『ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を観てきた。

『ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』を観てきた。
 以下はその感想である。
 ネタバレだらけのため、旧作・新作どちらも観た方のみ安心してお読みください。
 そうでない方は不安にかられてください。

(※この文章は2022年の映画公開時に書き、2023年3月の地上波放映までフォルダ内にほったらかしにされていたものです)

 ●前


 自分は旧ドラえもん世代である。
 声優陣が一新してからの新ドラえもん映画も一応見たことはあるが、劇場に足を運んだのはクトゥルフネタが豊富という噂に釣られて観に行った『南極カチコチ大冒険』だけである。あれも良い作品であった。

 なので新ドラえもん以降の風潮や定番ネタはよくわかっていない。

 配信サービスで視聴した新ドラ映画も、好きな作品から苦手な作品まで印象は様々だ。
 まあ所詮は個人の感想、テキトーに聞き流してもらいたい。

 その中で、今作は非常に充実した映画体験だったと思う。

 今回の観劇にあたり、事前に旧作の宇宙小戦争を見てから行ったのだが、おかげで新旧の違いや旧へのリスペクトや脚本の換骨奪胎の上手さを逐一認識することができた。
 今作は、旧作を充分にリスペクトし、よりブラシュアップし、そして旧作を知っている人には驚きを与えてくれる映画だったと言いたい。

 ●冒頭

 今作の舞台となるピリカ星。旧作にもあった脱出シーンから始まる。

 旧では、建物と戦闘のみで人物が描かれず、音声だけでやりとりがされた。

 今作ではパピたちが描かれており、その具体的なやりとりが図示された。

 思うに、旧で人物描写がなかったのは、ここで観客にピリカ人たちをまだ見せず、後のパピ登場で「初めて見る宇宙人と遭遇した」のび太たちと同じ体験をしてもらいたかった意図があったのだろう。

 今作でもそうしようと思えばできただろうが、それだとピイナとのやり取りが出来なくなってしまう。あれを音声だけで状況説明するのは無理だろう。
 メタなことを言えば、リメイクなのでパピたちのデザインはとっくに観客側もご存知なので、そこを仕込む必要がなくなったと言えなくもない。

 ところで自分はここで初めて「旧作の冒頭でパピとやりとりしていた相手がゲンブだった」ことを知った(後で確認したら声が同じだった) そこをちゃんと踏襲しているスタッフは見事。
 劇場では、あの旧作の音声だけのシーンでは、こんなパピたちがいたんだなぁ、と感慨深くスクリーンを眺めていた。ようやく見ることができた、という気持ちである。

 脱出時、ピリカの小惑星帯リングがちらっと映る。
 リングだ~うわ~ちゃんと描いてある~(当たり前)とはしゃいでいた。舞台設定をちゃんと視覚に反映してくれるのはやはり見ていて嬉しい。

 ●OP

 かわってスネ夫の映画撮影シーン。

 旧作ではスネ夫、ジャイアン、のび太だけだったが、新作では最初から出木杉くんが参加している。
 そしてドラえもんも登場。お約束の「ドラえも~ん」からOPが・・・

 あれ、今作はスタッフの表記だけでOP映像ないのか。

 スターウォーズなどを思いっきりパロっていた旧作に限らず、ドラえもん映画といえばテーマソングに合わせたOP映像という認識だったので、かなり意外だった。
(でも考えてみれば『南極カチコチ大冒険』でも氷山加工ダイジェストがOP映像のかわりだったのだから、今作だけの話ではない)

 スネ夫のミニチュアセットは旧作と似た雰囲気で、戦闘機の飛来と爆発シーンの映像は旧作のそれとそっくりであり、心にくい。ひみつ道具を使っていながら爆炎撮影は昔ながらの手法なのがクスっとくる。

 ●カットされたくだり

 今作ではしずかちゃんの映画まわりがカットされている。
 元々はここでパピのロケットを見つけるくだりなわけだが、しかしこれは妥当な改変だろう。
 物語へのしずかちゃんの登場、ロボッターの説明、パピの存在を匂わせる演出、というのが旧作でのシーンの役割なわけだが。

・パピはもう登場しているので匂わせる必要があまりない。
・ロボッターは物語上重要なひみつ道具じゃない。
・しずかちゃんは人形の家を持ってくるところから登場しても問題ない。

