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家庭裁判所調査官調査:鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書の具体的検証

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要約
 本書は家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書を題材に、家庭裁判所調査官の実態や、家庭裁判所調査官が公共性に適った適切な能力を備えているかを検証していく。
 父親が離婚後に母親と同居する小学生の未成年者との交流を求めた審判において、家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査が実施された。その調査報告書によれば未成年者は、入院時に父親が見舞いに来なかったこと、幼稚園の運動会に警察が来たこと、小学校の入学式で父親と母方祖父がけんかしたことの3つの出来事を挙げて父親を嫌いになったと述べている。鳥居貴美子、阿久澤玲奈は本調査の結果、父親と未成年者との交流を断絶させるのが相当としている。
 しかし、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が「実際にあったものだということは強く推認される」とした上記の出来事のうち、父親は未成年者の入院時に見舞いに行っており、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断には明らかな誤りがある。他の2つの出来事についても、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は出来事の有無と、その評価は別であることを区別できておらず、また、運動会の出来事は、母親が親子交流の合意を反故にしようとして警察沙汰になっており、入学式の出来事では後に母方祖父に損害賠償請求が認められた不適切な言動があったために揉めることになっている。更に、これら当時の未成年者に父親を嫌っていた様子はないが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこれらについて何ら考慮していない判断をしている。
 未成年者が父親との楽しい思い出として述べたプール、温泉、川の出来事は、全て入学式よりも後の出来事であるため、未成年者は入学式より後も父親との好ましい交流をしていたことになるが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこれについて何ら考慮していない判断をしている。
 その他に鳥居貴美子、阿久澤玲奈が言及や考慮をできていないものには、親子交流の社会学・心理学的調査結果、母親が父親に住所を秘匿しなければならない必要性、入学式後も父子関係が良好であったことを示す動画、良好だった父子関係が交流の断絶後に未成年者が偽記憶を持ったり父親を嫌うようになったりした理由、未成年者と父親の関係改善の可能性や、関係が改善した場合の効果等がある。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、事実上、子と別居親との関係を断絶したければ子が別居親を嫌うように仕向けることを推進したものとなっており、このような子への洗脳を推進している鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断が子の利益に反しているのは明らかである。
 これらの鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査態度は、子の利益を蔑ろにしたものであり、このような家庭裁判所調査官の態度や資質を改善することが、公共性や子の利益を増進することになるだろう。


はじめに
 本書は家庭裁判所調査官が、公平公正に、子の利益を考慮した判断ができているのかを、家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈による実際の調査報告書を題材に検証していく。
 裁判官による判断が不当な場合は、上訴によって再検討の機会が法によって保障されているが、家庭裁判所調査官による調査報告書だと、それが不当であったとしても、当事者には内容の改善を申し立てることができる法的な手続保障が存在しない。また、裁判官による判断は判例集等で公開されることがあるから当事者以外の第三者も見ることができるが、家庭裁判所調査官による調査報告書は公開されることがないため、第三者によるチェックや検証をすることが困難になっている。つまり、家庭裁判所調査官による調査報告書は、外部の検証対象になり難いことで、そこに子の利益を蔑ろにした汚職が蔓延っていても発覚し難い構造になっているこということである。実際、国会図書館等で検索しても、家庭裁判所調査官の調査報告書について、個別にその妥当性や公正性を検討したものは見当たらなかった。
 そこで本書では、鳥居貴美子、阿久澤玲奈によって実際に作成された親子交流に関する調査報告書を題材に、その内容が公共性や子の利益に適ったものとなっているのかを検証していく。上記したように、このような試みは公開されたものには存在しないようなので、本書は類を見ないものだといえるだろう。しかしそれが必要性のないものかといえば、家庭裁判所での裁判官の判断には、家庭裁判所調査官の調査報告書に大きく依存しているものも多い。つまり実務上、家庭裁判所調査官の調査報告書によって裁判官の判断が大きく左右されていることは少なくない。そうであれば、公共性や子の利益を守るため、家庭裁判所調査官の調査報告書が適切なものとなっているかを検証していく必要があるだろう。
 「一事が万事」というが、本書でまな板に上げるのは鳥居貴美子、阿久澤玲奈の2人、つまり複数の家庭裁判所調査官によって作成された調査報告書なのだから、これにまともさの欠如があれば、他の家庭裁判所調査官による調査報告書も、公共性や公正性の欠如が疑われてくる。それは当然、家庭裁判所調査官のあり方に改善すべき点があるということだ。
 裁判官を主人公にした「イチケイのカラス」というテレビドラマの中で、「被告人を裁いているように見えて、実は私も裁かれる。それが裁判です」とのセリフがある。これは家庭裁判所調査官にも言えることだろう。家庭裁判所調査官が調査をして調査報告書を作成するということは、それがまともなものであるかということを家庭裁判所調査官が調査されることにもなるということだ。それが調査報告書に作成者の名前の記載があり、押印までしていることの責任である。
 なお、読者も検証できるように実際の調査報告書を本書の後部に掲載している。ただし個人情報も含まれるため、検証対象とした部分以外は基本的にマスキングをしている。
 では、家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書が、まともであるかを見ていこう。


目次
要約
はじめに
第1 事件の概要
第2 調査報告書の要旨
第3 未成年者が父親を嫌うきっかけについて
1 未成年者の入院の見舞いについて
(1) 未成年者の入院時の出来事
(2) 未成年者の入院に関する発言の不自然さ
2 幼稚園の運動会について
(1) 時期や時系列の誤り
(2) 母親らの親子交流の反故について
(3) 運動会についての父親の事前の主張について
(4) 運動会後の親子関係について
3 1年生の入学式について
(1) 入学式での出来事
(2) 入学式の出来事に対する裁判所やツイッターの評価
(3) 入学式に対する鳥居貴美子、阿久澤玲奈による見解の合理性
4 小結語
第4 鳥居貴美子、阿久澤玲奈が言及していない点について
1 親子交流の人格的利益
2 親子交流の社会学・心理学的調査
3 時系列
4 母親の転居や住所秘匿の必要性
5 未成年者の不適応
6 母親への調査
7 未成年者のリスクマネジメント
8 入学式後の未成年者と父親との関係
9 社会的影響
10 関係改善の可能性や効果
11 父母間の高葛藤
第5 鳥居貴美子、阿久澤玲奈に対する検証のまとめ
第6 結語
付録 鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書


第1 事件の概要
 本書で検証対象としているのは、父親が離れて暮らす未成年者との交流を求めて申し立てた審判での、家庭裁判所調査官による調査報告書である。母親は未成年者と連れ去り別居し、その後に離婚。父親は未成年者の2歳上の長男を監護している。以前は父親と未成年者との親子交流をしていたが、母親が別居後に戻った実家から未成年者と共に転居をして以降、約4年にわたって父親と未成年者や、長男と未成年者との交流が断絶されている。そのため父親は父親と未成年者や、長男と未成年者との交流のため、親子交流の審判を申し立てた。


第2 調査報告書の要旨
 実際の調査報告書は本書の後部で確認してもらいたいが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が「調査官の意見」で判断の根拠にしている事項は以下のとおりである。

① 未成年者は、父親との楽しかった思い出として、プール、杉乃井ホテルの温泉、川、ラーメン屋について述べている。

② 未成年者は、父親が嫌いになった出来事として、入院時に父親が見舞いに来なかったこと、幼稚園の運動会に警察が来たこと、小学校の入学式で父親と母方祖父がけんかをしたことを述べている。

③ 母親は父親に住所を秘匿しており、母親は未成年者に、父親に住所がばれたらもっと遠くに引っ越さないといけないと伝えている。

④ 未成年者は、父親に住所がばれたらもっと遠くに引っ越さないといけないことも、父親と交流したくない理由として述べている。

⑤鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、未成年者が述べたことを「未成年者が記憶しているエピソードが実際にあったものだということは強く推認される。」とし、更に、母親が住所を秘匿しなければならない状況での親子交流が未成年者にとって負担なことを理由に、父子関係を断絶することが相当だとの判断をしている。


第3 未成年者が父親を嫌うきっかけについて
1 未成年者の入院の見舞いについて
(1) 未成年者の入院時の出来事
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査報告書に拠ると、未成年者は父親を嫌うようになったけっかけとして、入院の見舞いに父親が来てくれなかったこと、幼稚園の運動会で警察が来たこと、1年生の入学式で父親と母方祖父がけんかをしたことの3つをこの順序で述べている。未成年者にとって父親が入院の見舞いに来てくれなかったことは、「このときから、お父さんのことが嫌いになった」出来事になっており、また、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこれら3つの出来事について、「未成年者が記憶しているエピソードが実際にあったものだということは強く推認される。」としている。この鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断はまともであろうか。
 これら3つの出来事を順に見ていこう。
 母親が未成年者の入院について、母方代理人弁護士を介して父親に連絡してきたのは、2018年5月25日であった(甲19)(実際の審判でも本書を主張書面として提出しており、ここでは母親の代理人弁護士が父親に未成年者の入院についてメールで連絡してきたことを書証で提示している。以下、「甲」は書証を意味する。)。父親は何度かのやりとりの後、病院に見舞いに行く時間をメールで伝え返している(甲20)。そして、父親は入院中の未成年者を見舞い、その証拠となる病院での写真も残っている(甲21)。
 さて、これらの事実は何を意味するだろうか。まず、父親は見舞いに行っているのだから、未成年者が父親を嫌い始めた理由として挙げた入院時の出来事は、実際には存在しない偽記憶だったことになる。また、このような未成年者の偽記憶を鳥居貴美子、阿久澤玲奈は「実際にあったものだということは強く推認される。」としているのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は誤った推認を調査報告書に記載したことになる。鳥居貴美子、阿久澤玲奈は「強く推認される」と強調までしているのだから、このことはむしろ、家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈の不適切さや無責任さが強く推認される事項となっているのではないだろうか。
 この入院に関する未成年者の発言の真偽は、未成年者の発言全般の信憑性に関わる事項なのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が適切な意見を作成する意思があるならば、入院に関して父親や母親に事実確認をするのが当然の責任ある態度ではなかっただろうか。鳥居貴美子、阿久澤玲奈が入院について父親に問い合わせれば、父親は上記の書証を根拠に示して、見舞いに行ったことを証明していただろう。そして未成年者の入院に関する発言が偽記憶と分かっていれば、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は「調査官の意見」において、「未成年者が記憶しているエピソードが実際にあったものだということは強く推認される。」とは記載できなかったはずである。ここに鳥居貴美子、阿久澤玲奈の子どもの偽記憶についての理解不足や、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の家庭裁判所調査官としての不適切性が表れているように思われる。当然、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の専門職としての理解力や態度が不適切であれば、鳥居貴美子、阿久澤玲奈によって作成された調査報告書も不適切だと言わざるをえない。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。

