みんなは態度に出る、自分は言葉に出す。 再


人にはどうしても聞きたくない話ってありますよね。
苦手な話、嫌いな話。そんなところでしょうか。

自分の場合は「流行の話」です。
世の中で大多数が共有している流行のものの話を聞くことが、どうも自分は好きではないらしい。できるのならば聞きたくないほどに。

万人が好きなものの話なら、母数が多いのだから大抵の人との共有で事足りますよね。好き同士のコミュニティで共感することができるのならば、本人たちにとっても一番幸せ。それを望んでいる、それでいいのではと思います。


元々自分は興味がない話でも、その人を見つめるために耳を傾けることをずっとしてきました。今もそうです。

だけど、流行部分については「みんなが知っているから」という自我のない意識があるんだろうと、どうしても聞くに耐えられないのです。事実、耳を傾けてみても表面上の話しか出ないことが多いです。
その人が本当にそれを好きだとしたら、その意識を察知できるくらいの目は持ち合わせています。基本そんな人はほんの一部ですが…



そのため、自分は流行の話に興味がありません。
それだけはどうしてもってだけなのに、その話に対してのみ「興味ない」と言うと「冷たいね」と言われます。

自分は冷たいのでしょうか。


他人は自分の話に興味を持たないのに、自分は他人の話の全てに興味を持って耳を貸さなくてはならないのでしょうか。

みんな「それ興味ない」と言わないだけであって(それ興味ない)という気持ちが態度に出ている人がほとんどです。


自分は言葉に出す、みんなは態度に出る。
言葉に出さないだけであって、みんな態度に出ているのだから同じなのではないの?と素直に思いました。
ただ言うか言わないかの違いなのに…ただそれだけのはずなのに。


興味のなさそうな反応を受けて自分は(こんな興味のない話をして申し訳ない…)と思ってしまいます。なんならスパーンと「興味ない」と言われた方が楽なのでそうしているだけなのですが…
自分が思うことをみんなが思わない例なのでしょうか?

自分はそう言われたことが思ったよりも傷ついてしまったのだと思います。


以上、ただの言い訳、わがままでちっぽけな存在のぼやきでした。




5月4日(火) AM4:10
寝ぼけて投稿を消してしまったので、再投稿です。

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