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パターナリズム(paternalism)

この言葉は,ハンセン病市民学会の交流集会,総括座談の中で,ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団代表の徳田靖之氏と前九州大学大学院教員の内田博文氏からハンセン病問題を考えるうえで重要なキーワードとして提起された概念であった。

この概念について以前より知ってはいたが,それほど気にも留めていなかった。今回,両氏より「熊本県の黒川温泉ホテル宿泊拒否事件」を例に,このpaternalismの問題性が指摘され,さらに光田イズムの問題点との関連も含め,今後のハンセン病問題解決に向けた人々の意識改革を考えるうえで,さらには共生社会の実現にとって重要なキーワードであるとの提起を聞きながら,実に納得できた。

宮坂道夫氏の『ハンセン病 重監房の記録』に,次の一文がある。少し長いが抜粋して引用する。

「強制隔離」「強制労働」「断種」「懲罰」という四つの権力は,それぞれを取り出して考えてみると,患者を弾圧する,人道に反する類のものに見える。なぜそのようなことを思いつき,実行したのだろうか。
ここで,個人が,これを「善行」として-よかれと思って-行っていたと,仮定してみよう。そのようなとらえ方をするための鍵が,医療倫理学のなかにある。…「パターナリズム」という概念である。パターナリズムの「パター(pater)」は「父親」を意味することばであり,まさしく父親と子供のような関係が出来上がっていることをいう。つまり,当事者のあいだに力の不均衡があり,「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観のことである。
(中略)
これに対し,日本における「医は仁術」のニュアンスは,専門知識を有し,社会的地位の高い医師が,患者にかける憐れみの情を含んでいるように思える。特に,「救らい」ということばで語られてきたハンセン病政策については,それに関わる医師。看護師,あるいは宗教家や社会事業家,政治家,学者,文化人,そして皇族までもが,皆「恩恵」を患者に与えようとしている。これは当の本人が自覚しているにせよそうでないにせよ,「目上の者から目下の者へ」というパターナリズム本来の意味に近い構図のもとで成り立つ倫理観である。
(中略)
光田健輔は「救らいの父」と呼ばれた。…しかし,「救らいの父」といわれるとき,そこには弱い立場に置かれたハンセン病患者たちを子供に見立て,それを「庇護」する父親のような光田のイメージがある。
(中略)
パターナリズムということばの通り,光田は自分を「家長」に,患者を「子供」になぞらえている。家族のような慈愛に満ちた世界を構築したいというのが彼の理想であった。しかし,光田は,親が子供を罰することができるように,家長たる自分も患者を罰する権限を持つ,と述べている。

光田健輔に関しては,彼の理想と現実,功罪については検証したいと考えているが,パターナリズムから彼の言動を考えるとき,強制隔離・断種・中絶など彼が推進したハンセン病対策が理解しやすい。「懲戒検束」の必要性や草津の重監房の設置も彼の思考の延長にあったことは容易に理解できる。

だが,彼の「光田イズム」が各療養所の職員にどれほど正しく伝わっていただろうかと思う。
「草津に行くか」「頭を冷やしてくるか」の言葉を安易に発することができた彼らの意識を考えるとき,各療養所の園長や職員のハンセン病患者に向けられた理解と「まなざし」はどのようなものであっただろうか。「光田イズム」の負の部分が誇大に伝わっていったように思える。
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『ハンセン病とともに心の壁を越える』(熊本日日新聞社編)に,「黒川温泉ホテル宿泊拒否事件」について次のような一文が載っている。これもやや長い引用になるが,今後の差別問題を考えていくために重要な示唆であるので,抜粋して書き残しておく。

事件発覚から二日後。ホテルの総支配人が菊池恵楓園を訪れた。入所者が謝罪文の受け取りを拒否すると,園には誹謗,中傷の手紙や電話が殺到した。事件は,宿泊拒否のような確信犯的差別の背後に,広範な差別感情が横たわっている現実を突き付け,差別の「二重構造」を浮かび上がらせた。
…「温泉に入るよりも骨つぼに入れ」「鏡を見たことがあるのか」。この中には,差別感情をむきだしにしたものも少なくない。
しかし,最も悩ましいのは,「苦労は知っている」と前置きした上で,非難に転じるパターンだ。「いままでの長期間の苦労については同情します」「あなた方が過去に受けた差別的処遇は,同情の念を禁じ得ません」。そして,「しかし…」と続く。
「同情」の最大の弱点は,対等な関係を築けていないということだ。同情されるべき人たちが控えめに生きている間はよき理解者だが,彼らが権利を主張して立ち上がったりすると態度を一変させ,「身の程を知れ」と攻撃に転じてしまう。今まで理解を示してきたことなど忘れ,排除の対象としてしか見えなくなる。しかも,自分が差別者だと自覚していないから,なおさら手ごわい。
…「ねたみ」から来る差別も深刻だ。「税金で運営されている施設で生活しているあなたたちは,差別されて当然です」「不満があったら,働いて納税の義務を果たせ」。国立の療養所で生活を保障された入所者たちは,ややもすると「うらやましい」だけの存在に映ってしまう。なぜそこで一生を過ごさなければならなかったかという,歴史的理解が欠如しているためだ。

「光田イズム」の本質であるパターナリズムは,人々の意識の「二重構造」にも潜んでいる。「同情論」の背景にも潜んでいる。そして,時として「教条主義」とも結び付く。これらに共通しているのは,自分の問題ではない(ハンセン病患者ではない,部落出身者ではない)という「他人事の意識」と,自分は彼らの理解者であって差別者ではないという「自己正当(正論)化の認識」である。そして,「対等」「平等」と自分では思っていることである。