(2) 未成年者の入院に関する発言の不自然さ
 先に未成年者の入院についての発言が事実と異なることを述べたが、そもそも未成年者の発言には不自然さがある。それを読み取れていないことも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の不適切な点だろう。
 以前に親子交流が実施されていたときでも、月に1回か2回でしかなく、それは月の30分の1か15分の1でしかない。未成年者の入院は1日だけなのだから、それが親子交流の予定日であった可能性のほうが低い。また、母親が未成年者の入院を父親に伝えたのかという疑念も生じる。事実としては、偶然に親子交流の予定日だったために父親に連絡があったが、そうでなければ未成年者が入院したとしても、母親が父親に伝えることはなかっただろう。また、父親と未成年者は別の県に住んでいるのだから、父親に連絡があったとしても仕事等の都合等で遠方まで見舞いに行く時間がなかったことも十分にありうる。常識的に考えて、仕事後に県外の病院まで見舞いに行こうとしても、もう面会時間を過ぎている可能性があるし、朝から見舞いをしてそれから遅刻しないように県外の職場に出勤することも困難である。そもそも一般的な朝から勤務の職場なら、病院で朝の面会時間が始まったときにはもう職場に出勤していなければならない時間でないだろうか。命に関わるような状態であればともかく、仕事内容によっては急に休みを取って周りに迷惑をかけてまで見舞いに行くことを躊躇することもあるだろう。
 つまり可能性で言えば、未成年者が入院しても父親に連絡がなかったり、連絡があっても距離や時間の問題で見舞いに行けなかった可能性のほうが高いのである。そのような状況において、未成年者が見舞いに来なかった父親を嫌いになったとしても不合理というものであり、むしろ親子交流によって未成年者の認識を訂正すべき事項だろう。
 しかしながら、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこの程度の検討さえ全くできていない。今回は父親が見舞いに行っていたが、仮に行っていなかったとしてもそれは未成年者が父親を嫌う理由としては不合理である。その程度のことさえも理解できていない鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、まともさが欠落しているのではないだろうか。
 また、父親が見舞いに行っていてもその証拠が残っていなければ、未成年者の発言が優先され、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の誤った意見が審判結果にそのまま反映されるおそれも強かっただろう。そもそも、裁判当事者が調査報告書の誤りを証明しなければならないこと自体が、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の家庭裁判所調査官としての不適切性を示しているのではないだろうか。専門職に求められる資質の1つに、自らの能力を自覚しておくことがあるが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は情報不足で分からないことを分からないとしているのではなく、また、父親に事実の確認をすることもなく、未成年者の発言を「実際にあったものだということは強く推認される。」と誤った結論を出しているのだから、その不適切性は顕著というほかない。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。
 なお、父親と未成年者との親子交流が適切に継続していれば、未成年者が偽記憶を持つことはなかっただろうし、仮に未成年者が偽記憶を持ったとしても、父親は必要なら証拠を示した上で、容易に未成年者の偽記憶を修正することが可能であった。その意味において、未成年者の入院についての偽記憶は、親子交流が断絶されていることでの弊害の具体例と言えるだろう。当然、このような弊害を速やかに改善することが、未成年者の利益に適うことは言うまでもない。


2 幼稚園の運動会について
(1) 時期や時系列の誤り
 幼稚園の運動会に警察が来たことについて、未成年者は年長のときだとしているが、これも誤りである。事実は未成年者が年少であった2016年10月15日の出来事で、つまり、入院の件よりも先である。
 このように、父親が見舞いに行っているのに未成年者は来なかったと述べているのは、未成年者の偽記憶であるが、更に、未成年者の運動会に警察が来たのが先で、未成年者の入院が後なのだから、時系列においても未成年者の発言は事実と異なっていることになる。未成年者の発言に拠れば、入院時に父親が見舞いに来なかったことは、父親を嫌うようになり始めた分岐点となる出来事ということになるが、その分岐点となる出来事が偽記憶で、時系列も誤っているのだから、未成年者の発言の信憑性には強い疑義を抱かざるを得ないのというのが、専門職としての客観的な認識なのではないだろうか。
 ちなみに、未成年者が年長のときの運動会にも父親は行っているが、警察が来るようなこともなく、運動会後に予定していた親子交流も何ら問題なく実施できている。

(2) 母親らの親子交流の反故について
 さて、では未成年者が年少のときの運動会では何があったのだろうか。この日は事前に、運動会後はそのまま園内で父親が未成年者を受け取り、翌日まで宿泊を含む親子交流をする予定で合意していた。しかし、母親や母方祖父母は、運動会中の未成年者に対し、運動会後に食事に行こうと誘っていた。そして母親たちは運動会が終わると未成年者が父親との宿泊に行きたがっていないからと、未成年者の手を引っ張ってを連れて行こうとした。しかしそれでは事前合意に反するため、父親は母親たちを呼び止めると、母親たちは大声で父親を中傷してきた。また、母方祖父は父親にべろべろばーのようなことをしていた。父親は意味不明に感じてきょとんとした気持ちになっていたが、後になって、それが父親に対しての挑発だったのだろうと気づいた。父親は未成年者を抱いて連れて行かれないようにして、合意内容を弁護士に確認するようにと母親たちに繰り返し伝えた。このようなやりとりの中で、父親が抱いていた未成年者を母方祖父が強引に引っ張ったために未成年者は号泣した。更に、母親側は警察を呼んで大騒ぎにした。しかし母親側は代理人弁護士に連絡し、宿泊の合意を守るように言われたため、父親は未成年者と一緒に幼稚園を出ることができた。父親はこんなことに巻き込まれた未成年者や長男が心配だったが、その後は未成年者も長男と父親と共に楽しそうに過ごした。
 これが未成年者が年少のときの運動会に警察が来た顛末である。要するに、母親たちは親子交流の予定をしていたにもかかわらずそれを反故にしようとし、思い通りに反故にできないと父親を罵倒したり挑発したり、未成年者を強引に引っ張って未成年者を号泣させたり、警察を呼んだりしたということである(甲22)(父親が母方代理人弁護士に対して、運動会の件について問いただしているメール)。

(3) 運動会についての父親の事前の主張について
 この未成年者が述べた運動会について、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は同一のことを父親が述べていないとしているが、実は以下のように主張書面で既に述べていた。

【家裁調査官研究紀要第19号78頁(甲1)には、監護親の子どもと別居親に対する引離しの言動として、「面会交流の予定日に他の楽しい行事を入れる」も挙げられているが、これも以前に相手方がやらかしてきたことがある行為であり、そのときにも相手方は父子交流や兄弟交流に支障を生じさせている。このような相手方の行為が未成年者の負担になったことは言うまでもない。】(主張書面1の3頁)

 さすがに具体的には述べていないので、母親が「面会交流の予定日に他の楽しい行事を入れる」をしてきたことと、未成年者が述べた運動会のことが同じだと気づくのは困難だろうから、このことで鳥居貴美子、阿久澤玲奈の能力不足を指摘するつもりはない。しかしこの出来事は母親が不適切な言動をしてきたことを示す根拠ではあっても、未成年者が父親を嫌うことが合理的だとする根拠にはならない。

