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OLを終活する。

これは、私のOL人生の遺書である。
辞世の句でもいい。要はそんな感じのものだ。

0927に端を発した一連の衝撃、動揺、混沌、諍い。それらで溢れた地獄のTwitter TL。乱発される中傷や揶揄のWeb記事。
それら全てに私は疲れた。飽きた。
地獄にいるのも、絶望し続けるのにも飽きた。心が死に過ぎた。
ただ、私はやっぱり、OL2018不動産編と春田と牧を心から大事に思っている。
愛することがやめられない。やめたくない。でも辛い。嫌いになんかなりたくない。

だから、私はOLの終活を始めた。

はじめに

およそ1ヶ月前、私が絶望と呆れと怒りと悲しみが渦巻く地獄の底に叩き落とされたのは、すべておっさんずラブ(以下OL)という作品の所為である。
以下は、私がOLを終活するに至った、ほぼ時系列の個人的な怨嗟溢れる乱文となっているが、ご容赦願いたい。

別のnote記事でも書いているが、私は心からOLを愛している。
「こんなにハマった作品は初めて!」というわけではない。四半世紀近くを二次元オタクとして過ごし腐女子歴も両手を越えた私は、個人的殿堂入り作品を微に入り細に入り、しゃぶるように愛し続けている。そこに割って入ったのがOLだった。
この一年半、その他愛する作品やキャラを押しのけ、文字通り寝食を忘れ、家事も仕事も放棄し、寝ても覚めてもOLのことだけを考えていたし、スマホによるとこの一年半の平均睡眠時間は3時間だった。代償に体はボロクソになったが、途轍もなく幸せだった。とても、幸せな1年半だった。

愛憎は表裏一体、とはよく言ったもので、あの愛情の重さ深さを思えば、その分だけ憎悪も沸き立つ。それを一心不乱に書き綴ったのが本稿である。罵詈雑言には閉眼頂きたい。毒吐きしかしてないし、その上敬称略だ。
だがどうしても書きたかった。私のOL終活の集大成として。
ありのままの恨み辛み悲嘆絶望諦念あらゆる負の感情と、捨てきれないOLへの馬鹿でかい愛を抱えるが故の苦しみを書いて書いて、終わりにしたい。
OLを愛したことを間違ってたと思いたくない。無かったことにしたくない。
その為に書いた。
(ちなみに執筆時BGMはヴェルディ怒りの日である。エヴァ旧劇予告やバトロワで使用された曲だ。是非聞いてほしい。怒りと絶望が音楽になっているし現状に当てはまっている)

本稿と同じように思う人がいるかもしれない。または反論したい人がいるかもしれない。どちらでもいい。ここは、私がTwitterの140文字なんぞでは到底ぶちまけきれない感情を垂れ流すために作ったアカウントなのだから。(それにしたって長文すぎる)
ただ、本稿が少しでも、同じようにおっさんずラブという作品に苦しめられている、決して少なくはない人の心に寄り添うものであればと願う。


終わりの始まり

0927。
この日は、OLファンに対して精神的大虐殺が行われた日だ。
そして、この日を境にバベルの塔崩壊の如く、それまで同じ言葉を話し理解し合っていた「民」達は派閥を作り、理解し合えない主張を続け、争いを繰り返し散り散りになった。黙って去った数などもはや分からない。

夜遅く投下された指輪写真。役者名のタグの列挙。
この時点で嫌な予感はしていた。そして単純に寂しかった。
遂に、OLが終わる。
この時私はOLによって知り合い、この一年ほぼ毎日言葉を交わし熱弁を奮い合ったOL友とLINEで話していた。いよいよ来るね、と。まるで郷愁のようなものを感じていた。
喜びと狂乱の日々が、終わる。
寂しさの中で、私は安堵すらしていた。疲れていたのだ。劇場版公開が発表されてから約8ヶ月、怒涛の番宣攻撃に私は疲弊しきっていた。
追いたいのに追いきれない情報。逼迫するHDD残量。寝食すっ飛ばして読み漁ったTwitter。ブルジュハリファのように積み上がった雑誌。そして遂に公開された劇場版。立ち上がれなくなるほど泣き叫び、ハゲ散らかすほどシーンやセリフを考察した。そしてやっと受け入れた、「お別れ」(この「お別れ」の受容については私の別noteを参照してほしい)。公開後も続くオフショの投下。iCloud無料5GBなんてとっくに各画像で食い潰した。
そんな日々も、漸く一段落するのだ。
あとは円盤とその特典を心待ちにするだけ。二期もあるらしいけど、それはそれとして、永遠に私は春田と牧と他の登場人物達を愛しながら、幸せな余生を過ごすのだと信じて疑わなかった。

LINE画面を確認すると、その日深夜1:30頃から私はいつものようにOL友と他愛もないOL話をしていたようだ。その会話での二期ITSに対しての絶望は、その後のそれとは比較できないほど可愛らしいもので、「私達は観れないかもね~」くらいだった。まだ、「かも」とか言ってられた。幸せなことである。

そして、深夜3時数分前。例のスポーツ新聞記事一面の画像がTwitterに出回った。
僅かな沈黙の後、友は言った。「心が死んだ」と。私はひたすら「なんで?」を繰り返した。
「なんで映画公開中の今、この世界観でやるんだ」「なんで春田創一と黒澤武蔵は残したんだ」「なんで牧がいないのに二人はいるんだ」「なんで航空業界なんだ」
未だに分からない。でも、これだけは言える。誰がなんと言おうと私は言い切る。
OL公式がぶちかました二期in the sky(以下ITS)の内容も世界観も告知タイミングも、エンターテイメント史上最大級でファン心理を蹂躙し、侮蔑した、史上稀に観る悪手であり、最低最悪のものだった。
というか、これ以上の蹂躙を私は知らない。

この時の、戸惑いと憤りと呆れと寂寥感と空虚感は未だ忘れることができない。世界中から同情されてもおかしくない。ていうかしてくれ。
世界よ、 金はいらねぇから同情してくれ!!!!

チンケな痴漢ぐらいなら捻って突き出すぐらいの豪胆さをもったアラサー腐女子を、完膚なきまでに一気に地獄に叩き落としたOL公式の手法は、後世に語り継がれてもおかしくない。おかしくはないが、もう二度と絶対、金輪際、未来永劫永久に決してやるな。二度と、やるな。誰もやるな!!!
ああ、どうかどうか、二次・三次問わず、作品制作に携わる全ての皆様、OL公式のマネだけはせんといてくださいよ!!!!
もう二度と、この日のOLファンと同じような思いをする人を生んではいけない。人間のやることじゃない。しかもこれが最後じゃなかったんだよな。これは序章も序章に過ぎなかった。もう笑っちゃうよ。

これは、罪だ。重罪だ。断罪してくれ誰か!それでも気なんて晴れないが、そうでもしてくれないと私はこれから何かの作品を愛することが怖くて堪らん。また、同じ目に合うかもしれないなんて、怖くてもうやだ。なんでこんなにも愛した作品によって、こんなにも苦しめられなきゃならんのだ。意味がわからん。ふざけんな。愛した私が悪いのか?なら、愛させたお前らはなんなんだよ!!!
意味が!!!!わからん!!!
作品に幸せな気持ちにされこそすれ、こんなにも重たい気持ちにさせられたことは、長いオタク・腐女子人生で未だ嘗てない。そして二度とごめんだ。作品が未完になるより、推しが死ぬより辛い。あまりにも、惨い。