 ということを考えれば、これをカットしても物語に影響は出ないのだ。

 旧作ではここで日常から非日常へと静かに移り変わっていく場面であり、その静かな演出方法は観客のドキドキを増幅する上で重要と言えなくもない。
 が、今作では冒頭でパピという宇宙人をもう描いているので、そうした演出は不要なのだろう。

(個人的には、のび太くんが怒られるシーンが何度かある場面なので、そこがばっさりカットされてむしろホッとした)

 もう一つ、尺の都合も考えられる。
 今作ではピイナという新キャラが追加されているため、彼女まわりの話を追加するために、旧作のどこかを詰めなければならないだろうと、この時点で予想できた。

 そう、ピイナである。
 このキャラが一体どんな立場と役割を担うのか、気になる点だった。
 元々がけっこう無駄なく完成されていた作品である。そこに新要素を追加して、はたして蛇足にならずに済むだろうか。
 そんな一抹の不安があったことは否めない。が、これは結果として杞憂に終わる。

 ●パピ登場からピアノのレッスンまで

 パピの登場は旧作と少し違って、ロケットの中からとなる。
 これは旧作がかなり回りくどいというか、ロケットの中にいるかと思ったらいなかった、という「登場しそうで中々出てこない謎の宇宙人」を演出していたからだが、そのせいで「たまたま拾ったウサちゃんに乗ってたまたま野比家まで来てのび太の部屋に入って押し入れの中でどら焼きを齧る」という無茶すぎる偶然を踏んでいた・・・ので、今作の改変はかなり妥当である。

 そこからの流れはおおむね旧作を踏襲している。事前に履修していたのもあって、このリメイクシーンはデザインや構図やセリフのリスペクトに感動する。

 ところでのび太のママは直接顔を合わさないが、普通におやつ出したり電話のことを言ったりしているのを見るに、のび太たちが小さくなることには慣れているのかもしれない。

 ●撮影再開

 ピアノのレッスンのため帰るしずかちゃんと入れ替わりにやってくるジャイアンとスネ夫。

 旧作を知る人ならここで「おっ」となっただろう。
 旧作ではこの直前、PCIAによる撮影現場襲撃があり、そこで勘違いしたジャイアンたちが、まさにこのタイミングでのび太の家へ殴り込みに来るのだ。

 今回も襲撃があったのか? と思わせるような演出である。これは旧作を知っている人にとってはビクっとするポイントの一つだろう。

 あとさりげない点だが、旧作では知らぬ間にフェードアウトした出木杉くんのフォローが入っていた。旧だと一緒に襲撃されたのに一人蚊帳の外っていうか物語の外だったからな彼・・・。

 今作の撮影現場襲撃だが、旧作では破壊といってもジオラマ破壊でしかなかったシーンが、今回は状況のせいで本当に大ピンチになってしまっている。
 ピリカの兵器は地球人サイズが相手ではコケ脅し程度にしかならない、という弱点を補う演出だ。
 旧作ではジオラマを勘違いして攻撃するというコミカルさのあるシーンだったが、今作では洒落にならないピンチになっており、PCIAの怖さを補強する場面になっている。

 ●ドラコルル長官

『諏訪さんだ・・・!!』
 と思ってしまった(一応知ってたけど旧作視聴後だったので旧声のイメージが強かった)

 強すぎて原作者が倒し方を思いつかず悩んだという伝説の悪役。
 今作は諏訪さんの落ち着いた演技もあって、小悪党っぽさは抜け落ちている。
 ところでなんすかその横にいる見るからに分かりやすい部下キャラ。

「ドラえもん史上最強の有能」は今作でも褪せておらず、有能ムーヴを気持ちいいほど見せてくれる。
 いいんすか悪役っすよそいつ。魅力上げ過ぎじゃない? まあでもドラコルルだしな・・・仕方ないか。

 ●壁紙ひみつ基地~

 さりげない補足が追加されている。
 しずかちゃんの部屋にひみつ基地を設ける理由は旧だとふわっとしていたが、今作では先の襲撃シーンの改変にともない、より説得力ある理由が生まれている。これは上手い。
『消去法でしずかちゃんの部屋が一番安全』
 これを一言でスっと説明させるのは丁寧かつ巧妙。