(4) 運動会後の親子関係について
 この運動会後の親子交流において、未成年者は父親や兄と体操服姿のまま歓声を上げて楽しく遊んだり、その夜の公園でも歓声を上げて楽しく遊んだりしており、その様子から未成年者が父親と嫌っていることは認められない(甲23の1~2)(運動会後の未成年者の動画)。
 それにもかかわらず、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、未成年者がこの運動会もきっかけで父のことが嫌いになったと述べたことについて、何ら疑問を抱くことができていない。この運動会の出来事は母親の不適切な行為によって引き起こされているのだから、未成年者がこのことを正しく認識していれば、母親を嫌う理由にはなっても、父親を嫌う理由にはなりえないし、事実、未成年者には運動会当日もそれ以降も、父親を嫌っていた様子はない。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、父親を嫌いとする未成年者の意向を尊重して親子交流の結論を出すことが相当だとしている。これはつまり、子が偽記憶によって別居親を嫌い、同居親が親子交流の予定日に他の楽しい予定を入れて親子交流の合意を反故にしようとすることで子を号泣させた場合、子と別居親との交流を断絶するのが相当だとしているわけである。運動会のことも、入院の件と同様、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が父親に確認していれば、容易に事実確認できたことであるが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が事実確認をしないのなら、情報不足で分からないことは分からないとすることが、自らの能力の弁えた専門職の責任ある態度というものである。
 それにもかかわらず、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は事実確認をするでもなく、情報不足で分からないことを分からないとするでもなく、誤った結論を調査報告書に記載している。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。
 なお、父親と未成年者との親子交流が適切に継続していれば、仮に未成年者が運動会の件で父親に不信感を抱いたとしても、約束を勝手に破って未成年者を号泣させて警察まで呼びながらも、結局は代理人弁護士に説得されて自分たちが間違っていたことを認めたのは母親側だったと、父親は未成年者に事実を伝えることができたし、運動会の後も未成年者が父親や兄と楽しく過ごしていた様子を見せることもできた。その意味において、未成年者の運動会についての改変している認識も、親子交流が断絶されていることでの弊害の具体例と言えるだろう。当然、このような弊害を速やかに改善することが未成年者の利益になることは言うまでもない。


3 1年生の入学式について
(1) 入学式での出来事
 次に、未成年者の小学校の入学式での出来事について見ていこう。未成年者は小学校入学前の3月の父親との面会交流において、小学校の入学式に来て欲しい旨を父親に伝えていた。そのため父親は未成年者の入学式に出席するため、長男と一緒に入学式に行った(長男の小学校も同日が入学式だっために休日であった)。
 未成年者の入学式は午前10時からと予定されていたが、開式の10分ほど前に保護者席に座っていた母親に教員が声をかけ、母親は教員と一緒に体育館を出て、しばらくしてまた保護者席に戻っていた。入学式は予定時間からやや遅れて開式し、約40名の新入生が入場してきたが、その中に未成年者はいなかった。
 父親は体育館後方の入口に行って外を見ると、体育館入口から直進に位置する校舎の児童用昇降口で、未成年者はパイプ椅子に座っていた。その状況を見て事情を把握した父親は、未成年者の精神的ケアの必要性を感じ、まず長男を未成年者のところに行かせ、しばらくしてから父親も未成年者のところに行った。未成年者に付き添っていた教員と父親が話すと、やはり未成年者は入学式での参列を嫌がったため、この場所から体育館の中を見ていたということであった。
 父親と長男は、未成年者に関わっていくことで未成年者の気持ちをほぐしていき、多少の時間はかかったものの、入学式が終わる前に未成年者を体育館に入れることができ、未成年者は体育館の入口付近から入学式を見学した。なお、父親は不登校等に関わる専門職に従事している。
 未成年者が体育館に入ると、母親と母方祖父とで未成年者を囲み、父親が未成年者に関わることを阻害してきたため、父親はこれ以上の未成年者への関わりが困難になった。
 入学式後が終わると、新入生は体育館から退場したが、その際、未成年者がいた場所を通るため、未成年者は新入生の退場前に母親らが保護者席に連れて行っていた。
 母親らは、入学式が終わり新入生が退場する頃から、未成年者を保護者席に連れて行っていたが、しばらくして父親が長男と共に未成年者に近づくと、母方祖父は執拗に父親と未成年者との間に入り、未成年者に声をかけようとする父親を阻害し、長男や未成年者がいる前で、「関係ないだろおたくさ、関係ないからどっか行ってくれん」(甲24の1)(以下のURLでぼかした動画を視聴可能。https://togetter.com/li/1345340)等と、父親であり親権者でもある父親に対して、虚偽を述べることで中傷し、父親に多大な精神的苦痛を与えた。未成年者はこのような母方祖父の阻害行為に対して、体を傾けてたり背伸びをしたりして、父親に顔を見せようとしていた。
 また、未成年者は自らを拘束していた母親に対して、「お母さんの手が邪魔。」と、母親の手を10回以上繰り返し叩いていた。
 更に、母方祖父は、長男や未成年者がいる前で、父親として未成年者に関わろうとしている父親に対して、その父親の行為を批難して、「自分の人生を考えなさいよ」等の意味不明な言動を繰り返すことで、父親が未成年者と関わろうとすることを阻害した。
 上記の後も、母方祖父は、父親が未成年者に関わることを阻害しながら、未成年者に対して、「関係ない人は撮んな。」等の発言を繰り返し(甲24の2)(以下のURLでぼかした動画を視聴可能。https://togetter.com/li/1345340)、父親が母方祖父に嘘を言わないようにと伝えても、母方祖父は自らの虚言を訂正することはなかった。また、母方祖父は、長男や未成年者がいる前で、親が我が子に関わることを気持ち悪いとする旨の発言をしている。このような母方祖父の言動に対して、未成年者は、「じいちゃん邪魔するな。」と繰り返し述べているが、それでも母方祖父の言動が改善されることはなかった。
 また、母方祖母は、未成年者の「じいちゃん邪魔するな。」との発言をすぐ横で聞いていたにもかかわらず、未成年者が上記発言をした直後、未成年者を抱きかかえて父親と長男から引き離そうとした。そのときに未成年者が父親のほうを見ようとすると、母方祖父は未成年者の頭を左手で鷲掴みにして、未成年者が父親のほうを見ないように押さえつけた。未成年者は父親に手を伸ばして「勝手に連れて行かれる」とも言っていた。しばらくして未成年者が批判的口調で母方祖母に「離してよ」と言うと、やっと未成年者は束縛から解放された。
 父親は、未成年者の意思を蔑ろにした母親らの強引な言動に対し、そのような強引なことはしないようにと母親らに伝えると、母方祖父は、父親に対して、右手の平を下にして手首の折り曲げを繰り返しながら「ちっちっちっち」と言うことで、あたかも、犬でも追い払うかのような侮辱的な言動をした(甲24の3)。この母方祖父の言動に対して、すぐ近くにいた未成年者は、「ちっちて何?」と発言していることから、母方祖父の上記言動は未成年者も見聞きしていたものであった。また、長男も、母方祖父の上記言動を見ていた。
 父親は、母方祖父の上記言動に対して、未成年者の入学式の場であることを考慮し、その場での抗議は最低限にとどめたが、母方祖父の上記言動は、父親を人間扱いさえもしていない人権侵害というべきものであり、長男と未成年者の前でこのような言動を受けた父親の精神的苦痛は甚大なものであった。更に、母方祖父の上記言動は、未成年者の小学校の入学式という祝うべきハレの日に、写真撮影のために体育館に戻って来ていた他の新入生や、その保護者、それに学校関係者が近くにいる中で行われたのだから、その不適切性は顕著であったと言わざるを得ない。
 そもそも、父親が未成年者の入学式に行かなければ、未成年者は入学式の会場である体育館に入ることさえもできなかった可能性が高い。それにもかかわらず、入学式やその後の母親らの言動は、未成年者の小学校入学を祝ってあげることよりも、未成年者と父親の関わりを正当な理由なく阻害することを優先したものであり、そこに未成年者の福祉に対する配慮は認められない。そのため、父親は母親らの未成年者の福祉に反した、未成年者の入学式というハレの場であることをわきまえない非常識な言動のために、著しい精神的苦痛を被った。
 母方祖父は、父親に対して「頑張ってね、裁判。」、「同意じゃないから証拠能力ないし、同意してません。」とも言っている。そうすると、母方祖父は、未成年者の入学式というハレの場において、自らが提訴される可能性がある不適切な言動をしていると自覚しながらも、同意していない撮影には証拠能力がないため、どれほどやりたい放題にしても法的責任が問われることはないと高を括っていたということになる。このような母方祖父の言動が、社会通念上も、未成年者の福祉の観点からも、極めて不適切であるのは明らかである。

(2) 入学式の出来事に対する裁判所やツイッターの評価
 前記した入学式の出来事は、入学式での母親らの言動があまりにも非常識だったため、父親が熊本地方裁判所に損害賠償請求を提訴したものを、一部改変して引用ものである。この訴訟では母方祖父に対する損害賠償請求が認められている(熊本地方裁判所平成31年(ワ)第277号、令和2年12月22日判決)。
 この入学式の動画をぼかしてユーチューブ上にアップすると、旧ツイッターで以下を含む多くの感想が寄せられた。
https://togetter.com/li/1345340

●まさに、毒占=独占ですね。 子どもがかわいそう。 もうどちらに対しても虐めです。
●酷えなこれ。バカ老害が片親疎外はしていても幸いながら子には伝染していないようで、これとて父親が懸命に接点を保とうと努力しているからだろう。断絶されたら染まるか悩むか、いずれにしてもいいことは何もない。
●胸糞悪いですね。このジジババに対して殺意すら湧きます💢 明らかに児童虐待ですね。
●動画見ました。祖父母が妨害している事に憤りを感じました。しかも子供も嫌がっている。明らかな児童虐待です。
●ひどい祖父だけど、片親阻害になる行為だけど、なんかもうこのお子さんには、それに負けない自我やお父さんとの絆を感じます。元気過ぎてグレたりしないといいけど。お父さんのこの不当な状況での筋の通った行動と冷静な声掛けをきちんとお子さんはみててくれると感じました。
●マジ頭くる! 何この老害!
●このお父さんはよく耐えておられる 俺なら頭に血が上ってこの老害を怒鳴りつけていただろうと思う こんなことをやられたらと思うと 動画見終わった今も怒りで動悸が治まらない
●お父さんは、何て偉い人!あんな事やられても、コントロールして、子供にキズが出ない様に。本当に涙が出る。あなたはヒーロー、息子のヒーローなお父さんだよ。あのクソジジは、人類の恥ずかしいとして覚えられるだけ。
●この動画を前に拝見しました。このジジイが不適格なことは当然ですが、それを見て見ぬふりをしていた嫁と祖母も不適格だと思っています。