私のオタク友達はこの0927ITS事変後の、OL界隈の様相を見てこう言った。
「こんなに酷い公式の所業は見たことがない。(不謹慎だが)ヒトラーの大虐殺や戦争、みたいな”どこの誰が見たって「なんでそんな酷いことすんの?!」と目を背けたくなるような残虐非道なこと“を今、OL界隈はされてる。誰がどう見たって、酷い」と。

そう。酷い。やばい。何がやばいって、そんな大虐殺を、作品の陵辱を、制作者である公式からぶちかまされていることだ。作品の創造主から、だ。抗えないだろそんなん。
でもさ?一度作ったものが世に放たれて育って愛されたのにさ、それを「あ、やっぱそれなしwwww新しいのこれねwwww」とニヤケ面で差し出されて、脳が死なないファンはいるのだろうか。私の脳は死んだ。

誰もが心優しく穏やかに暮らせる世界なんてない。でも、だからこそ私は、OLの優しい世界に一刻癒やされた。フィクションだからこそ、荒唐無稽な展開やシチュエーションでも笑って愛せた。だから時間も金も心も注いだ。
それなのに、この仕打ち。しっぺ返しどころの騒ぎじゃない。

残酷で凄惨な事件や事故が発生した時、そこにどんな事情や背景があろうと、自分の理解を超えた目を覆いたくなるような事態には誰もが言葉を失くす。なんでそんなことが起こって、今自分の目はそれを見ているのか理解できなくて<恐怖>する。OL界隈の状況は、そんな恐怖に晒された恐慌(パニック)状態なのだと思う。しかもそれが1ヶ月続いてる。正気を保ったフリをするのが精一杯だ。よくこんな状態で会社行って仕事するフリできていたと思うマジで。
こんな事態が私の愛したOLで起こるだなんて、微塵も想像してなかった。映画がコケるとかは想像しても、まさか、こんな形で「終わりの始まり」を迎えるなんて、思わなかった。

結局、0927事変当日(正確には0926深夜から0927未明)は、一睡もできないまま出勤し、挙げ句カラオケ4時間ぶちかました上、更にその夜も眠れず翌日もそのまま勤務し、結果的に私は42時間ぶっ通しで覚醒し続けた。最後の方はずっと笑っていた気がする。気が触れたのだと思う。
ITS発表によって噴出した負の感情とひたすら格闘し続けた。そして負けた。惨敗。体調不良になりすぎて身体中が蕁麻疹だらけになった。これぞDEADまさにDEAD。LOVEはどこ行った。

どんな作品でも続編なり何なりは、前作から辻褄の合う方法で継がれていった。寂しくても最低限の理解と納得はできるものだった。
だが、OLのこれは陵辱だ。作品に対する侮蔑と陵辱。
何万回でも言うが、公式がやっていることが、だ。
信じられますか???私は未だに信じられない。しかし厳然たる事実としてITSは存在するようだし、刻一刻と放映日は近づいている。何が何でもITSをやるんだ、という意気込みとそれを受け入れろ!という強い圧を四方八方から感じる。うるせぇぇぇ!!!まだ劇場版やってんだろうが!!!!!!!

42時間覚醒の後、気絶するように寝た次の朝。
眠る前に「どうかこの2日間の全てが夢で嘘でありますように」とDEENの名曲:夢であるようにバリに願ったのに、当たり前だが世界は変わっておらず、寝床で血の池地獄と化したTLという現実を直視して絶叫した。いっそ殺してくれいや世界よ崩壊しろ19年遅れのハルマゲドンよ今来い来てくれ今すぐだ。

0927、この日から私の地獄の釜が蓋を開けた。

田中という一人の役者に負わせる業

0927後、Twitterでは阿鼻叫喚というのが可愛らしく思えるほど、絶叫と憤怒と悲嘆が溢れた。
その数日後、座長の田中氏がブログを更新した。
私はそれを読んで、この数日間いろんな感情に晒されても泣かなかったのに、号泣した。
信じられない。信じられない。
なんで、こんなことを田中に言わせるんだろう。田中が言ってしまうんだろう。

彼は、OLの愛すべき座長であり、OLを育て慈しみ、春田を生きたことで一等、一層輝いている人だ。その人柄に、笑顔に、多くの人が癒やされた。
そんな彼が、どうしてこんな悲痛な気持ちを吐露しなければならないんだ。なんで1人で謝罪会見やらされてるみたいになってんだ。座長だからか? OLの責任者なのか?彼は。そんな馬鹿な。役者だぞ?出て来て弁明なり説明なりすべきヤツは他にもいるだろうが!!!

やりきれなかった。でも私以上に、田中がやりきれなくて、それでも新しい春田を演じる(新しい春田を演じるってなんだよ今でも違和感ありまくりだわ)ことに向き合わなければならないこの状況、一体どこの誰が望んだんだよ。
田中ですら春田と牧の愛の物語だって思ってるのに、なんでこんなことになっちゃったの。
田中ですらってなんだよ。田中だからこそだよ。
春田を降りるって言うくらい、田中は春田なんだよ。牧を愛した春田なんだよ。
それなのに、牧じゃなきゃやだ、って言ったその口で、誰かを好きだって、言うの?
春田は春田であって、春田ではないの?
どういうこと???誰かこの文章の意味を説明してくれ。
私の思考回路はショート寸前 今すぐ死にたいよ。

私はこう思った。
「ファンがOLを、春田と牧の物語をこんなに愛さなければよかったんじゃないか」って。
こんなにも熱烈なファンが大勢発生しなければ、これほどビッグコンテンツになることもなく、「ラブコメBL(笑)」コンテンツの1つとして消費されるようなこともなかったかもしれない。まぁそうしたら劇場版までは制作されなかったかもだけど、伝説のドラマとして輝かしい経歴を残したまま颯爽と終われて、役者陣はもっともっと輝く役者人生を紡いだんじゃないだろうか、ってありもしない夢物語を一瞬夢想した。
ごめんね、田中圭。ごめんなさい。
愛しすぎた。こんな風になるなんて思ってなかった。
あなたは愛されすぎたし、あなたも春田をその身に宿しすぎた。
だからあなたはきっとこんな文章を書いているし、それを読んだ私は泣いている。

なんて業を彼は背負ってしまったんだろう。
ファンが背負わせてしまったのだろうか。もしくは作品か?牧か?林か?吉田か?田中自身か?もう分からない。
まるで呪いのように雁字搦めになってしまっているじゃないか。

祭り上げられた座長は、休むこともできずに、公式の作ったOLという神輿に担がれたまま、何処へ行くのだろう。ずっと神輿の周りであなたの勇姿を観ていたかった。すごく楽しそうなあなたの顔を、神輿を担ぐ林氏や吉田氏や他のみんなを観ていたかった。周りで一緒に楽しんでいたかった。
田中氏は誰よりも、お別れができていない人だった。
とっくに、誰よりも、お別れを済ませておかなければならない人なのに、できずに、未だにこんなに。

