【フィン物語群】Berraの職人の三人の息子たち【補足】

  前回の『鍛冶場の詩』にて、登場人物の「Beareの職人の三人の息子たち」が何者なのか確認できていない旨を書いたが、またしても有力な情報をいただいた。
 https://twitter.com/Al_batross/status/1753562950173098250

 彼らは上王Mac Conの縁者であり、Beareの職人とはその里親であるという。アイルランドの養子の慣習のことをすっかり失念していた。
 早速このことを前回の解説に追記しようと思った・・・のだが、この三兄弟について確認を進めると、とても前回の解説欄にはおさまらない、まとまった文量にならざるをえなくなったので、新たに記事を作成することにした。前回の記事がクソ長すぎてこれ以上追加できるかっという話でもある。


●資料●

●The genealogy of Corca Laidhe(Corca Laidheの系譜)

 まずは提示していただいた資料を見ていこう。
John O’Donovanの『Miscellany of the Celtic Society』(1849)に収録されている「Genealogy of Corca Laidhe(Corca Laidheの系譜)にはこう書かれている。

 Corca Laidheの系譜はここよりはじまる
 
 Corca-Laidhe出身のLughaidh Laidheは、Daire Sirchreachtachの息子なり。彼の別名はSen Lughaidhなり。彼の息子は別のLughaidh、すなわちMacconであり、幾人かの詩人の言が真実であれば、LughaidhはDaireの名でもあった。MaicniadhはLughaidh Laidheのポピュラーな名前である。Macconには素晴らしき息子、すなわちMaicniadhがいた。Maicniadhには良き息子たち、すなわち、Ua Eidersceoilの祖となるAenghus Gaifuileach、Ua Cobhthaighの祖となるDuach、Ua Floinn-Ardaの祖となるFiachraがいた。
 
 三人のFothadhは彼の別の三人の息子たちであり、すなわちFothadh AirctheachFothadh CairptheachFathadh Canannである。Bearaの三人のMic Aencheardaたちは、彼の別の三人の息子たちであり、Ronanの娘Finnchaemhが彼らの母である。彼らの最初の親権者であるCeard(職人)は、TeamhairのCeardraidhであった。GlasGear、そしてGubhaが彼らの名である。

※Teamhair:タラの丘

p.9~11

 これだけではわけがわからんので整理しよう。
 
 Corca Laidheとは、アイルランド南西部マンスター地方、現在のコーク西部を中心とした古代王朝の氏族である。
 その名は、上述にある「Daire Sirchreachtachの息子Lughaidh Laidhe」に由来するという。彼は伝説ではタラ王にしてアイルランドの上王であった。
 この時点でもう上王が出てくるわけだが、次に行こう。
 上述では欠落しているが、Lughaidh Laidheの息子がMaicniadhで、その息子がMacconとなるらしい。
 Macconもまたアイルランド上王である。その名は「Baile Chuinn Chétchathaig」(百戦のコンの幻視)や、「来寇の書」、『Annals of the Four Masters』(四導師記、以下FM)などにおける歴代の上王名にも記載されている。
 Macconの息子Maicniadhは、さらに三人の息子をもうけた。彼らはそれぞれ現代まで続く氏族の祖となっている。
 
 さて問題はここからで、このままの文脈でいくと、今回の焦点である職人の三人の息子たちと、異母兄弟のFothadh三兄弟は、一見してMacconの息子Maicniadhの子どもたちだと読める。
 しかし提供された情報はMacconの息子たちである。この合計六人の子の父となる「彼」がMacconとMaicniadhのどちらを指しているか、元の文章から読み解くのも難しい。
 
 というわけで別の資料を見てみよう。

●Foras Feasa ar Éirinn(The history of Ireland)とFM

 次はGeoffrey Keatingの『Foras Feasa ar Éirinn(The history of Ireland)』第二巻(1908)である。

 Iothの息子Lughaidhの一族のFear Uileannの息子Daireの息子Lughaidhの息子Macniadhの息子Mac Conの二人の息子Fothaidh AirgtheachFothaidh Cairptheachは、アイルランドの主権を引き継いだ。彼らは共に一年間共同統治した。そしてFothaidh CairptheachはFothaidh Airgtheachによって降され、Fothaidh AirgtheachはOllarbhaの戦いでFianによって降された。

p.357

 Mac Conはアルバ(※スコットランド)とブリテンを征服しに行った。そしてこれらの国々から彼がアイルランドへ来たるは、Art Aoinfhear を降したMagh Muchruimhe の戦いを戦うためであり、そしてすでに述べたように、Mac Conがアイルランド全土の主権を引き継いだ。この後、Mac Conの息子Fathaidh Canannがアルバへ行き、その土地をわが物とした。そして彼の子孫からMac Cailinとその家系の相関的(?)支族が生じたのである。

p.383

 ここでは『The genealogy of Corca Laidhe』で言及されたFothadhの三兄弟(Fothadh AirctheachFothadh CairptheachFathadh Canann)が、MacConの息子となっている。
 Fothadh三兄弟がMacConの息子たちならば、その異母弟である職人の三人の息子たちもまたMacConの息子たちだとは言えそうである。
 ここで言及されている「Ollarbhaの戦い」は、『Acallam na senórach』(古老たちの語らい)の中でも歌われており、また『FM』のM285.1では以下のように記されている。

 Fothadh CairptheachFothadh Airgtheachによって弑された時、Fothadhは一年間アイルランドを支配していた。Fothadh Airgtheachはその後、Ollarbaの戦いにて、CaeilteによってMagh Lineで殺された。