 このように、裁判所の判断においても、一般的な大多数の感想においても、未成年者の小学校入学式で不適切な態度を繰り返したのは母親らとなっている。
 また、未成年者の発言に拠れば、未成年者はこの入学式の時点で、父親が入院時に見舞いに来なかったことや、幼稚園の運動会で警察沙汰になったことから父親を嫌いになっていることになるが、この入学式での動画でも未成年者が父親を嫌っている様子はなく、むしろ未成年者は、父親との交流を阻害するために自らを拘束していた母親に対して、「お母さんの手が邪魔」と母親の手を10回以上繰り返し叩いたり、同様に、父親との関わりを阻害しようとしている母方祖父に対して、「じいちゃん邪魔するな」と繰り返し述べている。

(3) 入学式に対する鳥居貴美子、阿久澤玲奈による見解の合理性
 さて、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、このような入学式での出来事も理由に挙げ、親子交流の断絶が相当だと結論付けている。たしかに未成年者が発言したように入学式で揉め事があったことは事実である。しかしその出来事を未成年者どのように認識しているかや、その認識が合理的であるか、改変されていないかが重要であることを、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は理解できていない。カウンセリング分野では基礎的なことだと思うが、出来事とは本来、どのようなことであっても中立なものであり、それをどのように評価するかには個人差が生じる。よく例えられるのがコップ半分の水で、のどが渇いたときに、水が半分も残っていたと喜ぶか、半分しか残っていないと残念がるかは、その人次第ということである。また、人の受け止め方は不変なものでもない。「人間万事塞翁が馬」の故事が教えるように、不幸だと思ったことでも、後にその認識が変わることも珍しくない。
 ここで入院の見舞いについて思い出してみよう。未成年者は父親が入院の見舞いに来なかったから父親を嫌いになったとしているが、次の文のように、見舞いに来たから父親を嫌いになったとすることも可能である。

「僕が入院したとき、お父さんは嘘だと言って、本当に入院しているのか態々見舞いに来ることで確かめに来た。このときから、お父さんのことが嫌いになった。」

 このように、本来は父親が見舞いに来てくれたという好ましい出来事であっても、受け止め方次第で否定的な出来事にもできてしまう。つまり、出来事の有無と、その出来事に対する評価は区別しなければならない。
 このようなことを前提に入学式の状況を見ると、動画でも確認できるように、入学式での未成年者が父親を嫌っている様子はなく、むしろ未成年者は父親と未成年者との関わりを阻害しようとして自らを拘束する母親に対して、「この手邪魔」と母親の手を繰り返し叩いたり、母方祖父に対して、「じいちゃん邪魔するな。」と繰り返し述べたりしている。そもそも入学式は未成年者が父親に来てほしいと望んだことであった。そうするとこの時点での未成年者の認識は以下のものだったと言えるだろう。
「僕がお父さんに入学式に来てほしいとお願いしたらそれを叶えて来てくれた。でもお母さんは僕がお父さんといようとしても僕を捕まえて離さず、『お母さんの手が邪魔』とお母さんの手を叩いても離してくれなかった。じいちゃんも僕とお父さんのことを邪魔して、『じいちゃん邪魔するな。』と言ってもじいちゃんは邪魔を止めてくれなかった。ばあちゃんも僕がお父さんといたら僕を抱えて勝手に連れてい行き、僕がお父さんを見ようとしたらじいちゃんは僕の頭を鷲掴みにしてお父さんを見るのを邪魔した。」
 入学式での未成年者の様子は動画で確認できるのだから、入学式の時点で未成年者が父親を嫌うようになっていたとは認められない。
 そうすると、この入学式での出来事も理由に未成年者が父親を嫌っているとした鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、著しく不適切だといえる。ここまでくると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は親子断絶に加担し、世に害悪を撒き散らすために家庭裁判所調査官をしているのではないかとも疑いたくなる。
 なお、調査報告書を見ると調査事項は「子の意向」とある。そのため鳥居貴美子、阿久澤玲奈が言い訳をしようとすれば、「入院中の見舞いの有無や、運動会で警察が来た原因、それに入学式で揉めた原因なんかはどうでもいい。私達は調査対象である未成年者の意向を調べただけで、他のことの調査や確認をする義務はない」といった態度で自己正当化するかもしれない。しかしそれならそれで、「調査官の意見」では、「未成年者の認識や意向は~であった。しかしその認識が事実かは分からないし、その認識に基づく未成年者の意向が、父親との交流を長期にわたって断絶されたことや、母親側に独占支配されたことで歪められたものであるかも分からない」と、自らの能力や調査方法の限界をきちんと自覚したものとする必要があった。少なくとも、今回の鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書のように、可能な事実確認をするともなく誤った判断をするよりも、分からないことは分からないと書くほうが、よほど良心的で専門職として必要な態度ではないだろうか。鳥居貴美子、阿久澤玲奈が自らの能力や調査方法の限界を自覚できていないという意味では、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は自らの能力を過大評価した万能感に酔っていることが疑われる。

4 小結語
 ここまで鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査報告書を「調査官の意見」を中心に、未成年者が父親を嫌う理由として挙げた、①入院時の見舞い、②幼稚園の運動会、③1年生の入学式、の3つについて、その事実や評価、それに対する鳥居貴美子、阿久澤玲奈による判断の妥当性について検証してきた。
 まず、未成年者は入院時に父親が見舞いに来なかったことを理由に、このときから父親を嫌いになったとしているが、父親は見舞いに行っているのだから、未成年者の発言は偽記憶に基づくものであった。しかし鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこの出来事を含めて、「未成年者が記憶しているエピソードが実際にあったものだということは強く推認される。」としているのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断能力がいかに杜撰なものであるのかが分かるだろう。このことは、家庭裁判所調査官の調査や、それに基づく調査報告書が杜撰なものだと言い換えることもできる。
 次に、幼稚園の運動会に警察が来たことは、母親らが事前合意していた親子交流を反故にしようとして発生したものであり、且つ、この当時の未成年者に、運動会を理由に父親を嫌いになっていた様子も認められない。そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、親子交流の合意を反故にして問題を発生させ、別居親と子の関係を断絶して子の出来事や別居親への認識を変化させれば、親子交流を断絶できるとの判断をしていることになる。このような鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、事実上、親子交流の断絶や子への洗脳を推進するものとなっているのだから、この判断が子の利益や公序良俗に反するのは明らかである。つまり、家庭裁判所調査官が子の利益や公序良俗に反する判断をしているということである。
 父親と未成年者が直接関わっていない転居を除けば、1年生の入学式で父親と母方祖父がけんかしたことが、未成年者が父親を嫌う理由に挙げたもっとも後に生じた出来事になる。しかしこれも幼稚園の運動会と同様、母方祖父が裁判所によって損害賠償請求を認められるほどの不適切な言動をしたことが原因で発生したものであるし、動画やツイッターでの感想からも分かるように、未成年者の入学式という場であっても不適切な言動を繰り返す母親らに対して、父親は抑制的な態度を保ち続けている。更に、この当時の未成年者に入学式を理由に父親を嫌いになっていた様子も認められない。かえって未成年者は入学式において、父親に懐き、父親との関わりを阻害してきた母親らへの批判を口にしている。
 そうすると鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、同居親側が損害賠償請請求が認められるほどの極めて不適切な言動をすることで問題を発生させ、子と別居親との関係を断絶して子の出来事や別居親への認識を悪化させれば、親子交流を断絶できるとの判断をしていることになる。このような鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、事実上、親子交流の断絶や子への洗脳を推進するものとなっているのだから、この判断が子の利益や公序良俗に反するのは明らかである。つまり、家庭裁判所調査官が子の利益や公序良俗に反する判断をしているということである。
 もう一度、入学式のときの動画やそれに対する数多くの感想のURLを貼っておくので、是非見てもらいたい

https://togetter.com/li/1345340

 これと、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の意見の乖離に、家庭裁判所調査官の本質が表れているようにも思える。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


第4 鳥居貴美子、阿久澤玲奈が考慮していない点について
 これまで鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査報告書を、「調査官の意見」を中心に検証してきた。これだけでも鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書の杜撰さは目に余るものがあり、多くの指摘を必要としてきた。
 しかし、検証においては考慮されていることだけでなく、重要であるにもかかわらず考慮されていない点についても目を向ける必要がある。特に今回の鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書は、父親が明確に主張したことであっても故意に無視したと思わざるをえないものが複数ある。それらは親子断絶に都合が悪い主張であるために鳥居貴美子、阿久澤玲奈が自らの自由意志によって無視を選択したと疑わざるを得ないものであった。そのためここでは、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が敢えて考慮しなかったと思われる点について検証していく。