一方、この時点で「ITSの座長として」は書くべきではなかったとも思う。
墓場まで持っていくべきだった。プロの役者なら。
田中圭個人として、あのブログを書きたかったのだろうとは推察できる。でもせめて林にだけ、プライベートでだけ言うべきだった。(言ってるだろうけど) OLという世界を背負った田中を分かるのはきっと林だけだ。(吉田も分かってたと思ったらそうでもなかったのでもう林しかいない!!!!あーくそ!!!)
あれは、分かってくれるだろうファンに向けて書いたものなんだろうけど、ファンは元より、制作陣も知ることになったはずだ。
であれば、田中がこんな気持ちでITSに挑んで、エンジンかけなきゃ!って言わなきゃエンジンかからない心情になってるんだと制作陣もキャストもファンも知って、どうせぇっちゅうんじゃ!!と思う。
一度は抵抗したけど抗いきれずに始まって「しまう」ことへの、思いを断ち切るために書いたのかもしれない。覚悟決める為に、決めたと表明する為に書いたのかもしれない。でも覚悟決まってないじゃ〜〜〜〜〜〜ん!!!!!と邪推しちゃうよどうしたって。
ITSやることで誰も幸せじゃないじゃん。誰が幸せなんだよいたら連れてこいよ100%幸せなやつをここに!!!その幸せでこの毒まみれの私を論破して浄化してくれよ頼むよ!!!

誰が幸せじゃないかって一番はITS新キャストだ。哀れとすら思う。
春田は牧を愛していて、その春田で田中は終わりたくて役を降りたいとまで言ったのを知った上で、ツラは同じの新しい春田と恋しろって新手の拷問かよ。
しかもどうしたって2016年もしくは2018年のファンからはITSと過去作を比較されまくるだろうし、世界を席巻した!(by公式)と言われた作品の立役者が少なくとも、林遣都という存在であることは分かっているはずだ。あの存在を超えなければならない重圧考えたら毎分ゲ◯吐いちゃうよ私なら。無理だもん。無理無理。
モンペの皆様の壮絶な牧への賛美を知らなくたって、あの演技を役者として見たときにどう思うかなんて、想像に難くない。

田中や林は思い出がある。ドラマと劇場版で紡いだ物語とそれと共に育った感情と関係性が。でも新キャストはまだ縋れる、支えになるものがないんだよ(これから作るとか言うなよ私が死ぬからな!)。それでも尚挑もうとする彼らに、座長のあんたが乗り気じゃない、みたいに言っちゃったらどうすんのさ~~~と、全く思い入れがない新キャストに同情してる。
でも田中があれを書かなきゃやってらんなかったのも分かる。もーどっちに転んでも地獄地獄地獄!!!!!
しかも、旧(旧って言うなバカ!!!)キャストである林もまっしーもだーりおも、そんな田中を作品撮りながらすぐ傍で支えられないなんて、そんな、そんなことってある…?

LINEグループだってどうすんだよ。既存のにITSキャスト入れんのか??それとも別でITSのを新規作成すんのか??放っておいたら未読400になるくらい送ってた田中はITSグループばっかにかまけるようになるのか?それともどっちも慮って同じくらい送るのか?日替わりとかで???なんで私は他人のLINE事情にも切なく苦しくならなきゃなんねんだよ!!!もう各自個別に送ってくれ!!!!いつぞやの林のように!!!ていうかどっちかに偏っても超絶切ねぇから、OLチームはもう一切グループLINEやらんで欲しいし、二度とLINEのことは話すなインタビューで聞くな誰も触れるなタブーにしろ。

いや別にあの人達はプライベートでも仲良しだから、全然平気かもしれんし、田中も(ブログで)言うほどやりきれん気持ちではないのかもしれんが、あれ読んだこっちの感情ボロクソだよ!!!感情が!!!!追いつかん!!!!!現実に!!!!!
だがな、せめて愛した作品に出ている役者の幸せと自分の幸せぐらいは願いたいんだよ!!!!願わせてくれよまじで!!!

どーすんだよこれ。役を降りたかったのにやると決めた田中も、それを知ったファンも、それを知りながら撮る制作陣も新旧キャストも、映画からのファンも、だーれも幸せじゃない。
じゃあ何のためにやるの?金のため?でも、こんなに負の感情を各地で噴出させておいて、既存ファンがごっそりそのまま追従するとは思わない。

OLはドラマにしては珍しく?かどうかは知らんが、一般層は勿論、オタク・腐女子といった層をも深く取り込んだ作品だと思う。そして、この一年半、時間と金をひたすら捧げる推し活動に慣れたオタク・腐女子層は、どうやらごっそり離れる or ITSに追従しないようだ。その層が離れるインパクトと、金はそんなに落とさないが視聴率は稼がせてくれるライトな層が寄せるインパクト、どっちをテレ朝と公式が取ったかは明白だ。でもまぁ視聴率なんて古い指標主義に囚われているテレビ局がこの判断をしたとしても仕方ない。だが公式、お前は別だ。(後述)

OLはオタクだけに支えられた作品ではないとは思う。老若男女に広く愛されたと思う。
でもな!?オタクという金も時間も愛も惜しまない層が大勢寄ってきて担いだ神輿だから高く昇ったんだぜ!?とも思う。つまり、熱烈な既存ファンを敵に回してでも切った舵が誤っていたとなったら、結局テレ朝だって幸せじゃない(筈)。
なにこれ。なに、これ。
じゃあ何のためにやるの。誰のためにやるの。
田中がここまで重たいものを背負ってやる意味は、なんなの。
牧と春田を踏みにじってまで始める春田の恋ってなんなの。
なんて凄いもの背負っちゃったの、田中圭。

私はこの日の投稿を最後に、田中モバイルを退会した。終活の一環として。
もうITSに関して彼が是でも非でも何かを語るのを見たくなかった。
一過性のミーハーなファンだと思われても別にいい。
チャイメリカを観劇して思ったが、私は田中が好きなのでなく、「牧を愛した春田を演じた田中」が好きだったのだ。これからは、その他大勢の役者に向けるのと同種の好意を向けていこうと思う。
楽しい日々をありがとう。

ITS擁護は保身か、愛か、執着か

10月の初め、私はまだ苦しんでいた。
TLではファンが徐々に「ITSも楽しみ派」「ITS絶対拒絶派」「ITSより何より林絶対至上主義派」「ITSなにそれおいしいの派」「黙って去る派」ととんでもなく細分化していき、それぞれ何とか生き残ろうとしていた。
私はどれにも決めかねていた。「ITSを観なきゃ」とは思っていた。でも苦しい。つかなんだ観なきゃって。義務か???仕事か???納税か??
こう思った理由は恐らく、ITS拒否=これまでのOLをも拒否すること、だと思ったからだ。冷静になった今だから分かったのだが。
嫌いになりたくなかった。信じたかった。
「あの公式が田中がやるって言ってるんだから」、そう思った。
盲信ってこういうことなんだろうな。

情緒がぶっ壊れて自分でもどうやって生きているのか分からないくらいなのに、まだこの頃はOLから離れることが出来なかった。自分と同じような思いを吐露するTLをガラスのような目玉(上司談)で眺め、耳に入る歌全てにOLを重ねては嗚咽していた。

ちょうどこの頃、ギヴンの<冬のはなし>という曲にどハマりしたのだが、正にその時の私過ぎたし、それはなくとも余りにも名曲なので一節を紹介する。

《ねぇ 僕はどんな言葉でこの恋をとじたらいいの》
《あなたのすべてが 明日を失くして永遠の中を彷徨っているよ》
《さよならできずに 立ち止まったままの僕と一緒に》

上記のとこで、OLが湧き上がって聞く度に号泣しちゃって、もう本当人生にOLが組み込まれ過ぎてて辛い。
どんな言葉でこのOLへの気持ちを閉じたらいいのよ本当にさーーーーー!!!!!

