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「渋染一揆」再考(8):他藩の渋染強制

「渋染一揆」の77年前,1778年(安永7)に岡藩(大分県)で被差別民に対して出された触書(法令)がある。
この年は,幕府が被差別民に対して「風俗取締令」を初めて出した年でもある。岡藩では,この取締令を藩内の被差別民に示した上で,次のような法令を課したのである。

穢多共掛襟申渡之事
  申渡     穢多共
  安永七戌年
一 右の者共,御城下廻且市廻,其外在町市場押えなど都而諸御用に罷出候節は,着物に黄色の襟を掛け申すべく候,是迄着類の差別これなく,紛わしきにつき,自今右の通り申付け候間,此段穢多共え堅く申付け,銘々堅く相守り心得違い致さざる様其方共より申渡すべき旨申渡様,郡奉行中申渡され候也
  八月   代官役
岡藩(「申渡」安永七年[1778年]8月)
申渡
此度穢多非人身分之儀ニ付,別紙之通公儀より被仰出候間,其旨申渡堅被相守可申候,万一心得違不埒於有之,急度被仰付候間,堅申渡被相守候様被取計候,
一 穢多共着類法外之儀有之候相聞,向後浅黄染・渋染に限可申候尤穢多共御用ニ出候節々掛致候様,着類夏冬共都て掛襟致,常々着可致候,万一心得違百姓町人ニ紛,不法之節於有之,急度可申付候
一 目明共之儀着類染色右同断,尤掛襟不及,是又百姓町人ニ紛れ不法之節於有之,急度可申付候
戌十一月廿九日   郡奉行
岡藩(「申渡」安永七年[1778年]11月)
えたたちへの掛け襟申し渡しの事
 申し渡し     えたたちへ
一 右の者たちは城下下・市の見回り,その他,在・町・市場の警備などすべて役目で出かけるときは,着物に黄色の襟を掛けるように。今まで着物の差別はなかったが紛らわしいので,今からは右の通り申し付ける。このことをえたたちへ厳しく申し付け,銘々が厳守し,心得違いの無いよう,おまえたちから申し渡すよう申し付ける。以上のことを郡奉行に申し付けた。
 八月   代官役
一 えたたちの着物に違反の疑いがあるように聞いている。今後は浅黄染・渋染に限ること。もっとも,えたたちが,役目のために出掛けるときは掛け襟をするように。着物には夏冬ともにすべて掛け襟をして常に着用するように。万一心得違いをし,百姓町人に紛れ,不法の筋があったならば,(罪を)きっと申し付ける。
一 目明かしについても,着物はえたと同様とする。もっとも掛け襟はしなくてもよい。また百姓町人に紛れ,不法の筋があったならば,きっと(罪を)申し付ける。
戊十一月廿九日   郡奉行

岡藩では,同年に農民に対して37か条の「御掟書」を定めている。この御掟書の特徴は,農民の分限や村役人の職分についての規定が多いことである。37か条のうちそれぞれ8か条が定められている。
農民の分限,すなわち農民の義務である年貢納入の遂行を明確にし,さらに農民の風紀が乱れていたことから村役人の職分をあらためて明記したのだと考えられる。
つまり,それぞれの身分に応じた「分限」を明確にすることで身分制度の立て直しを図ることが目的であったことがわかる。

同様の趣旨で,被差別民にも「身分を明確にする」目的で,上記の法令が出されたのである。すなわち,着衣の規制は,見た目で「身分」がわかることが目的であり,逆にいえば百姓や町人と被差別民のちがいがわからない(紛らわしい)状況があったから,このような法令が出されたのである。

幕府の「風俗取締令」では,被差別民が「百姓町人に紛れ」ることは「心得違い」のことだとしている。幕府の命令を受けて出された岡藩の11月の法令でも同様のことが書かれている。

「渋染一揆」の原因となった「別段御触書」と比較してみると,関係があるのは次の3か条である。

25条(別段1条)
穢多衣類無紋渋染藍染ニ限り候義勿論之事ニ候,乍然急ニ仕替候てハ却て費ヲ生シ迷惑可致哉ニ付,是迄持かかり麁末之もめん衣類其儘当分着用先不苦,持かゝりニても定紋付之分ハ着用無用,素藍染渋染之外ハ新調候義は決て不相成事
(穢多の着物は,無地の渋染藍染に限ることはもちろんのことである。しかしながら急に仕替えるのでは,かえって費用もかかり,迷惑するかもしれないので,これまで所持している粗末な木綿の着物は,そのまま当分着用してもよろしい。所持しているものでも,定紋付のものは着てはいけない。もとより,藍染渋染の外は,新調することは決してならない。)
26条(別段2条)
目明共義ハ平日之風体御百姓とハ相別居申事ゆへ衣類之儀ハ先迄之通差心得可申,尤絹類相用候義ハ一切不相成事
(目明かしたちのことは,日ごろの身なりが百姓とは違っているので,着物の件は先ずこれまでのとおりであると心得よ。もっとも絹類を用いることは,一切いけない。)
29条(別段5条)
番役等相勤候もの共,他所向役先之義ハ先是迄之通差心得可申,勿論絹類一切弥以無用之事
(番役などを勤めている者たちは,他所に行くときや,役目の先に行くときは,先ずこれまでのとおりと心得よ。もちろん絹類は,一切着ることはいよいよもって無用である。)

両藩に共通するのは「渋染」の強制であるが,私は「限る」に着目したい。特別の色や特別の着物の着用を強制したのではなく,特定の着物のみを着用することを命じたのである。
さらに岡藩では「黄色の襟」を付けることで,一目で身分がより明確になるように命じている。

「目明かし」に関しては,岡藩では「掛け襟」を付けなくてもよいとし,岡山藩では「渋染・藍染」の着物でなくてもよいとしている。このことは,「目明かし」の着装が百姓や町人とは異なっており,身分のちがいが明確に判別できたからであろう。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。