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「渋染一揆」再考(9):動機

『岡山地方史研究』(117号)に,ひろたまさき氏の『差別からみる日本の歴史』に関する井久保伊登子さんの書評が掲載されていた。その中に,渋染一揆について述べた次の一文がある。

著者(ひろたまさき 引用者)は,一揆の動機が部落民の平等思想の覚醒にあったとする従来の学説に反論して,彼らはキヨメ役としての存在を否定されたために立ち上がった,と主張する。その理由として嘆願書の,一命が危うい仕事も出仕し忠勤を尽くして任に当たっている自分たちの穢多役割を強調している一文を引用する。
しかし,筆者(井久保伊登子 引用者)は,この一文から,これほど忠誠を尽くしているのに,この上に巷での差別をさらに強化するようなことをしないでほしい,という異議申立てが読みとられる,と思う。差別に苦しめられた者としては,差別の象徴であるキヨメ役を返上したい,というのが自然な真情ではないだろうか。
この一揆に参加した人々に,道筋の百姓が部落民への同火共食の禁を犯してまで水をふるまうという連帯の芽生えがあった。商品経済の発達による金銭を媒体としての対等化や視野の拡大,民衆の旅行ブーム,また後期の印刷物や芝居などの大衆文化が人々の自由な交流を助けた。そして次第に平等観念が普及した。津山藩の百姓一揆には部落民が参加したという。

井久保氏がこのように感じたのは,次のようなひろた氏への批判が根底にあったからだと思う。

本書を何度か読み通したが,当初期待した現実的な差別の輪郭が掴めず,そのために差別への著者の憤りや痛みが伝わってこない。「あとがき」に,<差別はきわめて多様な形態で発露するものですから,それは部落史とか女性史などと被差別集団ごとに追究することも重要ですが,差別者の側に視点を定めれば,多様な差別も相互に関連し一つの問題に収斂するのではないか>という問題意識でこの本が書かれたとあった。<差別者の側に視点を定め>て,多様な差別の相互関係をとらえて<一つの問題に収斂>させる,ということは,高いところから差別全体を俯瞰して,差別の問題を整理して概説する,ということになるのではないか。それでは,差別されている人の姿は見えず,痛みは伝わってこない,と思われる。
やはり,<被差別集団>の一つを選び,その中の一人一人の言葉に耳を傾け,その苦しみの原因を歴史的に掘り下げていくことで,差別の全体史に突き当たるのではないか,と思う。

実は,私はこのひろたまさき氏の著書を出版された直後に購入しながら斜め読み程度にしか読んでいない。井久保氏の書評を先に読んでしまったのである。
ここではまず結論的な私見を述べておく。両者ともに賛同もする部分もあるが論旨に満足もしていない。

ひろた氏の主張については著書を読んで後日意見を述べるつもりだが,「キヨメ役の存在を否定された」と穢多身分の者が感じる理由が「無紋渋染藍染」の着衣を強要されたことであるとする根拠は如何なるものなのだろうかという疑問を持つ。ひろた氏が言う「キヨメ役としての存在を否定された」と穢多身分が受けとめた記述は関連史料から読み取ることはできない。ひろた氏が「理由」としている嘆願書の一文では「キヨメ役」は番役や警吏役であるが,それも他の嘆願理由の一つとして書かれているにすぎない。

また,井久保氏が言うように「キヨメ役」は「差別の象徴」なのか。これについても周囲(差別者の側の視点)と穢多身分(被差別者の側の視点)で認識はちがうのか同じなのかという議論がなされていない。

「無紋渋染藍染」が「キヨメ役」をさらに強調することになるのであれば,井久保氏の論理もうなずけるが,はたしてそうであろうか。「渋染一揆」の原典史料には,井久保氏のいう「キヨメ役を返上したい」という穢多身分の「真情」は読み取れない。むしろこの一文からは,ひろた氏の言うように「忠勤を尽くして任に当たっている」という自負心や誇りを感じる。

前提としての認識が,ひろた氏と井久保氏では異なっているように私には思えるし,渋染一揆の動機を単純化しすぎているようにも思える。さらに付け加えるならば,「津山藩の百姓一揆には部落民が参加した」のは,渋染一揆の随分前であり,社会状況や理由も異なっている。同列に論じるべきではない。なぜなら,同じ津山(美作)において「解放令反対一揆」が起きているからである。