ITSを間近に控えた今、OLを取り巻く人々は幸せなのだろうか。
あんなにドラマと映画で幸せを撒き散らして「恋がしたくなるな…」と私のおっさん同僚(50歳バツイチ独身)に言わせてしまうほどの、あたたかく優しい気持ちを抱かせてくれた作品が、怒りと絶望を生み出して、ファン同士を醜い争いに駆り立ててしまうなんてなんでだよ。OLに何があったんだよ。
金が絡んだのか?役者のスケジュールが抑えられなかったのか?低迷するテレビ業界において強コンテンツ化したドラマで起死回生計りたかったのか?Pや監督が出世したかったのか?脚本家が出世作を増やしたかったのか??
知るか!!!!
私は消費者でしかない。だから、何も業界的なことはわからんし、そんな事情があろうがなかろうが知ったこっちゃないし、そもそもこっちに色々慮らせるな。いや別に慮らんけど、そういう「何とか納得できる理由」を無理矢理捻り出さないと、ITSをやる理由、牧がいない理由、田中が続投する理由、春田創一という名が残る理由にこじつけないと発狂しそうになるんだよこっちは!!!!どう論理的に考えようとしても、<「春田創一」「黒沢武蔵」という名前のキャラ>が<同じ役者>で<同じタイトルのドラマの続編をやる>けど<前作とは世界観が違う>っていう要素を繋げられないんだよマジで!!!!脳が!!!死ぬ!!!

既存ファンはしかし、どうにかITSを受け入れようとしていた。いや、今でももがき苦しんでいる人は大勢散見される。荒唐無稽とすら思われる理屈で、自分を誤魔化して言い聞かせて、無理やり納得しようとしている。あるいは納得したふりをしている(多分)。
しかも明確な答えは公式や役者から貰えるわけじゃないから、この”自分への言い聞かせ”は際限がない。止まらない。だからこそ派閥が生まれ、哀しい争いがそこら中で勃発した。
それは全部、おっさんずラブという作品を愛した自分を守るためだし、愛があるからだし、それ故に執着しているからだ。
本章のタイトルで問いかけをしたが、いずれかじゃない。全部だ。
他人を攻撃してでも、各々が大事に思うおっさんずラブを何としてでも守りたい。愛していたい。それだけなんだよなきっと。
必死なんだよ。なんで公式はそれがわかんねーんだ。人の心をどこに置いてきた?そもそもそんなもん無いのか?
血走った目をぎらつかせてマインドコントロールされてるような盲信を支離滅裂にぶつけ合うのを見て、何とも思わないのか?思わないんでしょうね。ああそうか、既存ファンは要らないんですね。むしろ邪魔に思ってるですね。そうか、そうですか。だからあんなことができるんですね。凄いですね。公式の方々に精神鑑定をお勧めします。

「パラレルなら見れるかも」「別物と思えば楽しめる」「なんとか応援したい」と喘ぎながら血反吐吐いて地獄の底でのたうち回って、それでもOLを、ITSを愛そうとしている既存ファンをせせら笑うようにITS弾道ミサイルをぼっこぼこ投下する公式の様を、私はだんだん冷めた気持ちで見るようになった。歯を食いしばって切り替える努力を”視聴者に”強要するドラマの続編て一体なんなんだ。そうまでして向き合った続編の先には何があるんだ。

ていうかそもそも、名前と役者とタイトルが残れば続編になるのか???え、待って。まず公式と言葉の定義を擦り合わせたい。「続編」って何?そうだ、広辞苑、引こう。(京都、行こう)
何故、別のドラマとしてスタートするのはできなかったんだ?ごめん、単純な疑問なんだけど、なんで?
いや、分かる。分かるよ公式。お上に言われたんだよな?
「なんかおっさんずラブとかいうの流行ってるらしいじゃん。金になるみたいだから、またやって。あ、田中は使ってね~」って言われたんだよな?うんうん分かるよここまではな。
素人の私が偉そうなこと言ってすいませんけど、でも、他の部分はどうとでも上手いことやれたよな?
「テーマは同じ」「田中続投」で新ドラマ、って銘打てたよな?
いや「おっさんずラブ」は使いたいか、そうか。じゃあいいよ使っても。世界観も変えたい?まぁ仕方ないか。
でもさ、そこまで揃ってて「春田創一」をITSでも使う理由はなんだ??

使い回され、消費される「春田」

私が一番許せないのは、ここである。
公式(P、脚本家、監督など作品の方向性に決定権を持つ人々。以下これらの人々を指す)が「春田創一」という名前の継続使用を決定したことが、私には最も許せないことであり、これ以上新しいOL世界と関わりたくないと思った理由だ。

牧が出ないことでも、Twitterアカウントを使い分けないことでも、牧その他2018ドラマのキャラを蔑ろにしたことでも、映画クランクアップ画像を4人まとめてUPしたことでも、それらに何の弁明も無いことでも、否定的な意見をぶつけるアカウントをブロックしまくっていることでも、武蔵の部屋を全消ししたことでもない。嘘、これらにも勿論「はあああ~~~!???」とは思った。でも、徐々に冷めつつあったので怒りはそれほどなかった。(これで?)

しかし、ずっと根源的に許せない、「春田創一」の使いまわし、これだけはダメだ。どう理屈を捏ねても納得できない。無理。無理無理無理無理無~~~~理~~~~!!!!
ここが納得できないから、どうしてもITSを受け入れられなかった。すまん、ITS。悪いのは全部、牧でも秋でもない。公式、おめーらだよ。

なぜ、「春田」を使い回す?使い回す癖に別人?役者同じで?は??頭沸いてんのか??
どんだけ前作に乗っかるんだよ。それって「春田」「田中」「おっさんずラブ」が揃ってないと良作話題作傑作が作れませんっていう自信の無さの表れだぜ?なんだ?そーんなに自信も技術もプライドもない奴らがつくったドラマをありがたがってたのか私は。ふざけろよ。(一方で自信がないのも分かる。連ドラが跳ねたのは田中と林の春田と牧とそれを囲んだ役者陣のお陰だからだ)

確かに、OLの世界線は、2016ドラマから2018ドラマへと継がれている。ハセから牧に変わることも田中は拒否ったらしいし。「春田創一」が男に愛されることで、人を愛することに気付くという主軸をブラしたくない、というのも分からなくもない。
まぁ武蔵が何度も春田に恋してフラれるってのは意味が分からんが。私は2018の部長にも幸せになって欲しかった。しかもITSでもまたフラれるらしいし。は?意味分からん。部長も武川も幸せにしろよ。なんだあの扱いは。(劇場版)

