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「柿渋染め」覚書ノート

中国では,4~5世紀頃から存在したと推測されている。
韓国では,1382年『済州島略史』によれば,明の太祖に征服された雲南の梁王が済州島に移送された時に柿渋染が伝えられた。韓国では柿渋衣=カツオッと呼ばれ,夏期の衣服として広く利用されている。

平安時代
身分の低い侍の衣服や山伏が利用し,『柿衣』があったと考えられている。鎌倉時代
『平家物語』には『柿の衣』があり,『源平盛衰記』には『カキノキモノ』がある。
江戸時代
『日葡辞書』には「Xibu(渋)」「Xibuzome(渋染)」が記されている。
『擁州府志』では,柿渋について詳細に記されている。
『萬寶鄙事記』(貝原益軒)『渋染の法』が記されている。柿渋染を職業とした 「柿渋屋」が存在していた。

柿渋染は千年以上も前から染められていた。 生地を強くし,水をはじく特徴から昔より多くの日常生活の道具や民間薬として利用されてきた。
山伏の法衣には,白・黒の他に柿渋で染められた柿衣があり,柿衣は宗教的に山中の瘴気をさける力があるとされていた。

柿渋染は,本来,山伏のように自分達と異なる世界に生きる人々の着る衣の色であった。しかし,中世で百姓一揆の時には柿衣が定着したり,武士では柿色を禁止し,差別の色とした時代もあった。

滋賀県の草木染めの文献には,柿渋で染めた赤や赤茶色の『醸造染め』がある。甲賀地方では,『クレ(暮れ)染め』があり,野良着は,柿渋で下地染めしたものをクレ(鉄分を有する水)に浸けることで色がはげにくく, 強靭なものとなると伝えられている。

京都では,昔は禅宗の僧侶の麻製の黒衣は柿渋で染められていた。
長野県では『渋よっこぎ』と呼ばれる山袴があった。木綿の白生地を柿渋で何度も染め,水はけがよく,濡れても水の切れがよく,激しく山野を駆け巡り渓流で魚を追う生活に好適であったと伝えられている。

柿渋染は,防水効果・防腐効果・耐久力強化・アルコールへの耐性・除タンパクといった特性をもっているので,古くから,自給自足的な庶民生活の中で,布・木・竹・紙・型紙・漁網・釣り糸・ロープ・家具・建築材・舟・桶・雨具・格子・ うちわ・酒袋・漆器の下地に使われてきた。民間薬として,やけど,しもやけ,血圧降下剤, 二日酔い予防や毒蛇,蜂,ムカデ等のタンパク毒の中和剤として利用されてもきた。

文献資料やネット検索から拾い集めている一部だが,「柿渋染」の衣類や「柿渋染の色」を<差別の象徴(徴)>と一概に断定することはできないと思う。このことは「渋染一揆」の史実に出会って以来,ずっと疑問に感じてきたことで,私は「柿渋染」や「色」による<差別>を意図したものではないと考えている。

<差別>の定義にも関わるが,当時の穢多身分の人々が反対した理由は「平人との分け隔て」である。

『御触書』の中で「藍染渋染」の衣類について殊更に説明がないということは,庶民の衣類として存在していたからかもしれない。囚人だけに限定された衣類とも「色」とも解釈できないように思う。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。