1 親子交流の人格的利益
 そもそも、なぜ親子交流とは何か。法的根拠としては民法766条1項となるし、親や子の双方または一方が会いたがっているからということもあるだろう。静岡地裁浜松支部平成11年12月21日判決は、親が子と交流する権利を、「親子という身分関係から当然に発生する自然権である」としている。また、東京地裁令和3年2月17日判決は以下のように判示している。
「親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有すものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。しかし,これらの人格的な利益と親権との関係についてみると,これらの人格的な利益は,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり,その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの,親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。」
 このように、親子交流については人格的利益が認められており、それは親にとっても子にとっても失われるべきものではない。
 そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が親子交流の人格的利益について何ら言及せず、この人格的利益を踏まえた調査報告書の作成にできていないことも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の職務に必要な知識の不足を強く疑わせるし、当然、この人格的利益を蔑ろにすることは、子の利益を蔑ろにすることでもある。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


2 親子交流の社会学・心理学的調査
 親子交流は単に親や子が会いたがっているかという次元で語られるべきものではなく、子の利益を最優先に考慮すべきものであり(民法766条1項)、親子交流の効果については多くの学術的知見が蓄積されている。たとえば鳥居貴美子、阿久澤玲奈が所属している大分家庭裁判所では、次のようなリーフレットを作成していた(甲14)。そしてこのリーフレットは父親が書証としても提出しているのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこのリーフレットの内容を認識したうえで調査報告書を作成したことになる。


このリーフレットには以下のように記載されている。

「アメリカの研究者が、離婚後5年ごとに調査を行って、離婚が子どもに与える影響について研究しています。この研究では、離れて暮らしている親と定期的に交流を持ち続けた子どもは、自己評価が高く、生活に適応し、心理状態は良好であり、親の離婚がきっかけで抑うつ状態になることも少なかったとの結果が得られています。」

 これを換言すれば次のようになるだろう。

「アメリカの研究者が、離婚後5年ごとに調査を行って、離婚が子どもに与える影響について研究しています。この研究では、離れて暮らす親と定期的に交流を持たなかった子どもは、自己評価が低下し、生活に不適応になり、心理状態が不良で、親の離婚がきっかけで抑うつ状態になることが多かったとの結果が得られています。」

 このような学術的知見は、裁判官に対する研究会でも伝えられているようである。次に紹介するのは裁判官に対する研究会資料である(甲25)。この資料には「司法研修所」との記載があるが、司法研修所は裁判所法に基づいて最高裁判所に設置された研修機関である。

https://joint-custody.org/2372


 この司法研修所家事基本研究会の資料では、社会学・心理学的調査の充実の結果として、以下の記載がある。

「社会科学調査:親の離婚を経験した子は、一般に学業成績が低く、問題行動を起こしやすく、離婚前後において大きな不安や抑うつを経験し、数年間ストレスを抱えている☞別居親との交流と子の心身の調査☞離婚後の父の存在は大きく、頻繁かつ継続して交流している子は心身の健全な発達を遂げている。」

 この研究会の趣旨・目的には、「家庭裁判所の紛争解決機能の充実に向け、子の監護者指定・子の引渡し事件及び面会交流事件の審理運営等について基本的理解を深める」ともあるのだから、この研究会は裁判官らに、社会学・心理学調査に基づいた判断を求めているということだろう。
 また、鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査が実施されるより前に、父親は親子交流に関するウェブサイト(https://www.statnews.com/2017/05/26/divorce-shared-parenting-children-health/)を日本語訳も含めて書証として提出しており、そこには以下の記載がある。

「現在、共同親権に関する研究は50を超える。片方の親と暮らし、もう片方の親を訪ねるのではなく、少なくとも35%の時間をそれぞれの親と過ごす子どもは、父親や母親との関係が良好で、学業面、社会面、心理面でも良好である。来週ボストンで開催されるシェアード・ペアレンティングに関する国際会議で発表される予定だが、子どもたちは成績が良く、喫煙、飲酒、薬物の使用が少なく、不安、うつ、ストレス関連の病気にかかりにくい。」(日本語訳済み)

 これも逆に言えば次のようになる。

「少なくとも35%の時間をそれぞれの親と過ごしていない子どもは、学業面、社会面、心理面で良好ではなく、成績も良くなく、喫煙、飲酒、薬物の使用が少なくなく、不安、うつ、ストレス関連の病気にかかりやすい。」

 そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が親子交流をしないことが相当だとしていることは、未成年者に、学業面、社会面、心理面で良好ではなく、成績も良くなく、喫煙、飲酒、薬物の使用が少なくなく、不安、うつ、ストレス関連の病気にかかりやすいというリスクを負わせるということである。
 学問は「巨人の肩に乗る小人」に例えられるように、先人たちが残してきた業績の上に成り立っている。親子交流についても、民法766条1項で「子の利益を最も優先して考慮しなければならない」と法によって規定されているのだから、それに則り学術的知見を含め、子の利益を最優先に考慮しなければならない。しかし、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は子の利益を考慮するにあたって重要な知見である社会科学調査の結果を蔑ろにしているのだから、その悪質性は顕著と言わざるを得ない。鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、事実上、学術的根拠を蔑ろにして子の利益が損なわれてもかまわないとの態度をとっているのだから、これがまともだと思える者は少ないのではないだろうか。
 ではどのような態度であるべきだったか。これまでの社会科学調査の結果から、一般に親子交流が子の利益を増進するものであることが原則になる。その上で個別具体的な事件において、親子交流の実施によるメリットとデメリットを比較する必要があった。
 本来、このような学術的知見は親子交流に関する調査をする家庭裁判所調査官であれば、知っておいて当然のものではないだろうか。しかし鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、この学術的知見が書証として出された事件であっても、尚、これを蔑ろにすることを自らの自由意志によって選択しているのである。このような鳥居貴美子、阿久澤玲奈の態度をまともだとすることは困難ではないだろうか。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。



3 時系列
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書の4頁からは、未成年者が述べた「これまでの面会交流について」が記載されている。まずは本書を読み進める前にこの部分に目を通してもらいたい。この部分を読んでどのような印象を持つか、できれば自ら確認してもらいたい。

 さて、この部分を読むと以下のような印象になりやすいのではないだろうか。

「昔の未成年者は父親や兄に会うのを楽しみにしており、プール、杉乃井ホテルの温泉、川、ラーメン屋に行ったことが楽しい思い出になっている。
 しかし、父親が入院の見舞いに来なかったことで嫌いになり始め、幼稚園の運動会に警察が来たり、1年生の入学式で父親と母方祖父がけんかしたりしたことで、父親がもっと嫌いになった。」

 どうであろうか。上記のような印象を持ったならば、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の手口に嵌められたことになるだろう。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査より前に父親が提出していたプールでの動画(甲16の5)は、2019年8月16日のものである。つまり、未成年者が楽しかったと述べているプールは、未成年者が父親を嫌いになった理由に挙げている3つの出来事よりも後のことなのである。
 未成年者が楽しかったと述べている他の2つの出来事も、川遊びが2019年8月17日(甲26)(そのときの動画の書証)、杉乃井ホテルの温泉(アクアガーデン:水着着用での屋外型温泉)が2019年9月28日(甲27)(同上)と、これらも未成年者の1年生の入学式よりも後である。更に、既に提出している動画を含め、これらの未成年者の様子から入学式よりも後に未成年者が父親を嫌っていたとはいえず、かえって、川遊びでは未成年者のほうから父親や兄と手を繋ぎたがる発言をしたり、杉乃井ホテルの温泉では未成年者のほうから父親に近づいて抱っこされたりしている。ラーメン屋については割愛するが、未成年者が望むたびに入学式より後も複数回行っている。
 未成年者が語った父親との楽しかった思い出3つと、父親を嫌うきっかけになった出来事3つを時系列に古いものから並べると、次のようになる。未成年者が父親を嫌い理由になった出来事を(嫌)、父親との楽しい思い出を(楽)で表示する。

(嫌)幼稚園の運動会(幼稚園年少時10月)
(嫌)未成年者の入院を父親が見舞う(幼稚園年長時5月)
(嫌)1年生の入学式(小学校1年生時4月)
(楽)プール(小学校1年生時8月)
(楽)川遊び(小学校1年生時8月)
(楽)杉乃井ホテルの温泉(小学校1年生時9月)

 要するに、仮に未成年者の発言を前提にするにしても、時系列を考慮すれば、未成年者は運動会や入院や入学式をきっかけに父親を嫌いになったと言うものの、その後の親子交流でも楽しく父親や兄と過ごしていたということになる。
 更に、未成年者の見舞いに関する偽記憶や、動画に記録されている当時の未成年者の様子を考慮すれば、そもそも未成年者は父親を嫌っておらず、むしろ一貫してよく懐いており、小学校になってからの親子交流も楽しく父親や兄と過ごしていたということになる。
 そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が出来事の時系列を蔑ろにしていることも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が専門職として不適切な点の1つだろう。鳥居貴美子、阿久澤玲奈が時系列を蔑ろにしているため、なぜ父親との関係が良好だった未成年者が、父親との断絶後に記憶や出来事に対する評価が変わったのかについて、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は何ら言及や考察ができていない。
 ただし、時系列の重要性を理解できていないほど、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は2人揃って能力に問題があるのだろうか。そのほうが不自然にも思える。そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は故意に不当な調査報告書によって子の利益を害するため、敢えて時系列を蔑ろにしたのではないかという疑いも生じる。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