価値(判断)基準(尺度)は,彼らではなく「自分」なのだという意識がない。「同情する」ではなく「同情してやっている」に立っている。パターナリズムは,容易に自己正当化を肯定する。

加えて,宿泊拒否事件に絡む誹謗,中傷は「第二,第三の差別の存在をクローズアップさせた」と国賠訴訟弁護団の徳田弁護士は指摘する。
「被害者が控えめにしている限りは同情的だが,不当性を訴えて立ち上がった途端,手のひらを返したように非難に転じる人がいる」。謝罪文の受け取りを断った後に顕著になった入所者への非難,中傷がこのタイプだという。
「国の隔離政策にこそ問題があって,ホテルを責めても問題解決にならない」と,高見から忠告する人たちもいた。二つに共通するのは,自らを差別者として意識していない点だ。
宿泊拒否したホテル幹部と,それを支持する層。その背後に広範に存在する第二,第三の層。これを「差別の二重構造」と徳田弁護士は分析する。

「被害者が控えめにしている限りは同情的だが,不当性を訴えて立ち上がった途端,手のひらを返したように非難に転じる」のは,光田健輔と同じパターナリズムである。自分の言うとおりに従順であれば「恩恵」を受けることができる。だが反発する者に対しては「懲罰」が命じられる。
これらの差別をどう克服していくのか。
もちろん,ハンセン病問題を正しく知ることから始まるのは言うまでもない。だが,偏見は誤解とは違う。いくら正しい知識を得たとしても,差別がそれですべてなくなるとは限らない。要は,当事者たちが味わった痛みや苦しみをどこまでわが身に置き換えられるかだ。
日本では,隔離政策が長く続いたため,療養所に暮らす入所者だけでなく,ハンセン病問題そのものが忘れられてきた。ハンセン病問題が語られるようになったのは,らい予防法が廃止された以降。今まで意識の外にあった人たちだけに,社会の目には「特別な人たち」「異質な存在」と映った。
しかも,当事者が語る隔離被害はどれも苛烈を極め,にわかに信じ難い話ばかりだ。日本の隔離政策を理解する上でも個人史を知ることは不可欠だが,その部分だけにスポットが当たりすぎると,いつまでたっても,入所者は「かわいそうな存在」から抜け出すことができない。
もちろん,つらい過去への理解は必要だ。だが,「同じ人間なんだ」ということを忘れてはならない。…彼らの人生にリアリティーを感じてこそ,「特別な人」「かわいそう」という同情の克服にもつながっていく。そのためにも,今までのような一方通行的な啓発ではなく,感情を共有できる心の交流が必要だ。

ハンセン病問題だけでなく部落問題,人権問題すべてに共通する解決・克服への提言と思う。
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あらためて「知識」だけでは差別問題の解決には不十分であると痛感する。正しい知識を教えれば,新しい知識が伝われば…幾度となく聞いてきたことだが,部落史の見直しにより「知識」も改められたり新しくなったりしてきたが,未だに部落問題の解決に光明は差していない。

「頭ではわかっているのだが…」「知識では理解できるのだが…」と,どれほど聞いてきたことだろう。人間は「知識」だけで自分の生き方や在り方を変えることができるほど単純ではない。最もやっかいなのが「感情」である。感覚・感性・感受性である。

…「人々のあいだに差別感情がある限り,旅館経営者として宿泊を断るのもやむを得ない」というホテル側のいい分の背後には,私たち国民の「感覚」の世界が広がっていた。そこには「見た目が気持ち悪いのだから,差別意識を抱くのも仕方がない」とか「楽しい旅行の最中に,ホテルであんな人たちが一緒の風呂にいたらイヤだ」という感覚を抱く人たちがいた。
もちろん,国や自治体,あるいは医療,教育,報道などに関わる人たちが,この病気の正しい知識を国民に持たせる教育的施策を怠ってきた,という無策の責任もあるだろう。しかし,私たち人間の心のなかに,差別や無知の根本的な原因があるのは間違いのないことだった。
(宮坂道夫『ハンセン病 重監房の記録』)

差別や偏見を払拭するために正しい「知識」が必要ことは当然である。しかし,それだけで人権問題が「解決」しないことも,差別や偏見が「解消」しないことも事実である。
「知識」を万能と思い込むのは,「象牙の塔」の住人か「たこ壺」のような世界から首だけ出して世の中を見ている人間たちだろう。狭い交流範囲でしか日常生活を過ごすことのない彼らの理想論など机上の空論である。

「知識」と「感情」のギャップを克服するためには,自らの生き方やあり方を多くの人々との交流の中で問い直すしかない。

重監房を一つの極とする日本のハンセン病政策は,世界のハンセン病の歴史の上でも,また医学の歴史の上でも,これまでに十分に記述されていない新しい歴史的事実を提示する。それは,社会的差別が根強い病気の対策として,病気ではなく患者を消し去る政策が,一つの近代国家のなかで実現したことであり,その手段として,医療にたずさわる人間が患者に懲罰を与え,死なせたという歴史的事実である。
これは,世界の人々にとって,貴重な学習の機会となるはずのものだ。
差別や人権侵害は現実の日常生活の中で行われている。人との関わり・交わりの中で差別や偏見が生まれる。その「歴史的事実」を学び,自分の生き方・あり方,自らの内にある差別意識を克服していく以外に,この「感情」を変革することはできない。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。