ひみつ道具「郵便受け」3月22日(金)朝日記

最近、新聞を取り始めた。

朝、散歩から帰ってくると、郵便受けに必ず新聞が入っている。
取って郵便受けを空にしても、次の日の朝また入っている。
次の日も、その次の日も・・・。

だんだん、無限に新聞が湧いてくるようなイメージを持つようになった。
郵便受けのことを、同じふたを開けているのにいつの間にか中身が変わっている箱として認識するようになった。

これは、Twitterで画面をスクロールすると新しい情報がシュポッと出てくる突然さともまた違う。
情報が紙の塊としてその場にでんっといきなり現れるので、圧がある。

近い感覚としては、旅館で夕飯から帰ってきたら、いつの間にか部屋に布団が敷いてあった時のような嬉しさ。

あと、朝起きたら枕元にサンタさんからのプレゼントが置いてあった時の不思議さに似ている気がする。

もちろんその裏に、新聞配達の人がいて、中居さんがいて、お父さん(こらっ)がいるのはわかるんだけど、見た瞬間はそのことを忘れて、純粋にびっくりが勝つ。

もっとこの情緒のある不思議さを味わいたい。

と、大学時代に好きな人と文通をしていたことを思い出した。
お互い絵を描くのが好きだったので、文章とは別に、四コマ漫画を交代で一コマずつ描いたりして遊んでいた。

いつ届くかわからないし、自分がなんて書いたか忘れた頃に返事が来るので、自分だけに届く月刊の漫画雑誌を読んでいるような感覚が楽しかった。

これが郵便受けに入っていた時の高揚感は、当時の私にとってとても大切なものだった。

今文通をするとしたら、誰とするのが一番ちょうどいい距離感なんだろう。
よく遊んだりLINEをやり取りする人とは、日頃話したい欲を発散してしまっているので話題がない。

あと、あえて文通で話すと面白いことってなんなんだろう。

文通相手になってくれる人、ゆる募です。

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