渋染一揆の動機を解明するには,「無紋渋染藍染」の意味,穢多身分の者はこれをどのように認識し,この御触書をどのように受けとめたかが重要である。

ひろたまさき氏は『差別からみる日本の歴史』で「渋染一揆」の動機を次のように述べている。

…… 私は,部落民が禁令撤回に立ち上がった理由は,部落民のアイデンティティを否定するものであったからであると考えています。
…… 部落民の嘆願書では,自分たちは百姓と同じように年貢を上納しているのに差別するのは迷惑だと言いますが,自分たちは百姓だとは言っていないのです。むしろ,「身分広き御百姓とは間違い,狭き穢多の類村ゆえ」と自称しているのです。そして他方で,「兼ねて役人村と御唱なされ候」「一命相拘わるべくも厭わず候て,御用出情致し,御忠勤を尽くし奉るところ」と「穢多」役を担っていることを誇示しています。そういう盗賊取り締まりの任にあるわれわれが目立つ渋染の着物を着ていては,御用を果たせないではないかと言うのです。へりくだった表現を使いながらも,嘆願書は,自分たちは百姓と同格であり,なおかつ「穢多」役という役割を果たしている立派な領民であり,差別を受けるいわれはないと,堂々と主張しています。嘆願書は部落民が社会的に不可欠な独自の存在であるという自負を示しているのです。
…… 他の多くの部落民の脱賤の方向も,農業生産を高めて百姓になろうという方向や,部落からの逃亡という方向も,「穢多」に対する差別そのものを否定するものではないのです。
しかし,渋染一揆の嘆願書は,そうしたこれまでの方向ではなくて,まさに「穢多」役の重要性を自覚し,そこに自分たちの任務があることを差別反対の論拠としている点で,画期的だといわねばならないのではないでしょうか。「キヨメ」役そのものを評価しているというよりも,藩主に命じられた任務という点を強調していることは問題として残りますけども。

「穢多」役の妨げになるとの主張を根拠に「部落民のアイデンティティを否定」されたことで渋染一揆を起こしたとの考えに,私は賛同できない。
『御倹約御触書』の第26条(別段2条)「目明共義ハ平日之風体御百姓とハ相別居申事ゆヘ衣類之儀ハ先迄通達心得可申」や第29条(別段5条)「番役等相勤候もの共,他所向役先之義ハ先是迄之通差心得可申」にあるように,警吏や刑吏などの「穢多」役を勤めるときは従前通りでよいと認めている。このことから,「穢多」役を勤めるときの衣服は「無紋渋染藍染」でなくてもよいと考えられる。「無紋渋染藍染」は通常の衣服として命じられたのであるから,常日頃に着用することに対する抵抗と考えるべきである。

次に,『嘆願書』にある「穢多」役に触れている箇所を抜き出してみる。

殊ニ,非常ニ御備ニも相成居申者候得ば,右躰之衣類被為仰付候ては,老若男女に至迄精気落,農業守も打捨可申程之義,心外歎鋪奉存候
御国中穢多共之内,御城下近在五ケ村穢多共,番役等仕居申者有之。猶又,御牢屋鋪并ニ川下死罪之者有之候節,其手御用相勤居申者も数多御座候ハ,五ケ村穢多共ハ素より,其外類村同様,兼て御用替之穢多共役人ト,年々ヘ,御米四俵宛奉頂戴居申義,諏訪御用之節,奉御忠勤尽身分ニて,乍恐御座候故,御百姓一同ニ,御承知可有候得ば,兼て役人村と御唱被成候故,盗賊又ハ強盗・荒破者等参居申時,其村引請番役人ハ不及申上,其外無役之者迄,即座一命可相拘も不厭候て,御用出精致,奉尽御忠勤所,右躰之衣類着用仕候てハ,御城下或は在々浦々致迄,盗賊又ハ胡乱ケ間鋪者,遠見より道ヲ替,逃隠行逢ひ不申,色々徘徊,左候得ば,人相見立ハ猶以難出来。然上ハ,召捕候義相成り不申。其時,御用懈怠ト罷成候様,乍恐奉存候。

備前では「穢多」役として番役を命じられている城下五ケ村が役人村として「御用」を勤めていた。また,その中には牢番や刑吏役を勤めている者もいた。また,城下五か村以外にも類村として同様の「御用」を勤める村もあった。その報奨として百姓より米四俵を受け取っていた。

この文面から,彼らが「役人」としての自負心をもち忠勤に勤めていることは推察できるが,「無紋渋染藍染」が藩から命じられた役務の妨げになるとは考えられない。なぜなら,上記の『御倹約御触書』の条文にあるように,役務の際は従前通りでよいと認めているからだ。それに対して,彼らは番役などの「御用」を勤めていない常日頃からも「御用」に「忠勤」していることを理由に,「無紋渋染藍染」の衣類を着用すれば,見分けられてしまい「御用」を果たすことができにくいと言っているように思える。ここに藩側と穢多側の見解の相違がある。

予防や追い払いが目的であれば,現在の警官のように特別なそれとわかる着衣の方が効果的だと思う。犯人逮捕が目的であれば,現在の私服警官のような見分けのつきにくい着衣の方がよいだろう。原文には「召捕」とあるから後者とも考えられるが,藩が役務として命じているのは「番役」などである。

ところで,『嘆願書』からも,彼らは常に「盗賊又ハ強盗・荒破者」を探索・捕縛することを仕事(生業)として常日頃の生活をしているのではないことは明らかである。警吏・刑吏役,番役は「御用」(役務)であって,彼らの生業は農業であり,武士のような役務を勤めながら日々の生活をしているのではない。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。