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史資料の解釈

ハンセン病問題に関する2つの史資料を紹介する。
1つは「癩予防ニ関スル件」である。最初の「ハンセン病」に関する法律である。この法律がやがて「癩予防法」へとつながる。
時代と内閣総理大臣名・内務大臣名を見てもらいたい。あまり触れられていなかったが,今までに発せられた悪名高い法律を誰が審議し,誰の名で出されたかを検証すべきと私は考えている。「法律」の内容ばかりが問題視されるが,審議も採決もされたのであるから国会議員の責任は重い。原敬にしても「平民宰相」「日本初の政党内閣」と歴史に名を残してはいるが,「癩予防ニ関スル件」に名を連ねている事実は消えない。いくら時代という制約があったにしても。

癩予防ニ関スル件
帝國議會ノ協賛ヲ經タル癩豫防ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム 御 名 御 璽
      明治四十年三月十八日
内閣総理大臣侯爵 西園寺公望
内務大臣     原   敬
法律第十一號(官報 三月十九日)
第一條 醫師癩患者ヲ診斷シタルトキハ患者及家人ニ消毒其ノ他豫防方法ヲ指示シ且三日以内ニ行政官廳ニ屈出ヘシ其ノ轉歸ノ場合及死體ヲ検案シタルトキ亦同シ
第二條 癩患者アル家又ハ癩病毒ニ汚染シタル家ニ於テハ醫師又當該吏員ノ指示ニ從ヒ消毒其ノ他豫防方法ヲ行フヘシ
第三條 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官廳ニ於テ命令ノ定ムル所ニ從ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ但シ適當ト認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ
必要ノ場合ニ於テハ行政官廳ハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ前項患者ノ同伴者又ハ同居者ニ封シテモ一時相當ノ救護ヲ爲スヘシ
前二項ノ場合ニ於テ行政官聴ハ必要ト認ムルトキハ市町村長(市制町村制ヲ施行セザル地ニ在リテハ市町村長ニ準スヘキ者)ヲシテ癩患者及其ノ同伴者又同居者ヲ一時救護セシムルコトヲ得
第四條 主務大臣ハ二以上ノ道府縣ヲ指定シ其ノ道府懸内ニ於ケル前條ノ患者ヲ収容スル爲必要ナル療養所ノ設置ヲ命ス.ルコトヲ得
前項療養所ノ設置及管理ニ關シ必要ナル事項ハ主務大巨之ヲ定ム
主務大臣ハ私立ノ療養所ヲ以テ第一項ノ療養所ニ代用セシムルコトヲ得
第五條 救護ニ要スル費用ハ被救護者ノ負擔トシ被救護者ヨリ辮償ヲ得サルトキハ其ノ扶養義務者ノ負擔トス
第三條ノ場合ニ於テ之カ爲要スル費用ノ支辮方法及其ノ追徴方法ハ勅令ヲ以テ之テ定ム
第六條 扶養義務者ニ對スル患者引取ノ命令及費用辮償ノ請求ハ扶養義務者中ノ何人ニ對シテモ之ヲ爲スコトヲ得但シ費用ノ辮償ヲ爲シタル者ハ民法第九百五十五條及第九百五十六條二依リ扶養ノ義務ヲ履行スヘキ者ニ對シ求償ヲ爲スコトヲ妨ケス
第七條 左ノ諸費ハ北海道地方費叉ハ府縣ノ負擔トス但シ沖縄縣及東京府下伊豆七島小笠原島ニ於テハ國庫ノ負擔トス
一 被救護者又ハ其ノ扶養義務者ヨリ辮償ヲ得サル救護費
二 檢診ニスル關スル諸費
三 其ノ他道府縣ニ於テ癩豫防上施設スル事項ニ關スル諸費
第四條第一項ノ場合ニ於テ其ノ費用ノ分擔方法ハ關係地方長官ノ協議ニ依リ之ヲ定ム若シ協議調ハサルトキハ主務大臣ノ定ムル所ニ依ル
第四條第三項ノ場合ニ於テ關係道府縣ハ私立ノ療養所ニ對シ必要ナル補助ヲ爲スヘシ此ノ場合ニ於テ其ノ費用ノ分擔方法ハ前項ノ規定ニ依ル
第八條 國庫ハ前條道府縣ノ支出ニ對シ勅命ノ定ムル所ニ從ヒ六分ノ一乃至二分ノ一ヲ補助スルモノトス
第九條 行政官廳ニ於テ必要ト認ムルトキハ其ノ指定シタル醫師ノ檢診ヲシテ癩又ハ其ノ疑アル患者ノ檢診ヲ行ハシムルコトヲ得
癩ト診断セラレタル者又ハ其ノ扶養義務者ハ行政官廳ノ指定シタル醫師ノ檢診ヲ求ムルコトヲ得
行政官廳ノ指定シタル醫師ノ診斷ニ不服アル患者又ハ其ノ扶養義務者ハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ更ニ檢診ヲ求ムルコトヲ得
第十條 醫師第一條ノ届出テ爲サス又ハ虚僞ノ届出ヲ爲シタル者ハ五十圓以下ノ罰金ニ處ス
第十一條 第二條ニ違反シタル者ハ二十圓以下ノ罰金ニ處ス
第十二條 行旅死亡人ノ取扱ヲ受クル者ヲ除クノ外行政官廳ニ於テ救護中死亡シタル癩患者ノ死體又ハ遺留物件ノ取扱ニ關スル規定ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
  附則
本法施行ノ期日ハ勅命ヲ以テ之ヲ定ム

「癩予防ニ関スル件」(明治四十年三月十八日法律第十一号).pdf

もう1つは,ハンセン病患者が療養所に入所するに際して書かされた「解剖承諾書」である。

解剖願
御収容後難有御治療相受居候処 万一死亡の際は医術研究の一助とも相成申可くに付き解剖相成度生前此段奉願候也

かつて全国にあるハンセン病療養所は「解剖天国」とまで言われてきた。光田健輔を慕って多くの若い医師が長島を訪れたのも「解剖」ができるからであったとも言われている。事実,神谷美恵子が光田健輔を長島に訪ね,滞在していた日々を書き記した文章にも,解剖の様子が多く書かれている。
研究熱心を賛美・尊敬して書かれている。しかし,それは医者の目線でしかない。患者はモルモットと同じである。ここにも,目的のために手段を正当化する独善性が隠蔽されていた。

「ろくな研究設備もないのに,何のために解剖が行われたのか分かりません」という入所者の証言は重い。
「解剖」は光田健輔の姿勢と考えを反映したものである。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。