恥感情は今日までの自分を守ってくれたけれど、それに飲み込まれもした。これからはもう少しうまく付き合っていく。
感情の中でも厄介な『恥』という感情。なぜ厄介なのか。それは、感情の中でも向き合うことに苦痛を感じ、他の感情にすり替えられやすいものだからです。
しかも、すり替えられるスピードは実に早く、本人も気づかなかったり、すり替える間もなく、感情のスイッチを切ってしまうことも。
また、恥感情と無縁となりたいがために、人とかかわることを避け、万が一にも、どんな些細な失敗もしないように、常に緊張させます。他人からはもちろん、自分からも批判されないように頑張り続けます。お酒を浴びるほど飲んで心を鈍麻させようとすることもあるかもしれません。
そんな私たちの中にある恥の感情は、あるとき既に心の中に存在し、所属意識が高いコミュニティにおいて、違いを排除する圧力があると、より強くなる傾向を持っています。
もう随分前ですが、寒い冬の日に帽子をかぶって出勤しました。
それを見た同僚が「帽子!?」と笑い、さらに周囲にもその笑いを同調するよう促しました。
その帽子は、お洒落なお店で買った大のお気に入りで、流行の先駆けでしたが、その瞬間恥ずかしいと思い、二度とかぶれなくなりました。
このように相手に恥の感情を与えることをシェイミングと言います。
また、大人より、子供の方が簡単に恥の感情を植え付けられてしまうと言われています。
小学生の頃、父親に初めてチキンライスを作りました。
父が喜んで食べようとしたら、母が「汚いから食べない方がいい」と父に言いました。
台所にはお手伝いで良く立っていたので、手も洗い、食器も洗い、どこも汚いところはなかったはずなのに、何を汚いといわれたのか理解できず、その「汚い」という言葉が、チキンライスのことではなく自分自身に向けられたのだと思いました。
とても傷つき、得意げに料理をしたことを恥ずかしく思いました。
以来、自分は汚れており、また自分が触れたものを汚してしまうという意識を時折持つようになりました。いわゆる潔癖症の逆ですね。
今思えば、母の言葉にたいした意味などなかったのかもしれませんが、理由はなんであれ、シェイミングを与えるのは、このように簡単なのです。
しかも、シェイミングは、人から与えられるだけでなく、自分へ向けることもあります。
例えば、自分だけがおかしい、本当の自分は誰も受け入れてくれない、愛されないなど。
誰でも簡単に植え付けられてしまうこの恥の感情は、決して自分だけが感じているものではなく、多かれ少なかれ、皆が持っています。と同時に、その感情を抱くのは、人間の脳がそうさせているのであって、自分が悪いわけではありません。
それどころか、自分の恥感情がどこから来たのかを考えてみたとき、自分とは一切関係ない、親の恥感情である場合もあります。
また恥の感情は、生きるのに役立ってもきました。恥をかきたくないと思っていっぱい頑張ってきた、今日まで自分を奮い立たせてきた、そんなこともきっとあったと思うのです。
けれども、恥感情が強すぎると生きるのが苦しくなります。
例えば、恥感情を常に怒りにすり替えていたらどうなるでしょう。
人間関係は悪化し、それによりますます恥感情を強化して負のループに突入してしまうかもしれません。
まずは恥感情を認めてあげて、「そうだよね。しかたがなかったよね。よくがんばってきたよ」と自分と対話し、温かく励ましてあげてほしいのです。そうやって、少しずつ受け入れられる感覚を丁寧に積み重ねることで、やがて恥の感情が和らいでいきます。その温かさがコンパッションです。
恥の感情をなくすことはできませんが、コンパッションを自分に向けるセルフ・コンパッションで上手に付き合うことが、できるようになります。
ただ、いきなりセルフ・コンパッションを向けるのは、正直難しいと思うので、そんな時は、並行して誰かにサポートしてもらうのがよいと思います。
例えばコンパッションに満ちた友人や家族です。
自分を傷つけない人に「今日こんな恥ずかしいことがあったんだ」などと話してみます。
そうだったんだと受容してくれるだけでなく、もしかしたら、話し相手は、同じように恥ずかしいエピソードを話してくれるかもしれません。
安心できる相手に打ち明けることで、自分だけではない事を知り、温かさを向け合うことで、より深いつながりと、お互いの心の成長が促されることもあるでしょう。
孤独の中で恥感情が成長してしまうのを止めてくれる、些細な失敗で恥感情に飲み込まれてしまわないように助けてくれる、コンパッションの存在を、どうか心に留めておいていただけたらなと思います。
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