閑話休題。
2016が無かったら2018も無かったのは百も承知だ。一方で、ハセ派を敵に回すかもしれないが、私の中では、2016版はあくまでプロトタイプで上手くいったから2018を本チャンとして作ったと解釈している。いや分かる、分かるよ2016があったから2018があって2019映画があるんだよな!?分かってる!!でも言いたいが、2018が跳ねなかったら2016は円盤化されなかったし認知度は少ないままだった筈だ。現に私は2018があったから2016を知った。そういう人は少なくないと思う(調べてないから知らんが感覚値)。
だからおっさんずラブという作品にある種、固定の要素があるのは分かっている。分かってはいるが、なんぼほど使い回すんじゃ!!!
というか単純に公式に芸がないというか引出しが少ないのだろう。いくら田中が作品に合致しているからと言って、役者が変わっても良いドラマを作るのがプロの作り手として求められることだろうが。
そう、公式はプロなのだ(あれでも一応)。
プロならプロとして、矜持を持って仕事をしろよ。
仕事へのやりがいとか夢とか登場人物に語らせてる場合かよ。

劇場版で「春田と牧の物語」を完結させたのであれば、「春田」でなくても良かった筈だ。
というか、「春田」から脱するチャンスでもあった。公式も、田中も。
例えば「秋田創二」を斎藤工がやって、同じ程、いや田中の春田のOLよりも愛されたら、それこそ公式が描きたいといった「誰でも幸せになりうる世界」が描けるし、公式の実力は田中無しでも証明されたことになったのではないか。(また役者が良かった、という感想になる可能性も勿論ある)
それをな!?!?!その可能性や田中の拒否を捩じ伏せても易きと慣れと権力に流れた挙句、<「春田」を継続させることによる歪み>をファンに押し付けたことが私は許せない。どーーーーしたって納得できない。
田中圭がやる意味がどこにあるんすかね???春田創一という名前を継続使用することにどんな意義を見出してるんすかね?????こちとらおバカで矮小な消費者なもんで、高学歴がゴロゴロいるテレビ局の皆様には畏れ多く恐縮ですが、咀嚼して食べさせてくれませんかね???その高尚だろう意味や意義なんかをさ!!!!そしたら余生80年反芻しながら生きるからさ!!!!

「お上に言われたことをやってるだけ!公式はできるだけのことをしてくれた!悪いのはテレ朝!でも林を出さないのは許せない!!殺殺殺殺殺殺!」と訴えてた人もいたがいやいや、冷静になってほしい。 OLを愛し続けたいが余りに、公式に対して赦しのハードルが下がりすぎてる。テレ朝の方針と春田の継続使用と牧の不在と公式のプロ意識の低い行動は全部、話が別だ。

テレ朝は「春田」継続使用というそんな細かいところまで指示はしていないはずだ。何故なら経営者はコンテンツ自体の強さと、その強さの原因を分析し、金儲けを考える。つまり、 OLという「枠」と「BLっぽさ」と「田中」は外してはいけない、程度の方向性を指示しただけだろう。そこに至る分析と判断にとって、キャラ名は些事である。ならば敵はテレ朝上層部とやらではない。
牧が出ないとか航空業界なのは何でとか、いろんな事情はあるだろう。ドラマ制作はボランティアではなく、ビジネスだからだ。

だが公式、てめーはダメだ。(二度目)
指示されたとは思わない名前残しをした挙句、既存ファンを置き去りどころかめったくそに踏み躙り、座長だけを矢面に立たせ、チープなオマージュを連打し悦に入っている理由を1万字やるから述べよ。
これが金を動かすコンテンツの、しかも公共の電波を使うプロのやることか?と思う。ちゃんと正常に思考回路が回ってる状態で検討したのか?これが?は?こんなやり方する公式に金出すくらいならテレ朝よ、成宮に金積んで相棒に復帰させてくれその方が外道だが余程跳ねる。米倉に生涯賃金一括で払ってドクターX永遠にやっててもらえ。テレ朝の株も上がる多分。

2016→2018の移行がファンに受け入れられた理由と、2018→ITSが受け入れ難い理由は異なる。それは単純に時間の経過や発表タイミング、或いは牧がいるいないとかまぁ色々あるが、全部ちゃんと熟慮熟考の上で設定されたITS世界と登場人物だったならこれ程までの拒絶は形にならなかっただろう。

だが、公式は愚かにも、過去の栄光と作品名の人気に縋り、座長の力量と覚悟に縋り、「こんなんならいいっしょ」と2018を愛したファンをナメた。バカにしたんだ。
2018を愛した気持ちを「でも言うて新作やったらついてくるっしょ。田中が出ていてBLっぽい描写とちょっとキュンとさせればまたアホみたいに金貢ぐっしょ」と下に見られたんだ。
ふざけんな。こっちはホストに貢いでんじゃねーんだぞ。いやホストに貢ぐ方が1000万倍マシだ。だってホストは私の前では王子様を演じてくれるし金を出す限り裏切らないからだ。(ホストに貢いだことないから知らんけど金ヅル逃さない為の努力は少なからずホストだってするだろうよ)

公式にナメられたファン

10月5日、私は気付いた。「OLファンは、公式にナメられた」んだと。バカにされたんだ、とやっと気付いた。
ファンがOLを愛している気持ちの上に胡座をかかれて踏ん反り返られたのだ。
馬鹿にするのもいい加減にしろ。

私は公式に金ヅル扱いされてもいいが、ファンとしての愛情を無碍にされる謂れはない。金ヅル扱いは別にいい。むしろ作品が育つなら喜んで払う。
私は消費者にしか過ぎず、金を払うことしかできない。愛を金に変換することでしか愛を示せない。だが、ちっぽけな蟻だろうがダニだろうが自我も意思もあるしそもそも防衛本能も闘争本能もある。公式がいくら無視しようと、蟻のように矮小な私はしかし確かに存在する。地球上の蟻の総数知ってんのか?その蟻のパワーを人間換算したらどんだけのもんか分かってんのか?

長いオタク人生で私は公式至上主義だった。公式のいうことは絶対だった。
創造主である公式が止まれば、もう私の愛する作品は続かない。ならば文句も言うなんて持っての他だ。感謝しかない。愛させてくれてありがとう、と。
この傾向は原作者・原案者が1人しかいない作品に、より顕著だ。作品は作者の手からしか生まれない。未完で終わったらそこで終わり。いくら素晴らしい二次創作を読もうが、絵や文体が似ている人が継ごうが、オリジナルには敵わないと思っている。何故なら1人の原作者が紡いで愛する以上に、その作品への愛は誰も越えられないからだ。私は原作者の愛情がとても大きく心血注がれた作品を幸いなことにたくさん通ってきた。

OLはしかし、原作者という存在がいない。原案は女性P、それを複数人で膨らませて脚本に起こされた作品だ。つまりいろんな人の思惑と愛情が入り混じっている。そこに更に役者の演技が乗る。どれかが素晴らしければ、どれかが「それなり」だとしてもそこそこの作品にはなる。OLはメッセージ性なりテーマなり脚本なりが「それなり」だとしても、表出されている役者の演技によってそれらが昇華し、傑作となった。いや、この頃は見せ方やテーマの一貫性、チームとしての熱量が素晴らしかった。だから、多くの人に愛された。