Annals of the Four Masters
M285.1

 最後に出て来たCaeilteはフィアナ戦士のCaoilteであろうか。さて、段々と歴史が伝説に近づいてきた。次はフィアナにまつわる資料を見てみよう。

●Acallam na senórach(古老たちの語らい)

『Acallam na senórach』(古老たちの語らい)には、職人の三人の息子たちの最期を含めたエピソードが語られている。
 この資料は、ゲール語版をWhitley Stokesが『Irische Texte』第四巻(1900)に、英訳版をStandish Hayes O'Gradyが『Silva Gadelica』(1892)で、Ann DooleyHarry Roeが『Tales of the elders of Ireland』(1999)でそれぞれ発表している。
 ここでは三兄弟の最期にまつわる言及を、O'Grady版から牽こう。

「それはスコットランドにいた王、Iruath mac Alpineであり、彼には三人の娘がいた。MuirescとAeifeとAillbheがその名である。
 これらはアイルランドのフィアナの三人のóglaechs(戦士)に恋をした。BeareのEncherdの三人の息子Ger とGlasとGabha、この戦士たちもまた彼女らに恋をし、20年にわたって彼らは相思相愛であった。
 しかしその昔(=ついに)女たちは駆け落ちしてこのtulach(丘)までやってきたが、そこで突然の眠りとまどろみに襲われてしまった。
 それはまさにその時、Macniaの息子Macconの息子によってレンスター地方で恐るべきbruidhen(戦い)がFinn mac Cumallの前に立ちはだかった時であった。フィアナとFatha Canannの民に起きたことについて、詩人たちは全てを語ることはできないだろう。
 さらにはそこで、BeareのEncherdの三人の息子たちという、武勇の極みの三人も斃れたのである。
 三人の乙女たちについて。彼女らは眠りから覚め、自分たちへ向かって来る三人のフィアナの戦士たちを見た。彼女たちは彼らに訊ね、彼らはいかにして戦いが起こったかを語った。フィアナにおきた殺戮と、BeareのEncherdの三人の息子たちの死のことも。
 この丘の上で少女たちは大声で哀しみと嘆きの声をあげ、その悲痛ゆえに三人は亡くなった。

Silva gadelica (I-XXXI)
Standish Hayes O'Grady 1892
p.189

 この場面は、Stokes版では3388行(p.96)から見ることができる。なお三兄弟の表記について、O’Grady版では「Encherd of Beare」だが、Stokes版では「Aencherda Berra」となっている。(Encherdは英語化されたスペルだろうか)
 ここでは丘の名前(tulach an trír/三人の丘、あるいは三人の塚)の由来となるスコットランド王の三人の姫君の話がメインで、三兄弟が討ち死にした戦いの詳細は語られていない。ともあれ、彼らが異母兄弟の一人、Fatha Canann(Fathadh Canann)との戦いで討たれたことがわかる。
 
 なおこの『Acallam na senórach』では、他にも彼らが言及される場面がいくつかある。三兄弟の一人Glasは、フィンの三頭の猟犬がブリテンへ連れ去られた話では、それを追跡する九人の中の一人として。また「赤い牡鹿の湖」の由来譚では、赤い牡鹿を狩る四人のフィアナの一人として。そしてTreoinの娘Bébhindという巨人の娘にまつわる話では、彼女を殺害した男を追う際に一緒になった、四人組の一人として名前が挙がっている。
 ところで、フィアナ戦士の名前を列挙するくだりでは、彼ら三兄弟の直前に、Degbóicの三人の息子たちとして「F[e]thとFaethとFoscud」という名前が挙げられているのだが。これは「鍛冶場の詩」における三兄弟に贈られた三振りの剣「FeadとFíとFosgadh」によく似ている気がするが、気のせいだろうか・・・?

●まとめ●

 以上の情報をまとめると。
 
・上王MacConの子孫に、Fothadhの三兄弟と、その異母兄弟であるBeareの職人の三人の息子たちがいた。
・職人の息子たちは、Fothadhの三兄弟の一人との戦いで斃れた。
 
 ということになる。
 ひとまず彼らが上王の血筋に連なる者たちであることや、他のエピソードについても色々と確認することができた。
 結局彼らがMacConの息子なのか孫なのかは断定しがたい。調査中に見かけた家系図では両方の説を併記しており、どうも定まってはいない気配を感じる。このあたりはまだまだ資料が欲しいところ。
 ちなみに三兄弟の母、Ronanの娘Finnchaemhだが、RonanはCaoilteの父でもあるので、彼らは親戚同士ということになるらしい。
 
 それにしても、彼らの養い親となったBeareの職人(Aencherda)とは一体何者なのだろうか。Beareとは、現在のケリー県とコーク県にまたがるベラ半島のことだと思われ、これはコークを根拠地としたMacConらの王朝にしてみれば目と鼻の先である。この地に由縁のある人間へ養子を出すのは不自然ではないだろう。
 実は『Uí Mhaineの書』に、そのタイトルもズバリ「A aencheard Bhérre」という、Beareの職人と、その養子である三兄弟について詠った詩があるという。しかしながら残念なことに現在に至るまで出版されたことはなく、その内容を確認することはできない。
 一応、写本そのものはWeb上で閲覧可能なので、ゲール文字オンリーのページを根性出せば読めなくもないのだが、流石にそこまでやると本来の調査(フラガラッハ)から脱線しすぎるので、ここいらで調査は止めておくことにしよう。誰か代わりに読んでおいてください。

●おわり

 以上。
 今回は取り急ぎ資料を検索するに留まったので、自分が把握できていない資料が他にある可能性がありすぎるのは否めない。
 なにかあったら追記していくので、誤訳、誤解釈、新情報等ありましたらご一報ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?