「高校入試願書出し忘れ」話を読みながら思った日本の2つの課題

『ありえないミス 博多女子中で高校入試願書出し忘れ』

この公立高校の願書の閉め切りは他の高校より早い2月16日正午に設定されていました。

しかし、担当する学校職員が県立高校と誤認し、願書の閉め切りは2月20日と思い込んだということです。

学校側は、2月16日午後2時半ごろ願書を直接、公立高校に持ち込んだ際にミスに気づいたものの、「2時間前に打ち切った」と受理を断られ、結局3人は受験できませんでした。

学校側は、当日夕方3人の保護者らに電話で経緯を説明し、土日を挟んだ3日後、それぞれの家庭を訪問し謝罪しました。

保護者の1人は「ありえないミスだ。子どもは進路を絶たれ、笑って卒業することもできない」と憤りを露にしています。

ヤフコメ

本人が出し忘れたなら、締切後の提出を拒否しても良いと思うけど、学校が出し忘れたのは受付るべきでしょ。
別途、出し忘れた教員には厳重注意すれば良い。

本人に落ち度はないのに、本人がペナルティーを受けるのは、公正じゃなくて、怠慢。理不尽でしょ。

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願書を受け取らなかった高校側の硬直性を感じる。

私が勤めていた大学では,郵送で17時までに必着だったと思う。しかし,入試課職員が郵便局に問い合わせて,局に届いたものの配達に間に合わなかった願書がないかを確認した。それがあると局まで取りに行った。当の受験生は,そんな騒動は知らないだろうが。

受験生の利益を優先して,いくらかは柔軟に対応するほうがいい。

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日本はエニアグラムのタイプ6の国です。
タイプ6は、安心・安全・安定を望み、周りとの関係性の中で生き、内発的には動かない性格です。

タイプ6は、内発的な動きである「責任をとる」「判断をする」という行動を嫌がります。
それで自分の外に責任や判断を求め、その依存先としてルールや法律が存在します。これに依存している限り、責任は自分にあらず、判断も決まっていて、タイプ6としては、安心・安全です。そのはずです。

ところがルールや法律が自分に牙を向けてくることがあります。そうなると、安心・安全ではなくなるので、タイプ6はルールや法律を問題にしたり、無視しようとしたりし始めます。

それでルールを無視し、
「学校が出し忘れたのは受付るべきでしょ」
「願書を受け取らなかった高校側の硬直性を感じる」
となります。

一方で高校側は、ルールに基づいて行動したほうがストレスがないわけです。内発的に動かなくてすみます。自分で「判断」しなくてすみます。自身が判断をすることで「責任」が生じることもありません。つまりルールに依存しきっているほうが安心・安全なわけです。

こういうときは、各々、安心・安全を求めて押し合いが起こります。
この場合は、「ルールは決まっている」「今までこれで行ってきている事実がある(前例踏襲)」で、立場が強い高校が押し切ることになります。

これに関する話をすれば、
日本がタイプ6社会であることから来る課題が2つあります。

それは「ループ(やりなおし)が活かされない問題」と「鹿政談 問題」です。

まず「ループが活かされない問題」から説明します。
今回の話の関連コメントに以下のものがありました。

兵庫県では生徒のミスではなく学校のミスの場合は「受理」するようになっています。昭和時代に初めての推薦入試の時に神戸市の中学校の進路担当者がミスって受検できなくなった過去があるからね。

小説には、何度も時間を戻ってやり直す「ループもの」と言われるジャンルがあります。
ところがタイプ6な日本では何度時間を戻ってもやり直しができない「ループが活かされない問題」があります。

「ループが活かされない問題」
とは
「事前に対応できない問題」「事後にしか対応できない問題」
と言い換えられるものです。

今回の話で、もしも、福岡の関係者のかたが時間を戻ることができても、事前にルールを変更することはできません。
せいぜい先生に注意を促すことが精一杯です。

これは東日本大震災のときの原発事故もそうで、時間を戻っても根本的な解決は不可能です。
せいぜい個々人に注意を促すことしかできません。

なぜならタイプ6な日本は、不安や混沌の可能性を指摘されるのを嫌がるからです。そういったものは「大丈夫」で蓋をして無視します。

安倍元首相が銃撃されたとき、それより前の時期に、辻元議員がそういった可能性を指摘しているのに安倍首相が笑って相手にしなかった動画に注目が集まりました。そういった不安の指摘は事前にされていました。でもその不安は「大丈夫」で無視されていました。

「辻元は今回のループでも安倍を救えなかった」とネットで書いている人もいたようです。

日本では、「混沌が起こる前に対応できない問題」があります。
それは、たとえループができても、大きくは対応できないくらい難易度の高い問題です。
その原因は、タイプ6な日本が不安や混沌を直視できないことから来る問題なのです。
せいぜい個々人に注意を促すことしかできません。


次に「鹿政談 問題」です。
タイプ6日本の理想は「鹿政談」であり「大岡裁き」です。

ですが、日常としてのタイプ6は、ルールに頼りすぎて四角四面、杓子定規になってしまっています。

タイプ6の「統合の方向(成長の方向)」には『調停者』タイプ9があります。
タイプ6のルール重視から、タイプ9の『調停者』的柔軟性の面が出てきて、
タイプ6がより良い状態になった姿が、「鹿政談」であり「大岡裁き」です。
個人を見て、柔軟に対応する姿がそこにあります。

ネットで出ていた話で、ある人が新型コロナがおさまったころに運転免許証の更新に行ったそうなのですが、更新日を過ぎてしまっていたそうです。そうしたら担当の人が「何かどうしようもなく遅くなった理由はありませんか?」と聞いてきて、本人が迷っているとヒントを出してきたそうです。それで「新型コロナで・・」と言いうと、「そう!新型コロナ!」と言って更新日を遅れたことに対応してくれたそうです。

こういった柔軟性がタイプ6の理想です。

柔軟性を求めるのは依存です。安心・安全を求めるどこにでもいるタイプ6日本人な態度です。
ですが、自ら柔軟性を発揮して、他人に安心・安全を提供できるのは、状態の良いタイプ6でしかできません。

今回、学校側は、「2時間前に打ち切った」と受理を断っていて、これはルール通りなのではありますが、そこで柔軟性を発揮して、『調停者
』なタイプ9の面を出して、受理できることがタイプ6社会の理想であり、同時に超えるのが難しいハードルでもあるのです。

これができないから、ルールを追加して追加して追加するのがタイプ6の問題となります。
ルールに追加せずとも、安心・安全な社会を築くのが理想的なタイプ6なのです。と同時に理想に向かうのは至難なので、「鹿政談 問題」としています。


今回は
「高校入試願書出し忘れ」の話から、
日本の二つの課題

不安と混沌の可能性を直視して事前に対応することができない「(たとえループができたとしても)ループが活かされない問題」

安心・安全を他人に依存して求めるだけで、組織に身を置く中で自分からはなかなか提供できない「鹿政談 問題」
を書いてみました。

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