ここで私は(そしてもしかしたら多くのファンが)勘違いをした。
「この公式とそれが創る作品は素晴らしい!」と。
確かに画期的な企画やTwitterなどSNS活動を通じて、昨年の公式はファンに寄り添っていた。純粋で熱い想いで作品を作り、それに役者が、ファンが呼応した。公式が最大手、って正にこの事かと思った。

間違いなく公式はファンの熱量を、愛情を分かっていた。(でなければ自称であった「OL民」を公式が使うわけがない)分かっていたのに、この所業。
ファンと公式が相思相愛だなんてさらさら思ってなかったしビジネスだとも重々承知してるが、2019年夏以降の公式(つまりITSに照準を合わせてから)の振る舞いや態度や心意気は、余りにも、あ!ま!り!に!も!お粗末すぎる。ど下手くそか。広報のやり口、作品の設定、もはやチープに感じる◯番煎じのオマージュ群、田中にモバで話させてしまう詰めの甘さ、キャラの扱いの酷さ、どれをとってもプロの仕事ではない。やっつけ仕事かよ。そんなんで給料もらうな。NHKプロフェッショナル仕事の流儀を観て出直せ。あまりにも、連ドラと演じた役者、それを愛したファンに対しての尊愛が無さすぎる。

こんな公式の底の浅さを見破れなかったお前が悪いと言ったらそれまでだし、事実そうなのだろう。そこはもう、なんというか過去の私の見る目の無さを嘆くしかない。
(作品自体を知ったことは自分で自分を褒めたい)

公式のやり方は自分本位で傲慢だった。
「俺がこうやるっつったらこうやるんだよ!!!」と喚くDV旦那のように。
ファンは酷い!と思いながらも優しかった過去があるし、まだ一緒にいようとはしてくれているので愛そうとする。好きでいたい。酷いことされてるって分かっても、それでもまだ愛していたい。
こんな酷いことするのも何か意味があるのかもって一生懸命こじつけてでも考える。でも心が追いつかない。
「俺が満足できないならお前が出てけ!」と言ってるのに、ファンは共依存の妻のように本心がもはや分からず混乱し、気持ちを押し殺しながら、旦那が差し出してきたものを泣きながら受け取る。その手はもはやボロボロだ。ちなみに心も疲弊している。
たまに大声出して「(TwitterアイコンとTOP画面ちぐはぐにすんのは)やだってば!!!」とか言えば、その剣幕に驚いて慌てて取り繕う。でも謝らない。だって、<俺(公式)は悪くない。お前(ファン)が付いてくるのは変わらないし、それでも俺の出すOLが好きだろ?>と思っているからだ。
永遠にハネムーン期が来ないのに、どうしてこんなDVを受けられるというのだろう。
あーーーーーふざけんなふざけんなふざけんな。

公式を過度に擁護する方を見ると、前述の通り共依存の妻のようだなと思ってしまう。
本人が良いならそれでもいいのだが、見ていて痛々しい。そして公式とファンの関係性は何の契約関係を結んでいるものではないのだから、あまりにも辛いなら勝手に距離を置けばいいのにと思う。
辛いのに公式見に行って予想通り抉られたり、田中モバを見に行って裏切られた!と泣くくらいなら、とっとと以前までの推しを愛でるなり、新しく熱中できるものを探せばいいのだ。見切りをつけられない、つけたくない気持ちも分かる。すんげーーーーー分かる。
でも、突然妻に去られた夫はきっと慌てふためくよ?
もしかしたら夫はとっくに若い後妻を貰ってよろしくやるのかもしれないが、そんなのは気にするな。その手に残った良かった思い出(2016/2018連ドラ)を抱えて余生を生きろ。
夫のことなんてもう放っておけ。インスタもFacebookも切れ。TwitterもLINEもブロックしろ。ちゃんとやれてるかしら、とかって覗きに行くな。もう夫は若い後妻(ITS及びITS観る派)のことで頭がいっぱいだ。
後妻のネガキャンもするな。捨て置け。あなたの人生にもう関係ない。
豹変した夫をそれはそれでずっと愛せるなら別にいいんだけどさ。

豹変したDV公式に翻弄されたり苛々させられることに、早々に私は怒り疲れた。
そしてどうやら、本日の武蔵の部屋の一件で、私の観測範囲内ではあるが多くの人が、「怒りではなく、冷め」にその感情を転換させたように思う。
私は一足先に冷めていたので、断末魔の悲鳴が上がるTLをただただ悲しく思った。ここまで何とか耐えてきたのにね。
無事に冷めて距離を置けるようになった皆様、お疲れ様でした。
まだ頑張っている皆様、どうか無理し過ぎずご自愛ください。心が死にますので。

私は幸せでいたいので、たくさんの心の恋人(従来の推し)の元へ還る。
その心の恋人には、「牧と春田の物語である2018連ドラ」があるのは言うまでもない。
彼らとその物語は私の胸の特等席に今も、いる。
私の見上げる夜空には、牧と春田の星座がきらきら輝いている。
劇場版で完結したことで、牧と春田の物語はもう公式の手を離れたのだと私は思っている。これからはいくらでも私の手でこねくり回してひたすら愛し続けていけばいいのだ。
それを邪魔することは、世に生み出した以上、公式が出来ることではない。私は私が愛した(今は亡き古き良き)「おっさんずラブ」を愛していこうそうしよう。

無い無い尽くしの作り手(プロ)と、消費者でしかないファン

作品を世に出して商売する時、その作品は作り手の自己満であってはならないと思う。
かといって迎合しても消費者に見透かされる。
プライドとリスペクトをもって制作し、自信と愛情を注いだ作品は、人の心に届く。
そんな作品はそれ程多くはないかもしれない。
おっさんずラブというシリーズもそんな、稀有な作品になれるところだった。2018連ドラまでは確実にそんな奇跡のような作品だった。

それを台無しにしたのは、なんだろうか。
公式の傲慢と怠慢だと私は考えている。
モノづくりのプロとしての作品やファンや役者や環境への敬意が、決定的に欠如している。LGBTを揶揄するような方向性に異を唱えず、だっさいオマージュなのかシャレなのかは知らんが、少しだけぼかしたつもりになってる陳腐なやり方の数々には、あまりの品性の無さと配慮の無さに顔がお地蔵さんのようになってしまう。過剰に阿らなくてもいいが一定の配慮は必要なのに、それすらない。

公式には、作り手としての愛がない。誠実さの欠片もない。矜持もない。じゃあ逆に何があるんだ?何も無ぇじゃん。
だから、平気で既存ファンをブルドーザーで踏み潰すようなことを平気でするんだな。予告すらなしに。
これが、ファンを軽んじている公式以外なんであると言うのだろうか。
そんな公式になんでいつまでも愛と忠義を捧げなきゃならんのだ。
私はこんなにまで軽んじられて、馬鹿にされて、ナメられてまで、追従できません。
そんな公式が作り出すITSにもはや希望を見出だせないし、今後も発展していくだろうOL世界に私は踏み込めない。

