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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#ハンセン病

光田健輔論(50) 変革か呪縛か(5)

「特別病室(重監房)事件」は、ハンセン病患者による犯罪への新たな対応が求められる契機とな…

藤田孝志
8日前
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光田健輔論(49) 変革か呪縛か(4)

<歴史に、もし・たら・れば…はない>とは至言であるが、差別史などを調べているとつい考え込…

藤田孝志
12日前
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光田健輔論(48) 変革か呪縛か(3)

※ 私は通常「敬称」を付けて記述することを原則としているが、特別な場合を除き、以後は「敬…

藤田孝志
2週間前
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光田健輔論(47) 変革か呪縛か(2)

なぜ「第2世代」の犀川一夫氏らは光田健輔ら「第1世代」が推進した絶対隔離政策を批判するこ…

藤田孝志
3週間前
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光田健輔論(46) 変革か呪縛か(1)

戦前の「光田イズム」は、戦後のハンセン病医療を担った光田らの次世代の医者や厚生省官僚にど…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(45) 不治か完治か(5)

1941(昭和16)年、アメリカで「プロミン」が開発された。当初は結核の治療薬として作ら…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(44) 不治か完治か(4)

大谷藤郎氏は、京都大学医学部で小笠原登氏に師事し、旧厚生省官僚としてハンセン病問題に関わり、「らい予防法」廃止に尽力し、「らい予防法違憲国賠訴訟」の証人として患者勝訴に貢献した人物である。大谷氏については別項にて述べたいと思っている。 大谷氏の時代区分はほぼ適切である。私は、第四期を戦後の「プロミン」導入期からと考え、大谷氏の「第四期」を第五期、「らい予防法廃止」から「国賠訴訟」までを第六期、以降から現在までを第七期と、細かい区分で考えている。なぜなら、戦後の区分はそれぞれ

光田健輔論(43) 不治か完治か(3)

ここ数年、入所者への「解剖承諾書」が問題となっている。入所の条件であったという証言も、意…

藤田孝志
1か月前

光田健輔論(41) 不治か完治か(1)

人はなぜ「病気」を恐れるのか。釈迦も人生の苦痛を「四苦」(生老病死)と教えているように古…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(40) 牢獄か楽園か(4)

「戦争は最大の人権侵害である」とはよく聞く言葉であり、真実である。戦争の悲惨さは数多語ら…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(38) 牢獄か楽園か(2)

戦争の拡大と長期化がハンセン病療養所に隔離された患者の生活をどれほど悲惨な状況に追い込ん…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(36) 善意と悪意(6)

『ハンセン病市民学会年報 2005』に、泉潤氏による『ハンセン病報道は真実を伝え得たか』(末…

藤田孝志
3か月前
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光田健輔論(34) 善意と悪意(4)

だが、キリスト者や真宗大谷派の信徒がハンセン病患者に注ぐ「献身」も「慰安教化」も、純粋な…

藤田孝志
3か月前
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光田健輔論(31) 善意と悪意(1)

善意も悪意も「主観的な心情」である。いくら自分では「善意」での行為であっても、他者にとっては「悪意」としか思えない行為もある。しかし、ハンセン病史に主体的に関わっている人々、特に絶対隔離主義者は自らの言動および共に関わる人間の言動を「善意」としか自覚していない。 光田健輔がそうであり、光田に対する林文雄や三上千代、神谷美恵子らがそうである。彼らは自らが為したことを「善意」、つまり患者を救うため、国家を救うための最善の方法であったと信じて疑わない。救えなかった後悔はあっても、自