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東京ドームの、演者と観客の距離感について

Netflixのトーク番組「LIGHTHOUSE」のなかで、星野源さんは、オードリー若林さんに対し、自身がかつて東京ドームライブをやった時の話をしていた。

【星野】東京ドームライブをやるにあたって、いろんな人のライブを見に行ったら、「全然届いてこないな」という感覚があった。

※中略

(自分が)東京ドームをやるにあたってまずやったのは、演出を大きくしないこと。キャパシティが大きくなると、演出を大きくして色を増やしたり、大きいステージを用意したり、いろんなものを大きくするやり方もあるけど、僕はそれを客としてみたら、遠く感じる。

10メートル先に人がいて、50メートル先ぐらいの大きな声で「あのさぁ!!」って言われたら、すごく遠く感じる。だけど、普通の声で言えば「なぁに?」ってなって、すごく距離感が縮まる。

Netflix「LIGHT HOUSE」エピソード5より

実際に、星野さんは、東京ドームライブで演出を最低限にし、衣装も普段通りのパーカーを着て、5万人の前に立った。曲間のMCでも大きな声を張らず、ラジオのような普段通りのトーンで話した。素晴らしい手法だと思う。若林さんも、このアドバイスに真剣に耳を傾けていた。

考えてみれば、皮肉な話だ。あるアーティストがいたとして。その人は、共感のための歌詞を書き、「あなたは一人じゃない」と観客に伝える。その、心をつかむ歌詞は、観客の孤独を癒し、たくさんの人に愛され、そのおかげで、アーティストは、東京ドームでライブができるほどの人気者になる。だが、次の瞬間、その大事な曲を、東京ドームの真ん中で、観客全員に届けようと大声で歌ったとたんに、観客からは、アーティストが、まるで手の届かない、遠くのスーパースターに見えてしまう。そのアーティストが、本当は寄り添ってくれていないかのように感じる。共感はあっという間に色あせる。「自分は一人だ」。観客は、また孤独になる。大勢の人に囲まれながら、また孤独になる。場合によっては、裏切られたと感じることすらあるかもしれない。

アーティストと観客、双方に悪意はないのに、すれ違いが生まれてしまう。好きゆえに、手を伸ばす。なのに、その手は群衆に埋もれ、払いのけられ、心を傷つけられる。(この話は、アーティストと観客に限らない。人同士のすれ違いの多くは、こういう一人対多数の場面での認識不一致から始まる)

* * *

2024年2月18日。「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」を、現地のスタンド席で観た。昨年、幸運なことにチケット抽選に恵まれ、以来ずっと、心待ちにしていたライブだ。

前日も、東京ドーム近辺に訪れた。ライブ前日にも関わらず、ライブグッズのユニフォームを着た同志とたくさん出会った。脱出ゲームに取り組む人や、記念展を見に来た人で溢れており、東京ドームシティは前夜祭のような、心地よい熱気が漂っていた。

当日も、昼から会場近くにいた。晴れの舞台。お祭りとして、最高にワクワクした。後楽園の駅を降りた瞬間から、街じゅうに高揚感があった。東京ドームシティ全体、見渡す限り全てをリトルトゥースが埋めつくす。圧倒的な感動だ。「自分は一人じゃない」と思わせてくれた。

夕方、ドームの会場内に入ると、さらに、それは加速した。もはや一望するのも難しい、全方位に埋め尽くされたオードリーのファンたち。神秘的な光景だった。

そして、17時半。ライブの幕が開け、オードリーの二人が、すばらしい演出と共に、舞台上に現れた。

近い。

冒頭の、距離感によるすれ違いの問題は、深夜ラジオという「あなただけに語りかける装置」において、非常に重要で、繊細な話題だ。パーソナリティが、手の届かない、遠くの存在に見えてしまうことは、大きなリスクである。ミスをすれば、これまで長年かけて築いたリスナーとパーソナリティとの絆を損なう可能性すらあった。だが、この日の若林さんと春日さんは、5万人超の観客に囲まれながらも、そこまで遠くには感じなかった。大勢の期待感を、一身に神々しく浴びるスーパースターのはずなのに、それでいて、別世界の人間という印象にはならなかった。感覚的には、ほとんど寄席と変わらない近さだった。5万人の動員と、演者への接近。これは元来なら、両立しえない感覚のはずだ。

