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犬に呪われたはなし

夢を見ていた。
夢の中で俺は、生命を渡り歩いていた。
ヒトから虫へ。虫から魚。魚から鳥と。
空を飛ぶ俺の上に影がさす。
巨大な獣。真っ黒な瞳がこちらを見つめている。
その瞳を見上げて俺はつぶやいた。
いぬちゃん

目が覚めると、草原に寝転ぶ自分を発見した。日差しの暖かさにうたた寝をしていたらしい。
俺は一介の植物学者として、各地の草花を調べ記録している旅の途中なのだ。
近くに池を認め、顔でも洗おうかと覗き込むと、犬の顔が水中にあった。
いぬちゃんが溺れている!?
そう思って慌てて手を差し込むと、犬の像は崩れて消えた。
穏やかになった水面には、再び犬の顔が現れた。
つまり、水の中に犬がいるのではなく
「俺の顔が、いぬちゃんに?」
恐る恐る自分の顔に触れる。
そこには、かつて生活を共にしていた愛犬を彷彿とさせる懐かしい毛の感触があった。
まさか。

転生したらいぬちゃんだった、ってこと?」

「安心しろ。転生はしていない」
思いがけず背後から声をかけられて、俺は跳びあがった。
振り返っても、誰もいない。
「幽霊のしわざか?」
「まあそんなところだ」
声は変わらず自分のすぐ後ろから聞こえてくる。独り言に返答が返ってくるのは少々気恥ずかしい心持ちだ。
「無防備に寝ているお前が取り憑きやすそうだったのでな、少々呪いをかけさせてもらった。わたしの目的を果たすまでは、悪いがお前は一生この姿でいることになる」

一生この姿?
つまり、俺が、ずっと、いぬちゃん?
いぬちゃんと一緒。
自分をさわればいつでもモフモフできる。

「最高じゃねーか!一生呪っててくれ。」
「は?」

おっと、警戒されてこいつに逃げられたら俺のいぬちゃんモフモフライフは終わりを告げてしまう。

じゃなかった。お前の目的とは何か聞かせてもらおうか」

行きたい場所がある、と、そいつはとある土地の名を口にした。
「わたしの生前の主がそこにいるはずなのだ」

共に狩に出て、そのままはぐれてしまった主の元に帰りたいのだという。

「なるほど。聞いたことがない名前だが、俺は職業柄あちこちの土地に出かけていくから、そのうちそこへ行くこともあるだろう」

「よろしく頼む」
勝手に呪いをかけた割には律儀なやつだ。
俺は直感した。こいつの正体は猟犬の亡霊、つまりいぬちゃん!
いぬちゃんと旅ができるなんて最高じゃないか。触れない分は自分をモフモフして欲を満たそう。

こうして、俺とこいつの旅が始まったというわけだ。


あれから幾星霜。
俺はまだ犬の姿でいぬちゃんと旅を続けている。

「いつかご主人に会えるだろうか」
何度も繰り返したこの問答に、俺はいつものように答える。
「会えるといいな」

犬の霊が告げた土地の名前。
実は俺には聞き覚えがあった。
そして、俺はそこへ近づくのを避けている。

「ご主人はわたしを待っていてくれるだろうか」
「きっと待っているよ」

それは100年ほど前に存在した国の名称だった。大きな災いがあった影響で、今そこは廃墟と化している。

「ご主人はなぜ迎えにきてくれなかったのだろう」
「きっと来られない事情があったんだろう」

巨大な兵器に蹂躙され、誰も生き残らなかったと聞き及んでいる。こいつの主人もおそらく生きてはいないだろう。

もしかしてわたしは、捨てられたのだろうか」
「そんなことはない。こんな素晴らしいいぬちゃんを捨てるやつなんていないよ」

荒れ果てたその土地を、主がこの世にいないという事実を、知らせたくはないと思うのは単なる俺のエゴだ。

主人が待っていなくても俺がいるよ、とは言えなかった。
こいつの主人への思いが痛いほどわかっていたから。

俺はおまえの主人の代わりにはなれない。
けれど、それでも、俺の命が続くまで、ずっと一緒にいてやるからな。

おまえのその背を、頭を撫でてやりたいが、その身は朽ちていて叶わない。
代わりに俺は愛しさを込め、自分の頬をそっと撫でた。
かつて共にいた愛犬の顔が浮かび、嬉しそうに綻ぶのを思い出しながら。

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