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“MyWay”

今回の音源も、とても嬉しい反響があった。

それはもう、受け取りきれないくらいに。

生きていてよかったなって思えた、踏ん張って来てよかったと思えた。

私はよく“3日にいっぺんは絶望してる”とギャグみたいな事を言っているのだが、それはギャグでも嘘でもない。

それはこの世界の素晴らしさも知っているし、どうにもならないたえ難い絶望も知っているからだ。

きっと誰かの為の音楽じゃない、自分の為の音楽だけど、自分の為にしていることは、見えない眼の前のあなたの為にしていることでもあると思う。

私の音楽が私の知らないところで勝手に独り歩きして誰かの心に化学反応を起こしているのなら、こんなに素晴らしく面白いことはない。

そしてそれは伝えてくれなきゃ私にはわからないことだけれど、今回の様に誰かはこうして伝えてくれて、私に目に見えるカタチでチカラを与えてくれている様に思う。思う、というか与えてくれている。

これは本当に有り難いことだし、奇跡のような行いだと思っている。伝えてくれること、アクションをおこしてくれることというのは貴重なことだし、応援してくれているのだなと素直に思えるからだ。だって作品は私の血肉の一部なんだ。

ところで、私は自分の作品について説明するのがあまり好きじゃない。それは作者である私の意図や意思を推しすぎて相手にその作品の輪郭や質感、そういった物を感じさせる余白を与えない愚行だと考えているからだ。

しかし今回、私のこの作品は私の感覚に近しい…というか、むしろ私の感情や色んなものが剥き出しになってそこに/底に在ったのだなと思わせる様なメッセージをたくさん頂いたのだ。

私はその受け取ったいくつかのメッセージの中で “パンツを脱ぐ” という言葉を知った。調べてみた感想だが、捨て身の様な、自分を曝け出していく様な、そんな時に使う様に受け取った。

“  表現とはこういうことを言うんだなと。喰らいました。”

そう言われた。

自分の不器用さが現れたんだろうなと思った。
でもそれが強くいい意味で相手に真っ直ぐぶつかっていった様だ。不思議な感覚になる。

私は鋼鉄の鎧を纏っていると思っていたが実は丸腰で剥き出しだったみたいなことだ。
本来なら恥ずかしくなる様なことなのかも知れない。

そんな音楽を私は演っている。作っているというより、沢山の中の自分を演じているんだ。それは紛れも無い“私”という生命体だ。

こういう言葉も頂いた。“色んな表情をみせてくれるけどどれも私らしい”

そんな素晴らしき宝物の様な言葉達を胸に込めて。

私は私を貫く、私の感性を貫く。

 “MyWay” だ。

あなたと出逢いたい。私の音楽で、感性で。


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