4 母親の転居や住所秘匿の必要性
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈が言及していないことの1つに、母親の転居や住所秘匿の必要性がある。未成年者は母親により転居させられたことが精神的負担になっているが、転居の必要性や、転居をしなければどのようなリスクがあったのか、また、父親に住所を知られるとどのようなリスクがあるのかについて、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は何ら言及していない。これが親子交流に不必要な事項であればともかく、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、「現在、母が父に対して住居等を秘匿しており、もし、住居等が父に知られたら引っ越さなくてはならないような状況である中で面会交流を行うことも、未成年者にとってかなり負担になっており、面会交流を拒む一因となっていることがうかがえた。」としている。そうすると、仮に母親が父親に住所を秘匿しなければならない必要性に乏しければ、親子交流の実施がより容易になる。また、母親が必要性に乏しいにもかかわらず、未成年者に対して、「父親に住所がばれたら引っ越さないといけない」と言い聞かせ、それによって未成年者が親子交流を負担に感じているならば、母親の行為は著しく不適切で、未成年者の利益を害していることになる。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は要するに、「別居親に住所をばれたくないとさえ言えば、子と別居親との交流を断絶できる」とするものなのだから、これも極めて不適切で、未成年者の利益を害し、容易に悪用が可能なものとなっている。むしろ、本書のケースこそがその悪用の具体例であり、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が転居の必要性について十分な考慮をしていない以上、この悪用に加担しているのが鳥居貴美子、阿久澤玲奈ということになる。
 これに関連して参考になる裁判例として、大阪高等裁判所決定令和元年11月8日(家庭の法と裁判29号78頁)を取り上げる。父親が抗告人、母親が相手方で、父親が子らとの交流を求めた事件であり、その判示には以下の記載がある。

「相手方は、心身の不調を理由に間接交流に止めるべきであると主張する。しかし、相手方は、同年9月には復職できるまでに回復しているのであるから、直接交流に応じることによって健康状態が悪化し、未成年者らの監護に支障を来たしたり、未成年者らに不安を与えたりする状態に至るとは考えられない。また、相手方は、抗告人との接触を避けることが望ましいと診断されているが、未成年者らの年齢(9歳、6歳)や発達状況からすると、当事者のいずれかの目が届く範囲の短距離であれば、受渡場所まで未成年者らだけで歩いて行くことは可能であるから、相手方と抗告人が直接対面することなく未成年者らの受渡しができないわけではない。したがって、相手方の心身の不調は、直接交流を禁止、制限すべき事由にはならない。相手方の主張は採用できない。」

 このように、同居親に別居親との交流を避けることが望ましいとする診断があったとしても、子が相応の年齢であれば、自ら受け渡し場所まで移動することが可能なのだから、直接の交流を禁止、制限すべき事由にはならない。
 これを踏まえて本書での事例を振り返ると、そもそも母親が住所を秘匿している理由が不明なのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査の杜撰さは目に余るものがある。また、住所の秘匿に何らかの理由があるとしても、それが上記の裁判例と同様、母親が父親との接触を避けたいというものにすぎないのであれば、父親と母親が接触しない方法での親子交流が実施可能で、以前の親子交流でも母親以外が未成年者の受け渡しをすることがあり、父親は未成年者との交流を求めているにすぎず父親が母親の居住地に行く必要も動機もないのだから、直接交流を禁止、制限すべき事由にはならない。
 ちなみに、上記の裁判例は子も別居親に会いたがっていた事例だが、本書の事例では一貫して良好であった父子関係が、交流の断絶後、未成年者が偽記憶や、運動会や入学式に対する未成年者の認識に変化によって父親を嫌うようになっているものなのだから、未成年者の偽記憶を修正し、当時の未成年者の様子を見せることで元の父親への認識を思い出させ、社会科学調査で明らかになっている親子交流の利益を未成年者が享受できるようにすることが、未成年者の利益に適うことになる。
 それにもかかわらず、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、住所を秘匿する必要性や、親子交流を実施しないことの悪影響を何ら考慮することなく、著しく偏った意見を述べているのだから、これは鳥居貴美子、阿久澤玲奈が子の利益を蔑ろにしている具体例ではないだろうか。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


5 未成年者の不適応
 未成年者はある発達障害の診断を受けており、転居前から、小学校で運動会などの行事参加に支障を生じさせていた。また、調査報告書には未成年者が習い事の試合に出場できないことも記載されている。
 それと比較して、父親の養育している兄は、発達障害を診断されることなく、未成年者と同じ習い事の試合に何度も出て、賞状をもらったこともある。また、未成年者の習い事は、先に兄がやり始めたのを知ってから同じものをやり始めたものである。
 発達障害は生まれつきの先天的なものとされているが、類似した症状は不適切な養育環境で後天的にも生じることが指摘されている。未成年者の環境が兄の環境に比べて不適切であれば、それを改善することが未成年者の利益に適うことは明らかである。
 そうすると、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が未成年者の不適応や、父親が養育する兄に未成年者のような不適応が生じていないことについて、何ら言及や考慮をしていないことも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が子の利益を蔑ろにしている具体例ではないだろうか。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


6 母親への調査
 父親は調査官調査より前に、未成年者に会いたいとする2歳上の兄の作文や、別居親との交流に関する社会科学的調査の結果を書証として出し、これらに対する母親の認識を調査対象にすべきだと主張していた。しかしながら、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、兄の作文について未成年者が述べたことを調査報告書に記載しているが、反面、これらに対する母親の反応については何ら言及していない。
 兄の作文は弟に会いたがるものなのだから、これに母親が母親としてどう反応するかに、母親の親としての資質が示される事項だと言えし、別居親との交流が子に与える影響は、我が子の幸せを願う親であれば当然に考慮すべき事項だろう。また、住所を父親に知られてはいけない理由や根拠、親子交流をする場合の実施方法についての認識も、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が母親に確認すべき事情であった。
 それにもかかわらず、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこれらについて調査報告書で何ら言及していない。このことは、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が親子断絶に都合が悪いことは執拗に無視しようとした結果のように思われる。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


7 未成年者のリスクマネジメント
 未成年者は、母親に何かあったら父親のところに行かんといかんくなると述べている。地震への備えや自動車等の保険を例に出すまでもなく、正常性バイアスに陥ることなく万一のリスクに対しても備えはしておくことが重要である。
 未成年者は以前、母親から父親に嘘を言えと強要されたり(甲4~5)(未成年者の音声と逐語録)、母方祖父から父親のことを「きちがい」と言われていること(甲28~29)(同上)を、父親に話してきたことがあり、父親はそれを母親側に伝えて止めさせたこともある。つまり、母親による未成年者と父親の断絶より前、父子関係は一貫して良好であり、未成年者にとって父親は、母親らから嫌なことをされたときに相談できる相手でもあった。
 子と別居親との交流は、虐待の抑止力や早期発見にもなる。以前、目黒区でわずか5歳で虐待死した船戸結愛ちゃんは、生前「前のパパがよかった」と口にしていた。このような悲劇を繰り返さないため、虐待への対策という意味でも親子交流は重要である。
 裁判例でも親子断絶のリスクを考慮したものがある。仙台高等裁判所決定令和元年10月4日(家庭の法と裁判33号59頁)は、がんで余命告知を受けている母親が別居親であり、父親と同居している小学生の子との交流を求めた事件である。子は母親との交流に拒否的であったが、裁判所は交流を認める決定をし、以下の判示もしている。

「将来、未成年者が母の情に思いを致す時が来るかもしれないことを考慮するとき、自ら面会交流を拒否したというようなことになれば、それは、未成年者に取り返しのつかない悔いを残してしまうことにもなりかねない」

 このような、「未成年者に取り返しのつかない悔いを残してしまうことにもなりかねない」リスクは、本件事件でも否定できるものではない。父親の身に何かあった場合だけでなく、兄には父親との途切れのない思い出があることや、兄は未成年者と同じ習い事のスポーツの大会で入賞経験があること、過去だけでなく将来的に兄との様々な差異が生じた場合の嫉妬心や、その原因となった父親との交流を阻害した母親への否定的感情(甲15)が生じる可能性といったことも、「未成年者に取り返しのつかない悔いを残してしまうことにもなりかねない」リスクである。逆に将来的に兄のほうが困難な状況だったり、兄の身に何かあったりした場合も、何もできなかった、自分がいたら何か違っていたのではという、未成年者に取り返しのつかない悔いを残してしまうことにもなりかねないリスクである。これらも鳥居貴美子、阿久澤玲奈が何ら言及や考慮をしていない事項である。そもそも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は親子交流を断絶することのリスクについて徹底して何一つ言及や考慮をしていない。
 そうすると、未成年者の偽記憶に基づく父親への否定的感情を放置し、その否定的感情の改善の機会となる親子交流を実施しないことは、未成年者が助けを求めることができる父子関係という社会資源を活用できないままにしておくことになり、更に、未成年者に取り返しのつかない悔いを残してしまうことにもなりかねない多くのリスクを生じさせることでもある。
それにもかかわらず、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこのような未成年者の社会資源やセーフティネットを断絶し、万一の備えや様々なリスクを蔑ろにしている。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


