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朝食を食べるのは、言い訳がないから。

私はオートミールが好きみたいだ。オートミール自体がおいしいかと言うと、それほどとは思わない。ご飯の方がおいしいと思う。しかし腹のおさまりがなんとなく良い感じがするのだ。毎朝、オートミールとヨーグルトと冷凍フルーツやバナナを混ぜて食べていた。これに関しては、フルーツとヨーグルトがおいしいのだけれど、こうやって私の慣習に入り込んでいった。ずっと食べているが、現在は、基本的に夜に食べている。朝食を食べなくなったからだ。ある時、「食べない」と決めたのだ。目的は2つあった。

第一は、息子を見ているためだ。
息子の朝食は先に起きている私が用意し食べている間も私が一緒に過ごしている。ただ一緒に食べながらでは息子の様子を見られない、ちゃんと向き合えていない感覚がある。そして、こぼすのを出来る限り防ぎたいのも大きい。
第二に、罪悪感なく食べることだ。
一時期とてもお腹が空いていた。体はなんとなく満たされている瞬間はあるのだが、その瞬間を越えると食べたくて仕方なくなる。脳がバグっているのかもしれない。抑え込むのは困難であるし、食べてしまえば食べすぎの罪悪感に襲われる。抑えようとしているから、欲が深くなるのかもしれないと考えた。抑えなくするためにどうするか。朝を抜く、その分、昼も夜も抑えずに食べて良いこととした

しかし、朝食は食べた方が良いというのは常識だ。いくら目的があっても常識に抗うには勇気と覚悟がいる。常識から外れて良いそれなりの言い訳が必要だ。そこでいくつかの言い訳も用意して実行を容易にした。

まず、十代は朝食をほとんど食べずに過ごしたことを思い出す。
特別に信念があるわけでも目的があるわけでもなく、ギリギリまで寝ていたからだ。そのため私の身体は、朝食抜きにもともと慣れている、当時はむしろ元気だった、大丈夫、きっと。
次に、職業だ。私は内勤だ。体力はそれほど使わない(頭も…)。使った分を後から補充するので十分な気がする。体を使う仕事の場合は、使う前に備えておくことも必要かもしれない。
最後に、回数への疑問だ。
息子は一日に5食くらい食べている。一度にたくさん食べられないからだという。食べる量が増えるにしたがって3食になっていくそうだ。3食の理由はわからないが、同じような量を食べているのであれば回数は問題ではないだろう。回数ではなく量が問題のはずだ。

言い訳の真偽はともかく、こうして、朝食を食べなくなった。健康上も感覚的にもなんら問題はないと感じている。長期的な影響についてはわからない。

と、くどくどと書いたが、実のところ最近は少し食べている。なぜなら息子があーんと食べさせようとしてくるのだ。断ろうとするけれど、もう一押しされたら食べるでしょう、普通。今のところこの常識を打ち破るほどの言い訳は私にはなさそうだ。

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