おとうと

「弟」と呼んでいる親友がいます。血縁関係はありません。
「弟」が孤独な15歳だった頃、私は彼の身近にいる数少ない大人で、25歳でした。「弟」はインターネットに自分の作った音楽をアップロードしたり、学校をサボって1人で美術館にいったりしていて、私はギスギスした美しい彼を連れて海へ行ったりお酒を飲ませたり写真を撮ったりしていました。

今年、彼が私の人生に現れてから10年が経ちました。この息苦しい社会の中でそれぞれがそれなりの居場所を手に入れたことを、互いに新鮮な驚きをもって受け入れてきて今に至るのです。

2人でいると2人の関係を問われることがときどきあるのですが、「きょうだい、生き別れみたいな感じの」としか説明のしようがありません。さすがに15歳に欲情する趣味はないし、かといって何かを共に闘ってきたわけでもなくて、私の中では「弟」がどれだけ歳を重ねて社会性を手に入れたとしても、いつまでも15歳の「弟」でしかないのです。

先日「弟」が25歳の誕生日を迎えました。私は、私たちが出逢って10年も経過したということよりも、「弟」が、近寄る全てを殺してしまいそうな、それでいて些細な汚れたものにかんたんに殺されてしまいそうなあの「弟」が、25歳になれた、という事実がとても尊いことのような気がして嬉しくなりました。君が25歳まで生きたということに驚きを隠せないよ、と言ったら、「弟」は「もう死んでも美しくない歳になってしまったな」とだけ言ってくれました。

私たちは別に何かの苦しみを共有して生きてきたわけでありません。ただ単にそこに独りぼっちの人間がいて、息を殺して暮らしているということを認め合っていただけだったのだと思っています。

いくつになってもかけがえのない「他者」でいてくれる「弟」の生を、わたしはいつでも祝福しています。

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