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地球の扶養限界から考える先進国の人口減少と世界人口の増加

 国連人口基金(UNFPA)の「世界人口白書2024」によると、2024年の世界人口は81億1900万人。日本の人口は1億2260万人。地球のハビタブルゾーンは限られているし、食料、水、エネルギーにも供給限界があります。それらの限界は地球以外の惑星へ移住するとか、ものすごくおいしい合成食料が簡単に作れるようになるとか、めちゃくちゃ毒性の強い水でも簡単においしいミネラルウォーターにできるとか、核融合で発電した電気を無線送電するとか、限界を無効にするような飛躍的なテクノロジーが複数同時展開できない限り、地球には養える人口に限界があるということになります。

 ではどのくらいの人口を養えるでしょうか?これに関しては様々な見解がありますがおおよそ100億人ではないかと言われています。たとえば食糧生産量から考えてみた場合、日本人と同じような食生活をした場合、世界の食糧生産量は約61億人分しかないと言われています。この数字にどの程度の信ぴょう性があるのかはわかりませんが、国連の報告によると2022年の世界人口795,400万人に対して73,500万人が慢性的な飢餓状態にあるそうなので、少なくとも慢性的な飢餓状態には無い人は約72億人ですから、あながちはずれてはいない気もします。

 これは世界中の人が日本人と同じくらいの食生活をしようとするなら世界人口を現在の75%程度まで減らす必要があるということです。日本でいうと約3,500万人の人口減になってしまいます。

 人口減少が進んでいるのはいわゆる先進国がほとんどで、世界的にみるともうしばらく人口増加が続くと予測されています。地球の人口は国連の世界人口推移予測では2038年頃に90億人、2059年頃に100億人に到達すると見られています。その後も増加を続け、2086年頃には約104億3000万人に達する見込みらしいです。そう考えるとそろそろ地球に住むことができる人口の限界が見えてきているということかもしれません。

 ここでぼくたちは、倫理的に考えた場合日本にはいったい何人の人が住むのが正しいのか?という問いに直面することになります。

 たとえば、「地球が扶養できる人口が約100億人だとするなら、それぞれの国の面積に応じて居住人口を割り当てる」というのは公平な方法に見えます。地球の陸地面積と日本国土の面積に応じて人口を案分すると日本に居住が許されるのは約2,500万人。日本の人口は2050年には9,500万人くらいまで減ってしまうとされていますが、それだとまだまだ多すぎるということになってしまいます。これは2050年には3,700万人くらいに増えるとされている65歳以上の高齢者が、(どこぞの学者がのたまわったごとく)全員集団自決したとしてもあと3,300万人ほど人減らしをする必要があるということです。そうなると、高齢者の集団自決が「社会に貢献できる成果を生まない者は退場すべし」という理屈に「これは高齢者に限らない」という追加条項でもくっつけるしかなくなります。どこをどう考えても納得できませんが、地球の資源を公平に使おうというな原則を設定した場合に導かれる結論はそういうことになってしまいます。

 日本の2,500万人程度になった場合、いっをいどうなってしまうのでしょうか?そんなことになったら日本は破滅する!と思うかもしれませんが、このくらいの人口で一人当たりのGDPが日本よりも高く、幸福度ランキングとかいうちょっと胡散臭いランキングにおいても日本よりも上位の国や地域というのはけっこう存在しています。たとえばオーストラリアとか台湾です。住みたい街ランキングでここ数年トップに君臨するウィーンを擁するオーストリアに至っては900万人ちょいにすぎない人口にもかかわら日本よりもすっと多い一人当たりを実現しています。
 
 そう考えると、単に人口が減ったらダメってことではないように思えるのですが、かといって死にたくない人に自決を促したり、知らない処で知らない人が餓死していくのは知ったこっちゃないとも思いたくないので、なんとか欲望との折り合いをつけながらテクノロジーによって100億人なんて軽く養えるぜ!って言えるような平和な世界を実現したいものです。

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