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美作騒擾への思い

季刊『現代の理論』に連載されている「シリーズ『抗う人』(西村秀樹)」に,⑩「被差別部落民18人殺害,美作騒擾140年の沈黙に抗う ~ 頭士倫典 ~」が掲載されている。

頭士さんとは30数年前に転勤先で出会い,以後,町内の協議会や研究会などでお世話になった。私が「解放令反対一揆」を自らのライフワークと定めるきっかけとなった人物である。「明六一揆」(美作騒擾)を研究されており,当地の中学校に在籍していた間,お会いする度に,浅学な私にいろいろなことを教えてくれた恩師である。

物腰の柔らかさと丁寧な口調の中にも,強い信念とやり抜く意志の強さを感じさせた。物静かな謙虚な姿は今も思い起こされる。数年前に,お電話でお話しでき,元気な様子に安堵した。

「明六一揆」の教材化を約束しながら,果たせぬままに県南の実家に帰ることになり,転勤してからも気になっていた。諸事情から10数年ほどは部落史から遠ざかっていたことが今更のように悔やまれる。
頭士さんの研究業績は『町史』編纂はもちろんであるが,最大の労作は『岡山部落解放研究書紀要』第2号から10号まで断続的に掲載された「美作津山藩被差別部落関係資料」(1~5)である。1984年~1995年にかけて出版された紀要であるが,それ以前からコツコツと史料を収集され解読・分類・整理の諸作業をされてきたことに頭が下がる思いである。

紀要に収録された被差別部落の史料から,どれほど貴重な示唆をもらったかわからない。岡山県史や津山市史を読みながら不明な部分,関連記述をこの史料から見出したことも数度ではない。
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この記事,頭士さんへのインタビューか,あるいは紹介かと思っていたが,「美作騒擾」に関する西村さんの思い入れを主としたルポルタージュであった。正直,少しがっかりはしたが,短い紙面の記事としては「美作騒擾」がうまくまとめられて紹介されていると思う。

頭士さんの部落との関わりや取り組み,私もメンバーであった町の研究会なども書かれているが,最後が残念である。頭士さんの思いは文章にはできないだろう。傍らで数年間見てきた私も,頭士さんの思いの深さ,両方の立場の方々が今も暮らす微妙さ,当地の独特の風土的特殊性や歴史背景などを思うと,言葉に出せない。それが凄惨な過去を胸の奥にしまいながら歳月を過ごしてきた歴史の重みである。(また,いつの日にか,私が見聞した事実を語ることができるだろうと思っている)

「美作騒擾」は,部落問題と部落史の濃密な接点を今も色濃く残している稀有な史実である。

私は,この史実の明証こそが,部落問題の核心であり,今も大きな社会問題であり人間存在の本質的課題である「部落差別問題」解明への重要な指針になると考えている。
なぜ被差別部落を襲ったのか,なぜ被差別部落民を惨殺するまでの思い(憎悪)があったのか,歴史的背景・時代意識・社会状況・人間(群衆)心理などから考察してみたい。それが,私の部落史研究の出発点であった。

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昨年、この「記事」をblogに掲載したところ、プロバイダー担当者より次のような「削除あるいは修正」の指摘を受けました。

一部の表現内容が不適切な表現に該当する恐れがあると判断し、対応させていただきました。
申し訳ありませんが、具体的な内容は非公開とさせていただいております。
ご理解いただきますようよろしくお願いいたします。
同和地区に関する識別情報の摘示については、法務省の見解に準じた対応をとっております。
「インターネット上の同和地区に関する識別情報の摘示※事案の立件及び処理について(依命通知)」(法務省権調第123号平成30年12月27日:法務省人権擁護局調査救済課長発出)

たぶん、「町名」を記していたことが「識別情報」に抵触したのだと思いますので、この「記事」では「町名」に関する部分は削除しています。

部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。