実際、この日のライブは、演者と観客の距離感に、細心の注意が払われて設計されていたように思う。話すトーンや、二人ができるだけ客席に近寄る演出の数々も含め、「近さ」を作り出していた。

東京ドームの2階スタンド席は、物理的にはグランドから約20メートルの高さにある。プロ野球の試合中なら、広いフィールドを俯瞰のパノラマで見渡せる席だ。そのぶん、ピッチャーマウンドや打席は、かなり遠く、選手の表情は見えない。今回のライブはステージを多少、かさ上げしてあるにせよ、それでも、オードリーと私は、上下幅だけでビル5階分程度は離れていることになる。だが、このライブを見ている最中、そう感じなかった。

客電はほぼ真っ暗にし、映像はしっかりクローズアップで二人をとらえ続ける。それだけで遠さの感覚は、かなり消失する。観客に話しかけるときも、たくさんの人相手ではなく、近くの人数名に話すような口調を保つ。若林さんは、クラスメイトに話す気さくさで、ときおり観客を「お前ら」と呼ぶ。

鬼門である音響も、最大限に工夫していた。ドームはリバーブで音が濁り続けるため、元来、トークをする場としては良い環境ではない(野球観戦時、ヒーローインタビューを客席で聴くと痛感する。)それでも、この日は、リスナー側が真剣に耳を傾けることで補完され、場が保たれていた。当人たちも、イヤモニなしで話している。普段のラジオと変わらないトーン。ライブ中は、自然とトークにのめりこみ、笑った。

物理的に近く見せる演出も重要だが、なにより、この日に至るまでの、オードリー二人の態度が、この「精神的にも近い感覚」を維持させていたように思う。

オードリーの二人は、この一年間、「東京ドームを、平気で乗りこなすスター」のふりを一度もしなかった。「東京ドームでライブが開催できる、自分たちのすごさ」という角度では見栄を切らなかった。最後まで、東京ドームの偉大さを、自分の権威付けには使わなかった。観客と一緒に、東京ドームに立ち向かうスタンスを貫いた。(実際それは、挑戦者としての、率直な心境だったのだろう。なにせ、これだけの大きな規模のイベントだ)

二人は、この一年間ずっと「聖地・東京ドームへの畏敬」を絶やさなかったように思う。東京ドームは、5万人のキャパシティを持つ会場、という意味以上の文脈を背負っている。そこは、日本プロ野球の象徴であり、プロレスの聖地であり、数々のアーティストにとって最大のステージだ。関東で育ち、野球も好きな二人にとって、若い頃から特別な場所だっただろう。この日まで、観客にも、スタッフにも、オードリーの二人にとっても、東京ドームは偉大な存在だった。それだけは、ずっと一致していた。妙な表現になるが、観客の私は「その日ついに、オードリーと共に、偉大なる東京ドームに触れた」とすら思う。そう思わせてくれたのは、二人の謙虚さの力だ。

当日はもちろん、ショーとしても素晴らしく楽しかった。トークも面白かった。普段のラジオのトーンを保ちつつ、いつもより少し、とっておきのトーク内容。偉大なる東京ドームだからこそ、そこであえて普段通りの掛け合いをする意味が際立つ。

中盤、星野源さんの「Orange」のイントロが流れた瞬間、1秒で鳥肌が立った。すぐに何の曲か分かった。あの曲を去年、どれだけ聞いたか。苦しい日々を、支えてもらった曲だ。