8 入学式後の未成年者と父親との関係
 父親は未成年者と一貫して良好な関係であったと主張しており、その根拠として鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査より前に、未成年者が幼稚園年長の2019年2月から小学校1年生の同年11月にかけての、親子交流中の7つの動画を提出していた。これらについて鳥居貴美子、阿久澤玲奈が何ら考慮していないことも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の悪質性を強く推認させる根拠になっている。少なくとも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の誤りが明らかになっている強い推認よりは、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の悪質性のほうがよほど正当である可能性が高い推認ではないだろうか。
 提出した7つの動画のうち、2つは入学式前で、5つは入学式よりも後のものであった。そのため鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、未成年者が運動会、入院、入学式により父親を嫌うようになっていたかについて、当時の動画を判断材料にすることができた。しかし鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、これらの動画やそれを根拠とした父親の主張に何ら言及や考慮をしていない判断をしているのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の家庭裁判所調査官としての資質には著しい疑問が生じると言わざるを得ない。それは能力的な意味でもあるし、故意の場合であれば人格的な意味にもなる。
 また、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の不自然な点として、「入院や運動会や入学式でお父さんが嫌いになって、その後にお父さんと会ったときはどうしてたの?」との質問をしていないことである。このように質問していれば、未成年者が運動会や入院、入学式の後にも、プールや川遊びやホテルの温泉などで、父親と楽しく過ごしていたことが分かったかもしれない。
 ただしこれについても、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の一連の不適切な態度からすれば、この質問を思いついていながら故意に問わなかったか、質問はしたが親子断絶に不都合な答えだったために調査報告書に記載しなかった可能性も疑われる。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


9 社会的影響
 既に述べたように、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は良好であった父子関係が、交流の断絶後に未成年者が父親を嫌うように変化していることについて、なんら言及や考慮をしていない。それにもかかわらず、交流の断絶後に父親を嫌うように変化した未成年者の心情を理由の一つにして、親子断絶が相当だとする判断をしている。
 これがどういうことかといえば、子と別居親との関係を断絶したければ、子が別居親を嫌うように仕向ければ良いということである。未成年者の父親への認識が断絶の前後で変化しているように、子に偽記憶を持たせたり、誤った認識へと誘導することは難しいことではない。アメリカではカウンセリング中に虐待の記憶を思い出し、親を恨んだり訴訟を起こしたりすることが社会問題になったが、これらの記憶が偽記憶であることが後に分かっている(詳しくはE.F.ロフタス、K.ケッチャム「抑圧された記憶の神話:偽りの性的虐待の記憶をめぐって」誠信書房を参照)。
 また、洗脳を容易にする条件に「情報遮断」や「依存」があるが、未成年者は父親から遮断され、母親に依存せざるを得ない環境に置かれているのだから、未成年者の認識が母親の影響を受けるのは当然だろう。しかしだからこそ、同居親には、子と別居親が適切な交流をしていけるように子に働き掛けていく責務がある。この監護教育義務について、岡山家庭裁判所平成2年12月3日(家月43巻10号38頁)は以下のように判示している(甲3)(二宮周平(2005)「別居・離婚後の親子の交流と子の意思(2)」戸籍時報579号4‐16項)。

「子A・子Bに対し実の母親を敵視する言動をとってはらないことはもちろん、子A・子Bの母に対する誤解をとかせ、子A・子Bが母との面接に応じていくように、子A・子Bに働き掛けていく必要がある。この働き掛けは、現に子A・子Bを監護している父にとっては、子A・子Bの健全な発育を図るために実行しなければならない責務である。」

 このような監護教育義務とは逆に、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、事実上、子と別居親との交流を断絶したければ、子に別居親を嫌うように仕向けるほうが良いとの判断をしている。これは、子が別居親を敵視し、別居親を誤解し、親子交流に応じないようにしていくことを推進した判断である。家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈がこのような判断をしているのだから、家庭裁判所調査官が子への洗脳や親子断絶を推進しているともいえるだろう。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈は自らが作成した調査報告書によって、子を洗脳して別居親を嫌わせたら子と別居親との交流を断絶できるとのメッセージを社会に発していることになる。当然、この手口に家庭裁判所調査官が加担するということであれば、洗脳されて犠牲となる子は今後も増え続けるだろう。このような洗脳によって別居親との交流が断絶された子は、親子交流の利益を享受することができなくなり、様々なリスクを抱えることにもなる。このような子への洗脳を推進している鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断が、子の利益にとって害悪な反社会的なものであることは明らかだろう。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。


10 関係改善の可能性や効果
 既に述べたように、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、事実上、子が別居親を嫌うよう仕向ければ子と別居親との関係と断絶できるというものになっており、これは子に別居親を嫌うように洗脳することを推進した判断ともなっている。更に、一度子が別居親を嫌うようになれば、関係改善の機会を否定するのが、家庭裁判所調査官の判断ということでもある。
 これは子の利益に適っているのだろうか。関西学院大学の山口亮子教授は、著書「日米親権法の比較研究」76頁(甲30)において以下のように述べている。文中の片親疎外(PA)は、一方の親の影響により子が不合理に他方の親を拒絶した状態を指す。

「PAの専門家は、子どもが別居親と会うことを強制されていると不満を繰り返しても、別居親はあきらめず、訪問を継続させることが片親疎外を取り消すために極めて重要であると述べている。調査によると、子どもと拒絶された親について裁判所が訪問を増やしたところ、約400事例のうち約9割においてその親子の関係が好転し、さらに子どもの心理社会的問題、学業成績の問題、身体症状の問題が軽減ないし消失したと報告している。」

 また、NCSC(全米州裁判センター)も発刊物「Trends in State Courts(州裁判所の動向)」の2020年号(甲31)において、以下のように記載している。
原典:
https://www.ncsc.org/__data/assets/pdf_file/0014/42152/parental_alienation_Lewis.pdf
日本語訳:
https://note.com/id_sugar_salt/n/na3720bc52e34?sub_rt=share_h

「多くの場合、片親疎外は、子どもと標的にされた親との時間を増やすよう命じることで軽減または根絶することができる。子どもが一方の親と積極的な時間(主な経験)を頻繁に過ごせば、もう一方の親の片親疎外戦略が成功する可能性は低くなる。」(日本語訳済み)

「片親疎外が疎外された子どもに及ぼす影響
1.将来の人間関係を築いたり維持したりする能力が損なわれる。
2.低い自己像。
3.自尊心の喪失。
4.時間の経過とともに以前は愛されていた親との関係を壊したことへの罪悪感と抑うつ。
5.衝動制御の欠如。攻撃性が非行に発展することもある。」(日本語訳済み)

 未成年者の父親を嫌う理由には偽記憶が含まれており、父親との交流の断絶以前の父子関係は一貫して良好であった。また、仮に父子交流が継続していても未成年者が父親を嫌うようになったといえる具体的根拠も存在しないのだから、未成年者の状態が長期にわたって父親と断絶された結果であることに鑑みれば、未成年者の父親との交流の断絶後の変化は片親疎外によるものだと解するのが妥当だろう。
 そうすると、未成年者と父親との交流を増やすことで、少なくとも約9割の確率で未成年者と父親の関係が好転し、さらに未成年者の心理社会的問題、学業成績の問題、身体症状の問題が軽減ないし消失することが期待できる。
 逆に、未成年者と父親との交流を断絶状態にしておくことは、未成年者に①将来の人間関係を築いたり維持したりする能力が損なわれる、②低い自己像、③自尊心の喪失、④時間の経過とともに以前は愛されていた親との関係を壊したことへの罪悪感と抑うつ、⑤衝動制御の欠如(攻撃性が非行に発展することもある)、といったリスクを負わせることになる。
 このような知見に対して鳥居貴美子、阿久澤玲奈が何ら言及や考慮をしていないことも、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の無知ないしは悪質性を示しているように思われる。仮に鳥居貴美子、阿久澤玲奈がこのような知見を知らなかったとしても、未成年者が父親と交流することで関係が改善する可能性や、関係が改善した場合の効果、逆に関係が改善しなかった場合の悪影響について言及や考慮をすることはできたはずである。しかし鳥居貴美子、阿久澤玲奈はそのような言及や考慮を一切していないのだから、そもそも根本的に、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が子の利益を考慮しようとしていたとは到底言えないのではないだろうか。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈が上記の知見を知らなかったのであれば、家庭裁判所調査官として能力不足であるし、知っていて故意に無視していたのであれば、家庭裁判所調査官の立場を子の利益を害することに悪用しているのだから、どちらの場合であっても鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査報告書がまともだとは言えないだろう。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。
 なお、山口亮子教授の上記著書には、「子どもは自分では拒絶していても、別居親が会おうとしないと見捨てられたと感じるという。」(76頁)ともあった。つまり、別居親は子どもと会おうとし続けることが重要である。


11 父母間の高葛藤
 父母間の高葛藤や、信頼関係の欠如は、親子断絶によく使われる手口である。鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこれを親子断絶の口実にしていないが、念のために言及しておく。
 しかしこれも学術的根拠に基づけば既に答えは出ており、東京国際大学の小田切紀子教授は、「両親間の葛藤が高いと評価さえる場合でも、共同養育は単独養育より子どもにとって好ましい結果」としている(甲11)。
https://www.shojihomu.or.jp/public/library/912/4th-hearing2.pdf

 ウェイクフォレスト大学のリンダ・ニールセン教授も以下のように同様の指摘をしている。

「両親の対立のレベルを考慮に入れても、共同監護の子供たちは、複数の幸福度の尺度において依然として良好な結果を示しました。 高葛藤は、共同子育てに関連する利点を無効にするものではなかったので、共同監護の子供たちのより良い結果は、親の葛藤が少ないことに起因するものではありません。」(日本語訳済み)
https://ifstudies.org/blog/10-surprising-findings-on-shared-parenting-after-divorce-or-separation

 これらの学術的知見は説得力があるものだが、もっと感覚的に分かりやすく、父母間の協力関係が子の利益にとって必須でないことが表現されている動画がある。

https://note.com/uemma/n/ne90a7c3ffd39

 このフランスのIKEA(世界最大の家具量販店)のCMでは、父母間で連絡を取り合っていないものの、子は両親の関わり続けており、父母間での交流がないことが子の利益を損ねている様子はない(むしろこのCMでは、父母間で交流がないことを子どもが上手く利用しているコミカルさが表現されている)。