公式のやり方は余りにもさもしく、浅ましい。
工夫を凝らさず小手先で上手くやったつもりでいるその幼稚性も、それでもファンは付いてくると信じている傲慢さも、陳腐な取り繕い方も、何もかも。
こうなってくると一周回って惨めだ。
こうまでしないと、ITSを盛り上げられないのだ。
自分たちが作った世に愛された作品を踏み台にして、利用して、消さないと、先に進めないのだ。
作ったものを笑いながら壊す子供のような、後先考えない破滅指向じゃないか。
もしくは何も考えていないか。
金に目が眩んだわけでも、ファンの断末魔の叫びを聞いて心苦しくなりながら致し方なくやっているわけでもなく、先人の知恵を踏襲するでもなく、純粋に「これが俺たちの素敵なやり方★」と絶望的な感性の無さで思っているのかもしれない。
サイコパスじみてるな?やばい。

書いてて段々可哀想になってきた。
作り手の矜持も敬意も感謝も見えないなんて、作り手としての意味があるのだろうか。
せめて、作品に、役者に、ファンにひとかけらでも誠実であれば良かったのに。

0927から現在に至るまでの公式の悪手の数々はここに記したくもない。全部ピー音入れてモザイクかけてくれ。発禁処分にしておいてくれ。
なにかを好きなモノが一つでもあるなら決して思い浮かばないクソみたいな外道なやり方でファンを愚弄した。そして10月も末になろうとする現在もクソみたいな所業を重ねている。

繰り返すが、私を始め多くのファンは、いち消費者に過ぎない。だからこそ、コンテンツを選ぶ権利はこちらにある。金を出すのも出さないのも、消費者の胸先三寸だ。だからこそ、ファンとして金を落とすしかできないからこそ、せめて気持ち良く金を払わせてほしいと思う。
「金ヅルでもなんでも良いから、せめてそんなファンの存在を知らないふりせず誠実であって欲しい。」これは過ぎた願いなのだろうか。

好きなジャンルに金ヅル扱いされてるなぁと思うことは多々ある。
別にいい。商品と引き換えに楽しむことができるのだから。(コスパは一旦度外視する)
ただ、OLについて決定権を持つだろう公式が行ったことは、ろくなマーケティングをせず、「これでも付いてくるでしょ」と嘲笑しているのが見えるようなことばかりだった。ファンを単なる数字でしか捉えていないのだ。しかもそのファン数(フォロワー数とか)全員が、OLって付いてりゃ金なり視聴率なりを献上すると思っていたようだ。ヘソで茶どころかコーラが噴き出すわ馬鹿者。

「おっさんずラブ」「BLっぽさ」「田中」これが揃ってれば最強、と短絡的に考えただろう公式の所業を察するに、そこには2016や2018で掲げていたテーマも熱量もクソもない。見えない。
大きくなったコンテンツだからこそ、自由が利かなくなり金に翻弄されたのだろうとは思う。でもそんなコンテンツは山程ある。それでも「ファンのニーズ」と「金儲け」のバランスを取って見せるのがプロであり、ビジネスだ。ニーズに迎合していると見せかけてその実金儲けばっかでした、だなんてビジネスでは当然の話すぎる。そんなことファンは当然分かっていて、それでも付いていくのだ。その作品の存在によって幸せになるのだから。

ドラマ制作は芸術活動ではなく、ビジネスだ。好き勝手やりたいなら、サークル活動でもなんでもしてくれ。ファンに負担をかけるな。私達ファンとあんたら公式で、等価交換しなきゃいけないのに、なんで金も時間も差し出して、その対価にエグい拷問されなきゃなんねぇんだ。しかも拷問もへったくそなだしな!?鞭打つならもっとちゃんとこっちを見て打て!見ないフリしたり余所見しながらやるからこっちは無駄に痛い思いしてんだろうが!!
それで給料もらってんだろ!?仕事を!!!しろよ!!!プロの!!
誠意と熱量と愛を見せずに、世に愛されようだなんてどのツラ下げて言ってやがるんだ。厚顔無恥も甚だしい。

春田と牧の消失

こう思えるようになるまで、本当にしんどかった。
家でも職場でも電車でも泣いていた。
つい先日まで、同じように泣いていたことを思い出す。
劇場版で完結することで、牧と春田との別れがつらくて。これで本当に終わりなことが辛くて。
先月とは全く違う理由で私は今月泣いた。
私は、ITSが始まることで、公式のあんな所業で、私の愛した牧と春田が殺されてしまったように感じた。殺されるという表現が過激すぎるなら、存在をなかったことにされて、消されたように感じたとでも言おうか。

OL友に私は言った。
「春田が春田でなくなる。消える。いやこれは殺されたのと同じだ。私は春田と牧と別れる覚悟はできていた。でも春田と牧が消されるなんて、殺されることなんて想像してなかった。しかも殺したのは公式だ。塗り替えられようとしている。春田を、春田で。春田を演じた田中の手で。田中が別の役をやって、とか別の役者が春田をやって、ではなく。こんなことがあっていいわけがない。酷すぎる。しかも田中は春田を殺したくなんかなかったようだ。林と演じた牧と春田を残しておきたかったようだ。あんまりだ」
友は返した。
「田中が春田を殺せないなら、いっそ私が殺してあげたかった」
私はそれに加えた。
「田中が春田を殺せないなら、私が殺して私も死にたかった」

「春田創一」が使い回されることで、私の愛した「牧を愛した春田」は死んだ。
こんなことになるなら私は春田と牧とOLと心中したかった。(概念的に)
あんなに愛した春田と牧を私は失ってしまった。
だって、彼らが役を「生きた」のであれば、その役を降りたとき、役名同じで人格が変わったとき(笑)、彼らは間違いなく「死んだ」のだ。
田中が頑張ろうと、新シリーズが跳ねようと、新キャストとの恋が良かろうと、それだけが決定してしまった。
劇場版で完結であることをやっと受け入れたところ、しかもそれはこちらの解釈でやっと納得できたところで、更にその上消されてしまった。それを嘆いて何がだめなんだろう。
公式もテレビ局も視聴者も誰もが想像しないほど、田中と林が春田と牧を生きてしまった。
もうこうなりゃ生きて「しまった」だよ本当にちくちょう!!!

牧の不在は続編決定時から想定はしていた。でも別に出なくたっていいのだ。あんだけ劇場版で愛し合っていることが白日の下に大発表されて2人で確認しあったんだから。もう5年でも何年でも駐在して偉くなって帰ってくりゃいいよ無事に。
しかし、「牧凌太を愛する春田創一」を失うとは思っていなかった。それも設定がクソみたいなパラレル(笑)で。パラレルワールドの作り方知らんのか?牧はなんとか心の中で誰にも汚されることなく維持できそうだが、春田は上書きされてしまう。何故って名前が「春田」そのまんまだからだよ!!!!!(まだ言う)田中が別のドラマで女優相手するのとは訳が違うんだよ!!!

な〜〜〜〜んでこんなことになっちまったんだよまったくよ〜〜〜!!!
たった1ヶ月前まで世界は輝いていたのにさ〜〜〜〜!!!!愛し合う牧と春田がいたのにさ〜〜〜!!今もいるけどもう消えるんだよつーか消されたんだよやめてよ!!!!
でも最後の舞台挨拶の頃既に田中は腹括ってたと思うともう何も言えねぇ〜〜〜〜〜!!!