 この辺りのシーンでは旧作の矛盾点を解消させる改変や追加描写が見受けられる。

 まず監視ボタル。
 旧作では基地内に潜入成功しているのに、ドラえもんたちの出撃を把握できず行き違いになり、結果パピを取り逃している。
 今作ではその理由(通信途絶)が追加されており、疑問を生じさせない。

 そしてパピの宇宙船。
 これは旧作でも少し気になる点だった。スモールライトで小さくなったドラえもんのポケットに入っていたのに、宇宙船は元の大きさで、その他の道具は小さくなったサイズで出てきていた。
 なぜ宇宙船だけ元通り取り出せたのか。気にはなるが、話の本筋からすれば些細であるし、どうとでもとれる程度の謎。
 その矛盾を今作では、単純明快な改変で綺麗に解消してみせた。
 さらにドラえもんやパピが修理するシーンで伏線を張ったり、ひみつ基地のギミック例に絡めたりと、その場限りの付け焼刃でなく、ちゃんと話の流れの中に組み込んでいる。
 この配慮には、映画スタッフの心配りがしのばれる。

 一方で超音波ガラス粉砕や牛乳風呂など、原作や旧作の名シーンもしっかり描かれており、オールドファンの「そうそう、この演出や描写は良いよね」という心も満たしてくれる。

 ●パピ出奔、そしてまさかの

 今さらだが、宇宙小戦争はスターウォーズのパロディというかオマージュ作品である。
 あるのだが、一見してそれとわからないほどお話として別物になっている。
(本家ネタは「天井裏の宇宙戦争」で全部やって満足したのだろうか)

 そんな中、かろうじて「これはSWネタなのでは?」と思われるのが、やたら喋りまくって辟易されるロコロコ(⇒C3PO)と、そしてフォースらしき能力を使うパピのシーンである。

 旧作では、特に説明もなくパピが催眠術らしき力で猫を操っていた。後にも先にもこの力がなんだったのか、超能力なのか科学力なのか、ピリカ人なら誰でも使えるのかどうか、説明はない。

 今作の該当シーンでは、まさかのゼリーが代打として使われた。
 これは上手い。事前に言及されていたピリカ星の道具であり、かつ「桃太郎印のきびだんご」のような使われ方も、ドラえもんを知っている人間ならすんなり腑に落ちてしまう。
 まあ「こんにゃく」と「きびだんご」の両方の効能を持つという説明は無かったが、かといってそれをどこで入れるかというと難しいので、そこまで求めるのは酷だろう。

 そしてやってくるエンドウ豆もといロコロコ。
 事前に旧作を見ていたので、今作のロコロコに対する感想は「あんま喋らないな」だった。
 いや、これは今作が喋らないというより、旧で演じた三ツ矢雄二氏の、立て板に水のよどみない喋りが圧倒的だったと言うべきか。いやすげぇ喋るよね旧作・・・あれ真似できねぇわ。

 噴水から登場するPCIA戦艦。
 小さいサイズを逆手にとった演出ですよねこれ。藤子先生のセンスが光る。
 パピ視点で見ているから、余計に迫力がある。

 そして・・・えっ!?
 え、ええ!? うそ、ほんとに?
 ま・・・間に合った・・・!? 間に合った・・・!!

 唖然とした。驚いた。
「そんなことをして良いの!?」
 という気持ちがまずあり、しかし
「ああ、これは、ずっと見たかった展開だ」
 徐々にそんな気持ちがあふれてきた。

 旧作を、繰り返し見るたびに、見せつけられてきた敗北。
 それが今まさに、まさかの改変で、もしものIFでしかなかったものが。
 現実に、公式で、お出しされたのである。

 リメイクだと思って油断していた・・・。
「いかにして再現するか」がリメイクの肝だと思っていた。それはあくまで旧にあった矛盾の解消やシナリオの組み換え方の範囲であり、まさか話の大筋を引っくり返すような改変をやってくるとは思わなかった。

「見たかった!! ずっと見たかったさ! でも大丈夫!? これ話が大きく変わらない!?」

 混乱でわけがわからないまま、とんでもないものを見せつけられた衝撃に翻弄されつつ、そんな心配が胸中をよぎる。
 しかし杞憂であった。

 そう、ピイナである。

「な、なるほど、そのためのピイナ、新キャラだったのか・・・」

 この時点でピイナというキャラの存在理由を理解した。
 物語を大きく逸脱するような大活躍を、元の軌道へ修正する舞台装置。
 めちゃくちゃロジカルな理由やんけ・・・。
 こんなアクロバティックな改変と軌道修正よく思いついたな・・・。