 そうすると、父母関係は子の利益を守るために必須のものではなく、かえって、父母関係を理由に親子関係を断絶させることこそが、子の利益を損ねることになる。
 ちなみに、フランスでの平均的な親子交流の頻度は、2週間に1回の週末と長期休暇の2分の1である。
https://www.shojihomu.or.jp/public/library/979/1215gijiroku11.pdf

 個別具体的な事情はあるとはいえ、日本でもこの平均を基準として考えることが、子の利益にとって必要ではないだろうか。


第5 鳥居貴美子、阿久澤玲奈に対する検証のまとめ
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書について、これまでの検証結果を整理する。これは家庭裁判所調査官の実態を知るうえで有益な資料となるだろう。

① 家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、実際にはなかった未成年者の偽記憶である出来事に対して、「実際にあったものだということは強く推認される」とし、その偽記憶に基づく未成年者の発言を理由に、親子断絶の判断をしている。

② 家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、事実とその評価の区別が理解できておらず、当時の未成年者が父親に懐き、母親らへの批判を口にしていた出来事であっても、調査時の未成年者がその出来事をきっかけに父親を嫌いになったと述べたことを理由に、当時と調査時で変化している未成年者の心情の矛盾を考慮することなく、未成年者が父親を嫌うことを正当化し、親子断絶の判断をしている。

③ 家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、時系列の重要性を蔑ろにしており、未成年者が父親を嫌うきっかけとして述べた出来事の後にも、未成年者が父親と行ったプールや川や杉乃井ホテルの温泉について楽しかったと述べていることについて、その矛盾を考慮することなく、未成年者が父親を嫌うことを正当化し、親子断絶の判断をしている。

④ 家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、未成年者が父親を嫌いになったきっかけとして述べた出来事の後にも、未成年者が父親との親子交流を楽しんでいた複数の動画が提出されていたにもかかわらず、その矛盾を考慮することなく、未成年者が父親を嫌うことを正当化し、親子断絶の判断をしている。

⑤ その他、家庭裁判所調査官である鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、親子交流に関する社会科学的調査の結果や、それに対する母親の認識や、母親が父親に住所を秘匿しなければならない根拠や、兄の未成年者に会いたい思いや、親子交流の断絶によって生じる様々なリスクや、父子関係の改善の可能性や効果等について、何ら言及や考慮をすることなく、親子断絶の判断をしている。


第6 結語
 臨床心理士であった故棚瀬一代教授は、片親を遠ざける行為を心理的な虐待だとしている(甲15)。同様に全米州裁判センターも、片親疎外は精神的な児童虐待の一形態だとしている(甲26)。鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、家庭裁判所調査官という立場でこのような心理的虐待への加担が疑われる判断をしているのだから、その悪質性は顕著ではないだろうか。未成年者が父親に会いたがっていない旨を述べているが、それは偽記憶に基づくものであり、また、未成年者は父親と会っている間は父親を嫌っていた様子はなく、父親との交流を断絶されてから父親を嫌うように変化しているのだから、この未成年者の変化には母親や母方祖父母の影響が強く疑われる。そもそも、子が一方の親の独占支配状態にあり、他方の親との交流が断絶されていれば、子が自らを独占支配している親から強い影響を受けることは当然のことである。
 前記した、子が拒絶的姿勢であっても親子交流を認めた仙台高等裁判所決定令和元年10月4日(家庭の法と裁判33号59頁)では、以下のように判示している。

「未成年者の拒絶的姿勢が、身近な大人の影響によるものであることが、単なる抽象的な可能性であるとはいえない」

 このような判断もある一方、鳥居貴美子、阿久澤玲奈は以下のように記載している。

「未成年者には、例えば、転居の原因等、母や母方祖父母からの伝聞で聞き知っている情報もあることが認められる。一方で、調査において、未成年者からは父や兄との面会交流が楽しかった時期の記憶や未成年者にとって辛い経験も語られており、その上で示された意向は、母や母方祖父母からの伝聞情報のみで形成されたものではなく、実際に未成年者自身が経験した出来事も考えあわせて形成されたものであると思料される。」

 ここまで本書を読み進めていれば、上記記載から鳥居貴美子、阿久澤玲奈の詭弁や悪質性が読み取れるようになっているのではないだろうか。鳥居貴美子、阿久澤玲奈は、未成年者の発言が身近な大人の影響を受けていたり、事実に反する可能性について十分な考慮をしておらず、結果、未成年者の偽記憶や、父親との断絶の前後で父親への認識が変化している理由について何ら言及していないという、極度に偏向した「調査官の意見」を記載している。鳥居貴美子、阿久澤玲奈がこれまでの学びや家庭裁判所調査官としての経験で、子の発言が身近な大人の影響を受けていたり、子が事実に反することを述べたりした事例を全く知らないということは想定し難いのだから、このような偏向した「調査官の意見」は、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の故意によるものと解するのが自然に思われる。
 公正に子の利益を最優先に考慮すれば、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が検討すべきは、運動会、入院、入学式の後も一貫して良好であった父親と未成年者の関係が、仮に断絶されなかったとしても未成年者が父親と嫌うように変化していたといえる具体的な根拠が存在するのかであった。その具体的根拠が存在しないかぎり、未成年者の断絶前後での変化について、母親や母方祖父母の影響によるものであることが単なる抽象的な可能性であるとはいえない。
 また、「子どもと拒絶された親について裁判所が訪問を増やしたところ、約400事例のうち約9割においてその親子の関係が好転し、さらに子どもの心理社会的問題、学業成績の問題、身体症状の問題が軽減ないし消失したと報告している。」とした調査結果もあるのだから、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が検討すべきは、未成年者と父親との交流を増やした場合にも父子の関係が好転しないといえる具体的根拠の存在するのかであった。その具体的根拠が存在しないかぎり、未成年者と父親との関係は交流を増やすことで高確率で好転することが期待でき、それによって未成年者は心理社会的問題、学業成績の問題、身体症状の問題が軽減ないし消失することも期待できる。
 それにもかかわらず、このような子の利益にとって重要な事項について言及や考慮ができていないのが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の調査報告書なのである。
 今回の鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、恣意的な情報の取捨選択をすれば、どのような不当な判断に操作することも可能であることを示している。鳥居貴美子、阿久澤玲奈がこのような判断をした以上、これが家庭裁判所調査官による親子断絶の手口だということもできるだろう。
 昨今、「トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇」という本がベストセラーになっている。この本には思春期以降に自らをトランスジェンダーだと思うようになり、投薬や手術をしたが時間が経ち後悔することになった事例が多数掲載されている。未成年であっても自らの希望だからと投薬や手術をする医師と、未成年者の意思だからと親子断絶を判断する鳥居貴美子、阿久澤玲奈には、どこか類似点がないだろうか。
 この本には「人間は心理の伝染に影響を受けやすい」ともあった。未成年者がどのような環境にいるかといえば、父親に嘘を言うように強要したり、父親のことを「きちがい」と聞かされたり、親子交流の予定日に他の予定を入れて阻害しようとし、思い通りに阻害できないと父親を罵倒したり警察を呼んだりしたり、未成年者の入学式という大切な日であっても損害賠償が認められるような不適切な言動をしたりする者が未成年者と関わり続けている環境である。逆に、父親との交流は長期にわたって断絶させられている環境でもある。別居親の存在を消したがっている同居親であっても子が同調してしまうことがあるのは、子の生存戦略でもあるのだから、そのような環境が未成年者の心理に伝染し、影響を受けていると思うほうが自然だろう。
 そもそも、親子交流は調停や審判を経なければできないものではないが、同居親が別居親への嫌がらせや、駆け引きの材料にするために子を会わせようとしないことでも、調停や審判をせざるを得なくなる場合もある。このような同居親の親子交流に対する否定的な態度自体が子に伝染して影響を被ってしまうことも考慮しなければならないが、これも鳥居貴美子、阿久澤玲奈が何ら言及や考慮をしていない点の1つである。
 鳥居貴美子、阿久澤玲奈による今回の判断は、鳥居貴美子、阿久澤玲奈の思想の表れでもある。つまり鳥居貴美子、阿久澤玲奈が好ましいと思っているのは、子を連れ去って洗脳して他方の親を嫌うように仕向ければ、子と他方の親との交流を断絶できる社会ということになる。また、洗脳ではない理由で別居親が子に嫌われる場合もあるだろうが、鳥居貴美子、阿久澤玲奈が好ましいと思っているのは、一度子との関係が悪くなれば改善の機会がない社会ということになる。鳥居貴美子、阿久澤玲奈が2人揃ってよほど低能であるという可能性を除けば、鳥居貴美子、阿久澤玲奈はこのことを自覚して今回の判断をしていることが強く推認されるのだから、その悪質性は更に顕著ではないだろうか。
 このような、事実上、同居親が子と別居親を断絶させ、子を洗脳して父親を嫌うように仕向ければ、子と別居親が生き別れにされてしまうことを推進している鳥居貴美子、阿久澤玲奈の判断は、公共性にも反している。このような家庭裁判所調査官の実態を改善することが、子の利益を守っていくためには必要なことだろう。
 繰り返してきたこの言葉で本書を締めるとしよう。
 これが、家庭裁判所に存在している現職の家庭裁判所調査官なのである。



付録
鳥居貴美子、阿久澤玲奈による調査報告書


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