手元の円盤を見ればいいじゃ無いか。別に春田と牧と天空不動産がなくなったわけじゃ無い、という人もいるだろう。そんなことは百も承知だ。違うんだ、概念的に消されたんだ。春田が春田によって殺されちゃうんだよ。上書きされて消されちゃう感覚なんだこれ分かる?しかもそれを私にとって絶対的創造主としてきた「公式という存在(≠OL公式)」が断行(ってほど重々しくなさそうだが)した上、他の誰でもない田中が息の根を止めるんだよ。
そんな悲劇あるか?ねぇよ。リア王も顔面蒼白だよ。
私の愛した世界丸ごと消されちゃった気分なんだよ、違う在るのは分かってる、でも、”無い”んだよもう私の中では!!!!!

愛したことを後悔したくないけどこんなことになるなら知らなきゃ良かったけど知らないで生きる方が辛い、とかいうポカホンタス大先生の言ってることは分かるっちゃ分かるがそれでもやっぱり辛いからいっそ狂いたい狂わせてくれいっそ私を殺せ!
そしたら私は牧と春田がいたこの世界を愛したまま終われる。

「ITSを応援すればシーズン3ぐらいで二人が戻ってくるかもしれないのにITS批判するのはそもそもOLを愛してない」という批判が一部で喧伝されてるらしい。うるせ~~~~~~!!!!!そんなお気楽に考えられるなら地獄の底でのたうち回ってないんだわすまんな!!!!それはどっかのどなたさんかの個人的願望であって確実な未来ではないしそんなことを今の公式に望めるわけがないのでもうこれ以上掻き乱さないでくれ!!!もう死んでるんだってば…脳と心が死んでるんだって…死体蹴りした挙句さらに凌辱しないでいつの時代の拷問ですかそれは…西太后だってそんなことしなかったよきっと…

田中と林が牧と春田を「生きた」から、多くの人の心を震わせた「おっさんずラブ(2018)」。
二人はきっと、この世界を保つのが難しいと誰よりも分かっていたはずだ。あんなに全力で生きたからこそ、分かっていた筈だ。春田と牧だからこそ紡げたあの世界は、あの二人にしか出せないもので、二人はその難しさとバランスを分かっていた。
吉田も、公式も、きっと本当のところは誰も分かってなかった。もちろん視聴者である私もだ。
だから、「おっさんずラブ」はもう終わるべきだった。
牧がいないなら、終わるしかなかった。
劇場版で完結、の言葉どおりに完結すべきだった。
なんなら全7話で終わるべきだった。
なんで好きな作品の終わりを願わなきゃならんのだ。でも今より終わる方が遥かにマシだ。
2018、あれはほんとうに奇跡だったんだ。
もう二度とあんなのは観られないと思う。
同じキャスト・制作陣が揃ってももう無理だと思う。あの時の熱量と熱意があったからできたものだ。
田中と林が初共演で、物語を追うように関係性を深めていったから、できたものなんだ。
もう誰もあの7話のようなものを作れないのだとしたら、やはりITSは、私の愛したおっさんずラブではない。
ITSも面白いかもしれない。視聴率もフォロワー数も2018を超えるのかもしれない。でも別にどうでもいい。

もはや、私の愛したおっさんずラブは、どこにもない。

OLを、終える。

だから、私は終活を始めた。
Twitterアカウントを整理し、雑誌記事をラミネート&ファイリングし、HDDに録画していた各番組はBDに、焼いて消した。連ドラもBDとは別にいつでも観れるように、とHDDの最古の録画として残していたけど、消した。録画リストのサムネで春田の声を聞くのすら辛かった。結局一度も見なかった。(観なくても、全7話脳内再生余裕だった所為もある)
もう以前のような気持ちでは、見れない。少なくともあと5年は 連ドラも劇場版も見れないという、ぼんやりとした感覚がある。

たった1ヶ月前、私はとても幸せな気持ちでいた。
最後の舞台挨拶の時、私は、彼らの中にいつまでも春田と牧がいる可能性と2人の関係性を改めて感じ、この舞台挨拶が私のOL人生の集大成と思った。
まさかこんな地獄が続きとして待っているとはね。

7月の頃の私に今の内に死んでおけ、と言いたい。
こんな思いを私は私にさせたくない。
永久に抜け出せない地獄なんて、味わうもんじゃないまじで。
なので私は強制終了する。
私の、 OL人生を。

一つの作品のファンが続編の去就によって分断され、罵り合い、喚き続けているこの状態は常軌を逸している。
作品を最も深く愛してるだろう層が、いま最も深く悲しんで苦しんでるというこの現状は、何度考えても異常だと思う。
0927から本日までで、こんなにも自分に負の感情が沸き立ち、攻撃的な気持ちになれることを知った。

世界が憎かった。
OLを知らない人が憎かった。
OLを普通の面白いドラマとして観れた人が憎かった。
私もOLにこんなにハマらなければこんな思いすることなかったんだと思ったら、道行く人全員にOL知ってますか?と聞いた上で殴りかかりたかった。
世界中が不幸になればいいのにと思った。
劇場版ですら色々辛かったのに、なんでこんなに辛い目に合わなきゃなんねーんだ。
私はこんな目に合う程の何かとんでもないことをやらかしていたのか。そうだったならすまん、本当に申し訳ない。私の存在によって苦しんだ皆様本当に申し訳ないが、どうか勘弁してくれ私をいい加減地獄から出してくれ。そう願った。

怒りは絶望へ、絶望は諦念へ変異した今、私は冷静だ。
感情が、止まった。冷めたのだ。全てに。
0927から約1ヶ月かかった。しんどかった。
今は何かが滅んでいく様を、この地獄の顛末を他人事ような目で見ている。
2018を愛した記憶だけを持って。

OLは私のトラウマになった。
愛しすぎて幸せだった日々。愛しすぎて辛かった日々。別れ。裏切りの厚塗り。消失。
全部、トラウマだ。
トラウマだけれど、「おっさんずラブ」という作品がどんな形になろうと、私の愛したOL2018は永遠に私の中で生きていく。
私はどうしたってそれを忘れることはできない。忘れるなんてしたくないからだ。

前述のギヴンの<冬のはなし>のラスサビはこう終わる。
是非、一番の歌詞と比較してほしい。
《あなたのすべてがかたちを失くしても 永遠に僕の中で生きてくよ》
《さよならできずに 歩き出す僕と ずっと一緒に》
あなたのすべてが明日を失くして永遠の中を彷徨っていて立ち止まっていたけれど、やっと歩きだす。あなたは永遠に僕の中で生きていくと分かったからだ。ずっと一緒に。

OLは私にあまりにも大きな喜びを、友人を、寂しさを、幸せをくれた。
ありがとう。
本当にありがとう。
おっさんずラブ(2018)という作品に出会えて本当に幸せだった。
ずっとずっと私にとって大事な作品だ。
だから、もう、さよならだ。

いつかまた、2018年連ドラを観終わった後の幸福感だけを思い出せる日が来ることを、願って。



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