 単なる新キャラというだけでなく、物語上必要な要素だったピイナ。
 そういうのに弱いです。
 自分の中でピイナの評価点がぐーんと上がった。

 ●ピリカ星へ

 大統領処刑から戴冠式出席に理由が変わっているPCIA陣営。
 旧作より民意がよく分かっていますね。

 宇宙船でピリカ星に向けて出発する御一行。

 今作はパピとドラえもんたちの交流シーンが増えている。

 ピリカ星の料理を振舞われるドラえもんたち。
 そうそうこれこれ。SFの醍醐味といえばこういう食事シーンですよ。
 見るからに地球のものではない見た目で、でものび太たちが食べているのを見るとなーんか食べたくなっちゃう料理。
 ドラえもん映画には色んな食事シーンがありますけど、どれもこれも良いSF感を出していますよね。世界観の一端を垣間見るというか。
『南極カチコチ大冒険』のボムプリンとか好き。異文化交流ですよねぇ。

 憂鬱なスネ夫。
 旧作ではギャグシーンで流されたスネ夫だが、今作ではその不安とパピを絡めることでより深掘りがされている。

 そう、旧作ではパピとの交流が短かった。
 地球で捕縛されてからクライマックスで再会(処刑寸前)するまで離れている時間が長い。映画自体が長くないのもあって気にならないが、ゲストキャラとしては交流時間がちょっと短い。
 のび太たちとの関係も、相談して頼るよりも自己犠牲を選んでしまう。あくまで地球の友人に迷惑はかけられない、これはピリカ星の問題なのだ、と。

 今作では、これまでのシーンでもちょいちょい加筆されてはいたが、そこから先、対等な友人・等身大の人間としてのパピとのび太たちの交流が加えられている。
 大統領という立場の下にある、悩みや弱さが垣間見える。

 このあたりのシーンを見ていて思ったのが、「もしかして『ブリキの迷宮』は宇宙小戦争のリブートだったのだろうか」ということ。
『ブリキの迷宮』でブリキン島ごとチャモチャ星へ向かう場面。あれをなんだか思い出してしまった。
 パピやロコロコが、サピオやブリキン島のロボットたちに相当するというか。
「故郷の星から逃げてきて、追っ手をのび太達に撃退してもらい、後に故郷へ殴りこむ」という構図が似ているようにも思える。

 ●ラジコン戦車の初勝利

 自由同盟のシャトルが輸送用に改変されている。
 なるほど潜入するなら戦闘機より民間機のほうが向いているだろう。
 ピリカ星はワープ技術まで持っているので、宇宙港や星間連絡線などの航路関係とかありそうだなー。などということに思いを馳せていた。

 わりかしメタなこと言えば、戦闘機vs無人戦闘機よりも、輸送機vs無人戦闘機のほうが、ドラえもんたちが加勢する大義名分というか、展開のスムーズさがありそうだなぁとも。

 ピリカ星、なんか思った以上に海洋が少ないな? と思ってしまった。というか海どこ?
 衛星軌道からだと色の関係か陸海がはっきりわからない。
 観劇後にあらためて確認してみたが、緑(陸)と青(海)の境界が、雲の白も混ざっているのもあって、ちょっと視認しづらかったようだ。

 リングを構成する小惑星帯、リアルな岩塊といった星に混ざって、昔懐かしい穴ぼこだらけの球形の星もあって笑ってしまった。昔のドラえもんでよく見たやつ。

 ●自由同盟基地

 展望室。こういう設備があって、かつ以前に訪れたことがあったというなら、元々は何らかの重要施設だったのだろうか。(大統領がわざわざ来るほどである。資源採掘用か、軍事基地か、惑星開発の研究施設か。なんにせよPCIAが見つけられてないので、昔に放棄された古い施設なのかなぁ、という感じ)

 800対80万。無理ゲー!
「我々が立ち上がれば、人々も立ち上がるかもしれない」
 いやいやいや・・・自分たちが動けば他も動くだろう、というのは革命やクーデターの失敗フラグの最たるものやで・・・。展開的にはそうなれば美味しいけれど、実際にそう都合よくいくかどうか、非常に怖い・・・。

 ああ!? なにしてるんすか大統領!?
 大統領ー!?!?!?!?

