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存在を問い続けて

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「岡山の部落史」をテーマに、「渋染一揆」や「明六一揆」(解放令反対一揆)を中心に、江戸時代から近代までの論考や史資料を紹介していきたい。
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#解放令

津山の「解放令」

机上に、『津山市史』の第五巻 近世Ⅲがある。先日、偶然入った古書店で、第3巻と合わせて手…

藤田孝志
1年前

岡山の近代部落解放運動史(1)

明治維新がある日突然に起こったのではなく,新しい社会体制を目指した動きが社会の中で進行し…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(8):「詫書」

部落が農民に対して出した「詫書」(詫状)には何が書かれていたのだろうか。 『備前・備中・…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(7):小林久米蔵(3)

久米蔵が捕らえた津川原村の村民の名前を行重村の山口徳蔵に書き留めさせた理由を,上杉聰氏は…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(6):小林久米蔵(2)

失意のうちに帰宅していた久米蔵の胸中はいかなるものだっただろうか。顔役としてのプライドを…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(5):小林久米蔵(1)

津川原村の本村にあたる妙原村の「顔役」小林久米蔵は,明六一揆の「津川原村襲撃」に関わるke…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(4):筆保卯太郎(1)

「明六一揆」の首謀者として処刑された筆保卯太郎,私は彼を首謀者と考えてはいない。彼は,当時の法条県官吏側によって「首謀者」に仕立て上げられたのである。つまり,権力がつくった虚構である。 「明六一揆」において処刑された一揆勢は15名であるが,西々条郡貞永寺村筆保卯太郎と東北条郡宇野村川田喜平次を除いて,すべて津川原惨劇に関わった勝北郡の農民である。筆保は,部落民の殺害にも部落襲撃にも直接には関わっていない。 『現代思想』(vol.27-2)「特集:部落民とは誰か」に所収され

「明六一揆」論(3):宰務正視

『調査と研究』(岡山部落問題研究所)に連載された「美作血税一揆の周辺より」(水内昌康)を…

藤田孝志
2年前
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「明六一揆」論(2):自供書

『備前・備中・美作百姓一揆史料』(第5巻)所収「北条県史」は,明六一揆についての北条県の…

藤田孝志
2年前

「明六一揆」論(1):慰霊碑

「美作騒擾」とも「美作血税一揆」とも呼ばれる岡山県北部で起こった「解放令反対一揆」を考察…

藤田孝志
2年前

「解放令反対一揆」(2):中津井騒動(1)

明治5年(1872)1月14日,備中国阿賀郡中津井村(現真庭市)で,新・古平民の間で騒動…

藤田孝志
2年前

「解放令反対一揆」(1):解放令の布達

1871(明治四)年8月28日に太政官布告として出された「解放令」が津山県庁から管内に布…

藤田孝志
2年前