、腫物あつかいすることが予想できる。

理想論としては、私たちが、あらゆる問題をひとごとではなく切実に捉えることが必要なのは分かる。
だが、これは書いている人が思っている以上に無理な話である。

私も日本の問題を書くほど読者が離れていくから(急に私事を書いている)。
自身をエニアグラムのタイプ6と思っていない人でも、混沌話を嫌うから。
日本の多くの人は、日本の諸問題関係なく、自分のことだけを見つめて自身の周りが安らかであれば、それ以上の深入りはしたくない。諸問題には「ひとごと」の立ち位置でいたい。
奥ゆかしき日本文化に育っているのであれば、また日本の学校教育を受けてきたのであれば、これを書いた人にだって、ある程度理解できる話だと思っている。

ここで蛇足を一つ書く。
エニアグラムのタイプ3の国アメリカは、「私が認められたい」国である。
日本のように安心・安全を優先させて、ときに隠れる国民性でなく、「私が認められたい」国である。「私を肯定して欲しい」国である。それはつきつめれば、「どんな自分であっても」が入ってくる。

だから、SNSで本名を名乗るのも、日本ほど抵抗がないし、
カミングアウトも「今のこの私を認めて」という強烈な欲求に基づくものだと理解しておかないと、物事を見誤る。
「本当の自分を隠して称賛を得る不快さ」というものがタイプ3の国、アメリカにはあるのだ。

自分の安心・安全・安定のほうが第一に来る日本が簡単にアメリカのようになれるはずもない。欲求が違うのだからしかたない。

あきらめろ、と言うつもりはない。難しいことを理解して欲しい。
そこから始めるしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?