 やりやがった! あいつやりやがった!!
 おま、おまえ、ドラえもんたちと一緒に潜入したり無人戦闘機を蹴散らしたりとかするんじゃなかったんか!?
 どうしてそこでアトラクタフィールド収束先生しちゃうかなぁ!?

 えええ・・・という気持ちであった。
 自由同盟のフラグみてーな見通しも相まって不安がマッハ。

 しかしまさかそれが周到な伏線だったとは、この時まったく想定していなかった。

 ●ピリカ潜入

 このあたりは旧でも名シーンの連続。今作もしっかり描写してくれていて嬉しい。

 ピリポリスの荒廃ぶりは、旧作よりもリアリティが増しているように感じた。
 現実の紛争地域の都市、多いですからね・・・嫌な現実だ・・・。

 旧にはあったネコ⇔ネズミのくだりはカット。
 というより、あれは原作にない旧作オリジナルだったらしい。
 地球でドラコルルが「ネコの姿とはどういうことだ?」と発言しているのと矛盾するので、これは妥当。

 レジスタンスのリーダーがイケメン。行動イケメン。
 ガサ入れされた時の脱出路をちゃんと用意しているのは地下活動組織っぽいですね。
 ここからオリチャー入ります。ひみつ道具つかえるドラえもんが自由行動できればこっちのもんだい!(フラグ)

 ●vs無人戦闘機大集団

 打ち上げられる無人戦闘機と、その後に空に残る噴煙。
 まるでミサイルの発射されたあとのようだ・・・。
 今作の戦争描写、たまにリアルな描きかたをする。

 無数の無人戦闘機。画面いっぱいに大量に映ることで絶望感が半端ない。
 これを戦車の無双だけでなんとかなるとは思えない。

 絶望するスネ夫。そりゃそうだわ・・・あんなの見せられちゃなあ。
 
 そんなスネ夫に何も言わず、出撃するしずかちゃん。
 旧作でも屈指の名場面。やはりここからの名ゼリフの連続は素晴らしいし、それが新たな映像で見られるというのも嬉しい。

 ●ドラコルルの罠

 読まれていました(フラグ回収)

 今作オリジナル場面。旧作ではなかったドラvsドラの直接対決。
 まあそりゃあね、ドラえもん側の勝利条件ですからね。そりゃあ読まれますよ。
 でも石ころ帽子を事前に読むとかそんなのありえます!? いや、そういえば片づけラッカー使ってたわ・・・。透明対策するわ・・・。
 キレッキレなドラコルル。
 しかし機転をきかせるドラえもん。
 ここの知恵比べ、化かし合いの対決は非常に良いですね・・・。ドラコルルという今作のキーパーソンの土俵に引きずり込まれて、それでも一矢報いてやる。お互いに見せ場がある、名勝負シーンですわ。

 ●戴冠式

 土砂崩れか何かで露出する戦車。
 これが発見のきっかけかと思っていた。

 原作・旧作にはなかった戴冠式シーン。
 街角で段ボールの上に座ってるのび太くん、ちょっとエヴァの家出シンジくんを思い出してしまった。

 パピくんの演説。
 地球での体験を語るパピくん。のび太くんたちとの触れ合いが、彼にとってどれだけ意味があったか。それが語られていく。
 のび太くんたちと語り合う時間が増えた展開の変更は、このためでもあったのだろうか。

 そして、演説最後の言葉。
 ああ、ああ! あの言葉をここに持ってくるなんて!
 これが今作もっとも心を撃ち抜かれた瞬間だった。
 旧作ではパピの雄々しくも誰にも届かない虚しい糾弾だった。
 それが今作では人々の心を打つ言葉となってピリカを動かしたのだ。
 同時に、本当に市民が蜂起するかどうかという心配が、この瞬間に消し飛ぶ。
 すべて、すべてがこの大どんでん返しのための伏線だったのか!
 この仕込みよう、この組み立て方、再解釈、なんと見事なことか。

