niziiro

永遠に続いて欲しい夜にはいつでも音楽が鳴り響いている

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最近の記事

スーパーカーが好き

定期的にやりたくなるたよりのない精神的自傷のひとつに、「スーパーカーを聴く」というのがあります。スーパーカーを聴く時のなんとなく幸せな心の痛みを、楽しんでいるのか苦しんでいるのかよくわからない状態でやり過ごす大人の遊びです。 1995年、青森の片田舎で気まぐれに結成されたバンドは、全速力で私たちの思春期に駆け込んできました。抽象的な歌詞と都会的でエモーショナルなサウンドが、若さのもたらす万能感を強く焚き付けるようで、たくさんの青春が熱に巻き込まれていくさまを(まだぴちぴちだ

    • 善悪の彼岸へ

      こういう話題を書くのはどうかな、と思うところもあるのだけど、ちょっといてもたってもいられなくて、悲しくて正体を見失いそうなので。心に余裕がある方はお付き合いくださいな。 京アニで多くの方が亡くなりました。犯人は今すぐ火あぶりにして自分のやったことを後悔して後悔して、後悔しつくした結果、いちはやく死んで欲しいのが本音といえば本音です。 でも、それがどれだけ無意味なことか、今ならなんとなくわかるのです。犯人には生きて、その詳細を詳らかにする義務があり、そうさせる義務がわたしたち

      • おとうと

        「弟」と呼んでいる親友がいます。血縁関係はありません。 「弟」が孤独な15歳だった頃、私は彼の身近にいる数少ない大人で、25歳でした。「弟」はインターネットに自分の作った音楽をアップロードしたり、学校をサボって1人で美術館にいったりしていて、私はギスギスした美しい彼を連れて海へ行ったりお酒を飲ませたり写真を撮ったりしていました。 今年、彼が私の人生に現れてから10年が経ちました。この息苦しい社会の中でそれぞれがそれなりの居場所を手に入れたことを、互いに新鮮な驚きをもって受け

        • ベイビー、今夜だけ

          文学部の発表というのは、基本的に作品の要約から始まっていて、私は今までにたくさんの個性的な要約と出逢って来た方だと思っています。 その中でも最も美しい要約だったのが、学生時代にゼミの友人が要約した山田詠美の「ベッドタイム・アイズ」でした。 彼女はプレゼン資料の中に、作品の概要としてたった1行 「かけがえのないものとして他者を受け入れることの喜びと苦しみ」 としたためており、私はその要約に心を奪われました。文通からはじまる恋に似ていて、私はそれまで何度か読んだ作品につい

        スーパーカーが好き

          やさしさの精神病理

          ふとんに横になっていたら、「眠れない」という概念が垂直に胸に突き刺さって来た、くらいの勢いで、ここ数日唐突に眠れなくなってしまいました。 不安があるわけでもないのに眠れないでいると、眠れないことそのものが不安を連れて顔を覗き込んでくる。困ったなあ、と思っているので、最近すきな本ばかり読んでいます。 17歳の頃、神戸大学の過去問を解いていたら、論理を紐解くゲームのような現代文のなかに、一際雄弁でやさしい文章を見付けました。調べてみると、大平健の「やさしさの精神病理」という本

          やさしさの精神病理

          生きることの根源的な悲しみ

          「そうか、もう君はいないのか」と、「この世のすべてを敵に回して」は、その強烈なタイトルに惹かれて買ってしまった2冊なのですが、こういったタイトルの本は「タイトルのみ」で世界が完結している方が美しいのだと思っています。比較して、白石一文さんの「僕の中の壊れていない部分」は素晴らしい。思春期の名残に何度も読んだ本のひとつです。 今日、一包1,000円の鯛めしの素を百貨店で目にしてから、ずっとそんなことを考えています。その鯛めしのパッケージのコピーは「手の届く感動」でした。わたし

          生きることの根源的な悲しみ

          本の隅の5月10日

          沈黙で抱き合える人が好きだし頬の色で感情を察知したいし音楽を媒介に共鳴しあえるような人がいいけど、生きて行くうえでそれだけを望んではいけないから必要な時は相応しい態度をとりたいけどうまくいかない。 若くて自由で人生で最も美しかった10代の終わり、わたしは全然幸福ではありませんでした。第一志望に落ちたし、恋人はできないし、友人は自殺するし母親の病気がますます深刻で、小説の中の世界の方が本物の人生のステージだとすら思っていました。 あるとき、友人が学食に派手な男の子たちを呼ん

          本の隅の5月10日