ライブ用の、特別なラップ歌詞。星野さんは、その中で、観客に向かって「君」という言葉を使った。これは、自分のことだ!そう思った。ありがとう、声をかけてくれて。演者はすぐそばにいる。星野さんと若林さんのラップに合わせて、無数のスマホライトが舞う光景の、アメーバのような一体感が忘れられない。このライブ、きっとどこかで泣くだろうな、と思っていたけど、案の定、泣いてしまった。

前回の武道館ライブで一番好きなシーンは、漫才用のセンターマイクが、会場に現れる場面だった。その場面は今回も、ライブの最終盤に、期待通り現れた。Analogfish「SHOWがはじまるよ」の出囃子と共に。最後まで、美しかった。そして笑った。

当日、会場には一人で行ったし、振り返ってみれば、家を出てから帰るまで、ただの一言も発さなかったと思う。それでも、演者と観客たちの一体感を味わった。もう帰りはSNSを一切見る気にならなかった。なにも見なくても、十分につながっている感覚があった。

帰り道、ラスタカラーの紙袋を、水道橋周辺を歩く街じゅう全員が持っていて。そこから電車を一本、二本、と乗り換えていくうちに、徐々にその数は減っていって。最後、自宅の最寄り駅に降り立ったとき、それはほとんどいなくなったけれど、前を歩く人が一人だけ、同じ色の紙袋を持っているのが見えた。東京の街全体にじわっと、ラスタカラーがしみ込んでいっている。そんな感じがした。

オードリー、そしてライブを形作ってくれたスタッフ、そしてオードリーの他の番組も含めて、オードリーに関わる全ての関係者に、今は感謝しかない。この一年の日々に、多くの彩りを与えてくれた。

ライブを心待ちにする、この一年は本当に楽しかった。期待値が理想的な曲線を描いて、すこしずつ上がっていった。WBC予選直後のライブ発表、ANN55周年、ライブ公式YouTube、半生のドラマ化、こっち側の集い、LIGHTHOUSE、かさぶた剥がしデスマッチ、若林さんのnote、チケット販売開始、主題歌発表、グッズ発表、オドハラ、リアル脱出ゲーム、オールナイトマック、書籍、15周年展‥‥。一年かけて、少しずつ、いろんな断面に触れるたび、期待が徐々に膨らんでいった。ライブの後も、感想を語る芸人仲間たちのラジオが、余韻を楽しむのに最適だった。特にアルピー平子さんの語りが、当日の空気を巧みに伝えていてすごかった。

そのときどき、自身に起きた出来事と共に思い返す。若林さんがドラマ現場に差し入れたカレーパン、同じものを買いにいったなぁ‥。おいしくて、その後、家族で、すっかりそのカレーパンのファンになってしまった。2023年は、タイガースも優勝したなぁ‥。唯一、東京ドームで観た試合はサヨナラ負けだったけど、同じ試合を偶然、若林さんが現地観戦していたことを知り、驚いた。いろいろあった。サトゥーのごはんはまだ食べてない。

オードリーがライブ開催を決定してからの約一年。そう、俺にも、いろいろあったんだよ。思えば遠くまで来たものだ。

「人間に夢って必要」

若林さんはドームライブ開催を決めたころ、シンプルな表現で、そう言っていた。夢を持つことで先が開けたこと、そして相方の春日さんも、ライブが決まって、生き生きとしていることを嬉しそうに語っていた。

今も、ライブ開催前、本番を想像するときの、期待感の感触が残っている。遠くにうっすらと夢を見る心地よさを覚えている。東京ドームライブそのものと同じぐらい、ロード・トゥ・東京ドームは思い出深く、大切な時間だった。

オードリーの二人と同じく、40歳を過ぎた私だが、この手ごたえを忘れずにいたい。私も、対岸にうっすら見える夢に向かいたい。必死で漕ぎつつ、潮に流されて、漂い、どこかへ。

一年間ずっと、思った以上に、多くのものをもらいました。ありがとうございました。

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会社員小林
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