 ●戦車の撃墜

 ピリカ星に降下するスネ夫たち。
 あれ、戦車を分解解析するシーンなかったな? と思っていたらこれである。
「いくら頑丈でも・・・」
 確かにどんなメカだろうとそれを喰らえば電子機器がオシャカだ。
 どういう理屈で動いているかどうかなど問わない、問答無用の対抗策。
 長官に容赦がなさすぎる。

 ●処刑場から反撃へ

 旧作におけるハイライト、効果の時間切れ。
 旧作ではあっさりしていたが、今作では演出に上手く組み込まれている。
 絶体絶命のピンチの後の予想はつく。だが、それを見たかったのだ。王道の展開である。
 そして旧作では薄かった「ピリカ人の視点から見た地球人」のサイズ感描写が良い。

 元のサイズに戻るのは、スモールライトを奪われるという制約のもと、強いられてきたフラストレーションが解放される瞬間であり、クライマックスの合図でもある。
 同時に、蜂起したピリカ人たちの視点で見れば、圧政の象徴だったPCIAの本部が、チキュウの巨人たちによって簡単に機能不全となったのは、心強いことだっただろう。
 旧作では繋がりが薄かった市民とのび太くんたちとの邂逅が垣間見えたのは面白い。

 無人戦闘部隊と軍艦との最後の戦い。
 ここは原作の流れそのまま。
 スネ夫の家襲撃では出番を削られたジャイアンの活躍シーンである。上着をかぶせてロデオはちょっと見たかったが、それにしてもピリカ人サイズから見た怒りのジャイアンは怖い。
 降伏する長官。旧作と比べてあまりにも人格者がすぎる。そして部下からの信望も厚いなぁ。
 悪役だしけっして正義ではないのだが、筋が一本通ったキャラ造形になっている。なんでおまえギルモアなんかについたん?

 最後は市民自身の力によって終結。
 良かった、今回はロボットくん壊されなかった。
 この「チキュウ人はあくまで助っ人にすぎず、市民一人一人の協力によって解決する」というオチが良い。

 ●劇終へ

 完。

 ・・・という最後の最後で出木杉くんへのフォローがあって本当に良かった。
 まわりまわって映画撮影という元の枠に戻って〆るのも良い。
 スタッフロールで流れる本編映像が、出木杉くんに語る大冒険の振り返りのようにも見えて、最後まで雰囲気を保ったまま終わりをむかえた。
 次は出木杉くんも冒険に連れて行ってやってくれ・・・。

 ●感想

 非常に、良い映画体験だった。
 事前に旧作を履修しておいたのが良い、というか、履修前提で作られているのではと思うほどだった。
 元の作品の要素をきちんとリスペクトしつつ、カットしたのは本筋にあまり関係ない部分ばかりで、そうして新しい要素を加えて再構築された本作は、とても満足度が高い。
 あまり因果関係などを細かくツッコムのも野暮だが、それでも旧作では矛盾もあった物語の流れや動機が、細かいところまできちんと整えられて、自然で順当なものに組み立てなおされていたのには感動した。
 ピイナが単なる新作ゲストキャラではなく、ちゃんと話の流れを組む上で必要な要素だったと気づいた時には嬉しかった。

 強いて残念なところを上げれば、原作にはあった「ききめが永久につづく薬なんてあるか! なんにだって有効期限はあるんだ!」というセリフが今作には無かったことか。
 これはクライマックスの重要なギミックである「スモールライトの効果時間」への伏線だと思っていただけに、これやこれに準ずる言及がなかったのは少し残念だった。
 もっとも必須かと言われればそうでもなく、そもそもあったとしても伏線だと気づけるかは怪しいだろう。(自分にしても原作と旧作を履修しなおしてやっと気づいたくらいである)

 総じて、とても満足できる映画だったと思っている。
 元々の作品へのリスペクトがあり、しかし矛盾や荒は整理整頓され、新要素はそれを補強するものとして機能してけっして悪目立ちせず、過不足のない、完成度の高い物語として作られている。
 これだけのものを作るにあたりスタッフさん達の苦労がいかほどのものであったかが偲ばれる。

 もし旧作を見た事がある人であれば、時間が許せばで構わないが、まずは旧作をあらためて見た上で、今作を観劇し、驚いてほしい。
 そう思えるほど、作り手の愛と熱意が垣間見える作品だった。

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